愛から始まる物語


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【Voice】01



──お願いだから睦貴、私を置いていかないで。
  もう一度、声を聞かせて。

     ○ ○ ○

 私が中学二年生の夏。忘れられない出来事に遭遇してしまった。深く考えずにむっちゃんに黙ってついていったことが発端だ。
 むっちゃんは珍しく泊まりがけでどこかへと出掛けるということだった。私も一緒に連れて行って欲しかったのに、怖い顔をして『ダメ』だなんて言うから、おもしろくなかった。だから、ちょっとしたいたずら心でむっちゃんが乗っていく予定のトランクにこっそり隠れて、驚かそうと思ったのだ。
 出掛ける前に荷物を積むために開けられるだろうから絶対にお屋敷を出る前にばれるだろう。だだをこねて、お願いをすればむっちゃんは優しいから連れていってくれると軽く考えていた。しかし、私の思惑は大きく外れて、そのまま車は動き出してしまった。
 焦る私にむっちゃんは気がつくわけもなく、トランクの中でごろごろと転がるしかなかった。
 真夏の車のトランクの中。想像以上に暑くてくらくらし始めた頃、車が止まった。目的地に到着したのかと思って外に出たら、サービスエリアで驚いた。
 むっちゃんはどこにいるのだろうかと探していたら、売店で一人笑っているところだった。

「文緒っ! ちょ、おまえ……。来るなってあれほど言っていただろう!」

 むっちゃんはむちゃくちゃ焦った後、ものすごく真剣な表情をして、怒った。声もとがっている。それでも私の顔は、思わず緩んでしまう。

「むっちゃんでも怒ること、あるんだね」

 もちろん、機械ではないのだから感情を持っていることは知っていたけど、むっちゃんの怒っている顔はあまり見たことがなかったので、とても新鮮だった。

「文緒! 今すぐ帰れ!」

 慌てている様子にますますおかしくなった。むっちゃんが私をここに放置していくわけがないのは分かっているから、私は余裕の態度を取ることができた。

「いや、無理でしょ? だってここ、高速道路のサービスエリア」

 笑みを浮かべてそう口にした私を見て、むっちゃんは大きくため息をついた。

「怒ってるのに、なんで笑ってるんだよ……」

 やわらかそうな髪の毛に手を当て、心底困ったような表情をしているむっちゃん。それを見て、ますます笑みが浮かんでいるのを自覚する。

「だって、むっちゃんてあんまり感情を出さないのに、私のことを思って本気で怒ってくれているのがうれしいの」

 むっちゃんはあきれてしまったようだ。
 むっちゃんとの付き合いは長いけど、滅多に怒ることがないのを知っているから、こうして感情を出してくるのは私に対して気を許している証拠なんだと分かって、うれしい。

「……ほんとに、おまえは……」

 あきれたような声だって、どうしてこんなにどきどきするのだろうか。

 別荘へ行く車の中で、むっちゃんは言葉は少ないけど、高校生の頃の話をしてくれた。
 むっちゃんが自分のことを語るなんて滅多にないから、どきどきしながら黙って聞いていた。口を挟んだら、もう話をしてくれそうになかったから、色々と聞きたいと思いながらも我慢した。それに、大好きなむっちゃんの声をもっと聞いていたかったのもあった。
 伺うようにこちらを時々見てくるので、私は聞いているという意思表示のために相づちを打った。その度に不安そうな表情を浮かべている。
 どうしてそんな顔をするのだろうか。

「……俺の昔話なんか聞いても、おもしろくもなんともないよな」

 そう言って切り上げそうになったので、私は焦った。

「そんなことないよ! むっちゃんの話、もっと聞きたい!」
「文緒は物好きだな」

 苦笑しているむっちゃんになんと言えば続きを話してくれるのか悩んで、素直にお願いした。

「ね、それでそれで?」
「──それで、おしまい」
「えええ! 私、まだ中学生だから、高校生活の話、もっと聞きたい!」

 だだをこねたら話してくれるかと思ったけど、むっちゃんは見事に話をそらしてくれた。それでも、私が生まれる前の知らないむっちゃんを少しだけ知ることが出来て、うれしかった。それも、むっちゃんの口から直接聞くことができて。

