【Voice】02
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どういう理由だったのかすっかり忘れてしまっていたけど、双子の息子が珍しく別々でいたときの出来事。
睦貴(むつき)は敦貴(あつき)とともに出掛けていて、瑞貴(みずき)と咲絵(さえ)はお母さんとアキさんが見ていてくれて、私は部屋の中でのんびり……とはいかなくて。
「小学校の入学準備って……こんなに大変だったのぉ?」
思わず、弱音が口からこぼれてしまう。
来年の四月から双子は小学生になる。今は幼稚園に通っているけど、入園準備はこんなに大変だった覚えはない。が、さすがに小学生となると、色々と持っていかなくてはならないものがたくさんあるようで嫌になってくる。
「ああああっ!」
もう、嫌だ。
一人分ならともかく、二人分。鉛筆一本ずつにも名前を書いて……こちらは鉛筆を買うときに名前を刻印してもらったからいいとして。筆箱に下敷き、文具などすべてに記名してくださいって。手伝いを頼めばだれかが手伝ってくれるのは分かっていたけど、大変だけどこれだけは自分ですべてをしてあげたかった。
「かやま」
ではなくて
「たかや」
と書かないといけない切なさを感じながらも、私があの子たちに親としてできることというのは少ないから。
「はー」
『たかやあつき』『たかやみずき』という文字が印字されたテープが出てくる度にやりきれない気持ちを募らせていたが、それを打ち破る一本の電話にそれどころではなくなった。
「はい……え?」
携帯電話にかかってきたのは、契約している警備会社の人からだった。なにか緊急事態が起こったときにしか連絡が入らないところからの電話に私は慌てて出て、言われた言葉にさらに焦る。
「げ……現場に急行してくださいっ!」
どうやら、出掛けている睦貴が持っている
「通報ボタン」
が押されたようだ。なにかない限り、誤ってでも押すことがあるわけがないボタンが押されたのだ。
わが家は警備会社と契約している。警備会社から渡されている
「通報ボタン」
があり、それが押された場合、警備会社にボタンが押されたと通報が入る。それを受けた警備会社は、あらかじめ登録されている緊急連絡先に、現場へ行くかどうかという有無を確認する。間違ってボタンを押したなどの場合もあるので、確認してからとなるようだ。回りくどいやり方だが、人が動くということは費用が発生するのであって、警備会社もおいそれと人を動かせないというのが現状のようだ。
今まで、そのボタンが押されたことはない。先日、睦貴とボタンの電池を替えながら押すことがないなんて平和なものだねなんていいながら作業をしていた矢先だった。
こうなってしまっては、私はいてもたってもいられなくなった。
でも、睦貴が今、どこにいるのかはっきりしない。闇雲に出掛けたって仕方がないのは分かる。だから、警備会社からの連絡を待つことにした。ただ待っているだけの時間も惜しくて作業に戻ったのだが、気になってミスばかりしてしまう。
それからどれくらい経っただろうか。
再度、携帯電話が鳴り、言われた言葉に倒れそうになった。
『お二人を保護しましたが──』
いつか来るとは覚悟していたけど、なにもこんな時期に。
病院名をしつこいほど聞き直し、ふらつきながら部屋を出る。ちょうどそこに、出掛け先から帰ってきたアキさんとお母さん、そして子どもたちがいた。楽しそうな笑い声を上げているのを見て、気が緩んでお母さんにすがりついて泣いてしまった。
「睦貴が……睦貴が死んじゃう」
その言葉に、二人は血相を変える。
「どうした? なにがあったんだ?」
「怪我をして病院に運ばれたって……睦貴が」
混乱して、自分でなにを言っているのか訳が分からなくなっていた。アキさんに抱っこされていた咲絵はその腕から飛び降り、私へと駆けつけてきて、
「むっちゃんがどうしたの?」
と聞いてくる。その聞き方が昔の自分を思い起こさせて、さらに泣けてきた。
「文緒、しっかりしなさい。睦貴なら大丈夫よ。あの子は殺しても死なないから」
ってお母さん、ひどいよ。
「そうだ、文緒、泣くな。あいつが死んだら俺が困る。死んだら連れ戻しに行くから、心配するな」
アキさんまでそんなことを。
「で、どこの病院にいるんだ?」
