愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【赤い海と透明の海】


     ※残虐表現があります。苦手な方はお気をつけください。


 その先に待っている恐ろしい光景を想像して、俺は電気をつけることを躊躇した。
 部屋の中へもう一歩踏み込むと、臭いはさらに濃厚になる。吐き気を我慢しながら、奥に置かれているベッドに目を向ける。
 若宮の部屋と同じく、その先の窓はカーテンが閉められていない。

「!」

 手前のベッドには……部屋の中だというのに、なぜか長い棒が一本、生えていた。
 暗闇に慣れてきた俺の目に映った光景は、最悪だった。
 その棒の下には……肉の塊としか表現できないものがあった。

「守矢さん、中には入るな」

 俺は目を覆いたくなるほどのひどい光景に、慌てて部屋を出る。

「あの……どうされたのですか?」
「残念だが、岩井と若宮は死んでいるようだ」

 近寄って見ていないが、あれはどう見てもあの二人がベッドの上で絡んでいるところを串刺しにされた状態のようだ。

「鍵をかけ直して、今後、だれも入らないように」

 俺は改めて中の光景を思い出して、吐きそうになった。口を手で押さえて必死に吐き気をこらえる。

「この様子だと、種田があやしいな」

 俺たちは椋鳥(ムクドリ)へと行き、ドアを叩くが反応がない。もしや、三人を殺して逃亡したか?
 ドアノブをひねっても開かない。
 守矢さんに先ほどと同じようにドアを開けてもらい、中へと入る。
 こちらは先ほどの部屋とは違い、カーテンはきっちりと閉められ、明かりがついたままだった。一瞥しただけでも部屋の中に種田がいるように見えない。耳を澄ますと、流水音が聞こえる。もしかして、シャワー中で返事が出来なかっただけか?
 失礼したなと思いつつも、念のためにシャワー室の扉をノックする。

「種田さん」

 ノックをしても、中から返事はない。身動きしているような気配もない。水が流れているが、どうにも音がおかしい。
 再度、ノックをするが返答がないのでドアノブをひねるが、こちらも開かない。ポケットを探って財布から小銭を取り出し、ドアのくぼみに引っかけて開ける。鍵が開くと同時にドアも開き、中の音がさらに大きくなる。浴室独特の熱気が襲ってくる。
 中ももちろん電気はついていて、手前はトイレで、ふたが閉まって上にはバスタオルが置かれている。その奥がシャワーが出来るように浴槽があり、こちら側に水がかからないようにシャワーカーテンが引かれているが、向こう側には人影が見えない。下の方に目を向けると、誰かが倒れているように見えた。

「種田さん?」

 俺は慌てて中へと入り込み、シャワーカーテンを思い切って開いた。
 浴槽の底には、シャワーに叩きつけられている、明らかに変わり果てた姿となった種田が横たわっていた。

     * * *

 種田まで死んでいた。
 シャワーを浴びている途中で……?
 ということは。

「やばい、文緒が危ない!」

 シャワーを浴びることでなにか仕掛けが作動して種田が死んだとすれば、今、シャワーを浴びているはずの文緒の身ももしかしたら危ないかもしれない。
 俺は種田の部屋から飛び出した。守矢さんは濡れている俺に驚いた顔を見せたが、ドアを閉めて開けないように指示をして、向かいの部屋の金糸雀(カナリア)の扉を約束通り、三回叩く。
 反応がない。

「文緒?」

 俺は先ほどより強めにドアを三回、ノックした。しかし、返事がない。
 種田と同じようにシャワーに罠を掛けられていて……?
 ドアノブをひねると、いともあっさりと開いてしまった。部屋に飛び込むと明かりはついたままで、文緒はやはり、いなかった。しかし、シャワーから上がった形跡はある。念のためにシャワー室を覗くが、シャワーカーテンは開いていたし、種田のように浴槽に横たわっている様子もない。

「文緒!」

 クローゼットに入って隠れているなんてお茶目なことをまさかしているのではないかと思い、中を開けてみたが、もちろんいない。当たり前だ、いてたまるものか。
 それにしても、出るなと言ったのに、文緒のヤツ……!