     ○ ○ ○

 苦手な雷が鳴っている時も、むっちゃんの声を聞いていると、むしろ心強く思える。
 今まで聞いたことがないほどの激しい雷鳴に、私は怖くて、耐えきれなくてむっちゃんに抱きついた。少し戸惑ったような気配。だけど私を受け入れてくれて、腕の中に入れてくれた。
 むっちゃんの匂いに、安堵を覚える。幼い頃、こうして抱きしめてもらったらむっちゃんの匂いがして、居心地がよくてそのままよく眠ってしまった。暖かな腕の中は、私の秘密基地だ。
 大きくなるにつれ、むっちゃんは私を抱きしめることは減ってきたけど、いつだってその腕の中に行きたかった。ぎゅっと抱きしめてもらって背中をとんとんと叩いてほしかった。こんな時でないとしてもらえないなんて、悲しい。
 いつでもむっちゃんのぬくもりを感じていたかった。けど……。むっちゃんは永遠に私の物にはならないのだ。
 そう思ったらものすごく悲しくなって、気がついたら泣いていた。むっちゃんに泣いていることを気がつかれたくなくて、唇をぎゅっとかみしめた。

「ふ、文緒?」

 むっちゃんは、気がついてしまった。突然泣き始めた私をどうすればいいのか分からないようで、戸惑っている。本当は違ったけど、むっちゃんを困らせたくなくて、大丈夫、雷の音が怖いだけと言いたかったけど、そう口にしようと思えば思うほど、涙が止まらなくなった。
 昔のようにぎゅっと強く抱きしめて、とんとんとしてほしい。
 お願いしたいけど、幼い頃のように素直に口にできず、ますます涙があふれてしまう。
 いつの頃から、素直に自分の気持ちを言えなくなってしまったのだろう。
 それは、むっちゃんがそのうち私ではないだれかと結婚をしてしまうと知る少し前から。
 私を微妙に避けるようになったむっちゃん。それがすごく淋しくて、だけど淋しいなんて言えなくて。一人でどこかに泊まりに行くと知ったとき、どうあってもついていくって決めたのだ。私はこっそりとむっちゃんが乗っていく車のトランクに隠れた。いつ、気がつかれるかとどきどきしていたら、そのまま車が動き出した。
 このままむっちゃんとどこか遠くへ行けたらいいのに。
 そんなことできないのに、思わず願ってしまった。

 軽い気持ちでついてきたこの場所で、こんなにも辛くて切ない結末を迎える出来事が待っていたなんて、知る由もなかった。
 そして、むっちゃんの背負っているなにかを、少しでも支えてあげられる存在になれないかと思うようになった、きっかけの事件でもあったのだ。

 だれかのせいでむっちゃんがこの世からいなくなったら。
 そんなこと、ありえない。
 むっちゃんと約束したのだ。私が側にいてという限り、ずっといるって。
 むっちゃんは私の側にずっといて、あの声で
「文緒」
と呼んでくれるのだから。
 ──分かっている。それが無理だってことは。
 むっちゃんにとって私は『娘』。恋愛対象として見てくれていないことは分かっている。
 だけど私はこの世に生まれた瞬間からむっちゃんに恋をしている。
 何者にも代えられない、かけがえのない人。
 生まれた瞬間から側にいたのだから、むっちゃんは、私の一部。
 私には『高屋睦貴』以外の男は考えられない。
 幼なじみの『高屋柊哉』は私と結婚すると言っているけど、同じ高屋でも、それは無理! 考えられない。

 むっちゃんが他のだれかのものになるなんて、耐えられない。
 むっちゃんは私のものなのだと言い切りたい。
 ……だけど、私はあまりにも無力で。
 今はまだ、むっちゃんは私の側にいる。これ以上を望むのは、贅沢だ。
 ううん、やっぱりむっちゃんは私のもの。
 私の中でそんな葛藤があった。
 あの少し低くて掠れ気味な声じゃないと、生きているという実感を持てないのだ。
 だから、ねぇ、むっちゃん。
 もっと私の名前を呼んで。
 そして──私をあなたのものにしてほしい。
 『娘』だなんて、言わないで。
 私はあなたと生涯をともに歩んで行きたい。
 私は心の中でずっと、そう願い続けてきた。

 ──その願いが叶うのは、この悲しい事件から二年経った時だった。





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