今、戻ってきたばかりだというのに、アキさんはきびすを返して玄関へと向かおうとしている。私は先ほど告げられた病院名を伝えた。
睦貴が搬送された病院はTAKAYA系列。アキさんは携帯電話を取りだし、すぐに病院へ電話を入れているようだ。
「……分かった」
かけてすぐの時は強ばった表情をしていたアキさんだったけど、電話を切る直前はかなりほっとしていた。
「睦貴は大丈夫だ。今は薬が効いて寝ているようだ」
その一言に安堵を覚えた。
「私、睦貴の着替えを準備してくる!」
動揺のあまり、なにも考えが回っていなくて、ようやくそこへ考えが至った。部屋へ戻ろうとしたら、お母さんが後ろから声をかけてきた。
「瑞貴と咲絵は引き続き、わたしが見ているから、大丈夫よ」
「ありがとう!」
それだけ叫ぶと、私は廊下を走って部屋へと戻った。普段なら
「廊下を走ったら危ないわよ」
と怒るお母さんだけど、今日はその一言がない。
連絡が入ったときはどうしようかと思ったけど、睦貴は大丈夫。
気がついたらぼんやりとしてしまう自分を叱責しながら必要なものをかばんに詰めて、私は玄関へと向かった。そこには、不安そうな表情をした瑞貴と咲絵がお母さんとともに待っていた。二人の頬に軽くキスをして、お母さんに手を振って玄関を開ける。
アキさんはすでに運転席に座っていて、私は慌てて助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「お願いします」
アキさんは眼を細め、その大きな手で私の頭をなでてくれた。睦貴とも蓮とも違うぬくもりだったけどうれしくて、目尻に涙が浮かんだ。
***
「睦貴になにが起こったんでしょうか」
静かな車内に耐えられなくなった私は思わず、そんなことを口にした。
「先ほどの電話によると、脇腹を刃物で刺されたということだ」
「刺された?」
物騒な言葉に私は思わずアキさんの腕に取りすがりそうになった。しかし、今は運転中だということで寸前で止めた。
「睦貴よりも敦貴が心配だ」
そうだ、敦貴。
睦貴のことにしか気が向いていなくて、敦貴と瑞貴のことまで考えが回っていなかった。親として失格だ。
瑞貴はともにこの世に生まれてきた片割れのピンチに心を痛めていただろう。咲絵も大切な兄のことを心配しているだろう。
子どもたちはとても大切だけど、いつもどうしても優先順位は睦貴が一番になってしまう。親としてはいけないことだと分かっているけど、睦貴がいなくなってしまったら私は生きていけない。
「私……親として敦貴の心配をしないといけないのに、睦貴のことばかり気を取られて……。親として、失格ですよね」
正面を向き、膝の上に置いた両手を握りしめる。車は信号が赤になったために止まり、左手をハンドルから離したアキさんは私の頭に手を置いた。
「そんなことはない。文緒がだれよりも子どもを大切にしているのは俺たちも子どもたちも分かってるよ。伴侶をないがしろにする母親より、大切にしている母親の方が子どもたちもうれしいに決まっているだろう?」
その一言がうれしくて、涙があふれてしまった。
「ふ、文緒、泣くなっ! 俺が文緒を泣かしたのが睦貴にばれたら、後が怖いっ」
運転席でおろおろしているアキさんがおかしくて、涙を浮かべながら思わず声を上げて笑ってしまった。
「睦貴なんて怖くないですよ」
「あいつを本気で怒らせると、たぶん、あの蓮より怖いんだぞ。睦貴には内緒、な?」
ハンドルから両手を離し、懇願するようにアキさんは手を合わせている。そんな姿は初めて見た。しかも、アキさんの表情は本気でそう思っているようで、どうやら冗談ではないらしい。
一体、睦貴は過去になにをやらかしたのだろうか。
「睦貴、なにをやったんですか?」
「……思い出すだけで心臓が縮こまるから、聞かないでくれ」
本当になにをやったの?
信号が青になり、アキさんは慌てて正面を向き直し、アクセルを踏んだ。
滅多に感情をあらわにしない睦貴。怖いものなんてなさそうなアキさんがここまでおびえるなんて。
まだまだ、睦貴に関しては謎が多いみたい。
生まれた時からずっと側にいるのに、知っていることよりも知らないことの方が多い。普段はあまり意識しないけど、十六歳の年齢差ってのはこういうときに感じる。
口を開くとまたアキさんを困らせてしまうような気がして、落ち着かない気持ちを抱えながら病院に到着するのを今か今かと待っていた。