「文緒がいない」
「文緒さまがですか?」

 部屋の外に出て、廊下で待っている守矢さんに対して、力なく首を振った。
 俺たちがここにいる間に文緒が外に出てきた様子はない。
 ということは、俺が鍵をもらいに行った隙に出たということか。

「ったく」

 下の階を探すにしても、一度、隣の棟に移動しないと降りることが出来ないので、移動する。吹き抜けの空間。ぐるりと周囲を取り巻くように作られた廊下。

「むっちゃん!」

 階段で下りようとしたら、文緒の声がした。

「文緒?」

 声のする方へ視線を向けると、吹き抜けの向こう側に、文緒は潤哉とともにいた。

「離して!」

 文緒はどうやら、潤哉に後ろ手で掴まっているようだ。潤哉に連れ出された、ということか。

「文緒を離せ!」

 文緒が他の男に触れられているのを見て、頭に血が上るのが分かった。それがたとえ、親友だと思っている潤哉であっても、指一本でさえ触れてほしくない。

「ふーん。睦貴って怒ることがあるんだ」

 楽しそうな潤哉の声。

「でもこの子は、睦貴の『娘』なんだろう? いずれ、側からいなくなる」

 昔から密かに危惧していたことを潤哉に指摘されて、俺の心は悲鳴を上げている。
 そうだ、文緒は『娘』なんだ。
 俺ではない他の男といつか結婚して、俺の側から離れていく。

「オレ、この子が気に入ったよ。おまえの『娘』なら、好都合だ」

 潤哉はそういうと、文緒を抱き寄せる。文緒の後ろから頬をなでている。文緒は不快そうに身をよじり、眉をしかめ、潤哉の手から逃れようとしている。

「私に触れないでよ! 触っていいのはむっちゃんだけなんだから!」
「睦貴はおまえの父親なんだろう? ファザコンすぎだろう、それは」

 潤哉は俺と文緒に聞こえるように言っている。

「むっちゃんは……むっちゃんは」

 潤哉はわざと文緒の耳元でしゃべっている。文緒は潤哉の声がする度に気持ちが悪いのか、泣きそうな表情をして俺を見ている。

「文緒に触れるな。いくら親友のおまえでも、文緒は渡せない」

 文緒が俺から離れていくなんて、耐えられない。文緒が生まれた瞬間から、俺の側にいたのだ。文緒が側にいないと、俺はこの世界を正常に認識することができない。
 文緒は俺の世界のすべてで、文緒がいなくなるということは、世界の喪失と一緒のことだ。
 文緒が側からいなくなる──。
 それは俺にとって、世界の終わりと同義語だった。

「だってこの子は『娘』なんだろう? 『娘』とは結婚できないんだぞ」

 そうだ。潤哉の言うとおりだ。
 『娘』とは結婚することができない。
 しかし文緒は、『娘』みたいな存在ではあるが、本当の『娘』ではない。
 俺がもし、文緒を『娘』ではないと宣言して、結婚できる年齢になったら一緒になろうと言ったら──文緒は首を縦に振ってくれるのだろうか。文緒が俺を慕ってくれているのは、父としてではないのだろうか。実は俺が文緒のことを『娘』と見ていないと知ったら、気持ち悪がって俺の前から去っていかないだろうか。
 いや、やっぱり文緒は『娘』なのだ。
 『娘』であるのだから、文緒はいつか俺の元から巣立っていく。そうじゃないと、『親娘』関係は成立しない。

「こんなにかわいければ、手放したくないよな。おまえが溺愛する意味が分かるよ。そうなると──ますます手に入れたくなる。おまえから奪い取りたくなるよ」

 潤哉は嫌な笑みを浮かべ、文緒を見ている。
 文緒をそんな顔で見るな!

「ダメだ! 文緒はどうあっても、渡さない!」

 潤哉が鼻で笑った瞬間。
 文緒は潤哉の腕の中から抜け、目の前の手すりに手を掛ける。潤哉は慌てて文緒を捕まえようと追いかけるが、文緒はそれに気がつき、あろうことか、バックキックを潤哉へかました。潤哉は不意打ちだったようでもろに文緒のキックがみぞおちのあたりに入り、うめき声をあげて、うずくまった。
 そして文緒はその勢いで手すりを乗り越え。

「文緒!」

 そのまま宙へと舞った。





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