愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【雨と稲光と雷鳴】



 午後三時半。
 嫌な予感は的中し、真っ黒な空からはバケツをひっくり返したかのような雨が降ってきた。これが俗に言う『ゲリラ豪雨』ってヤツか?
 雨が降ってきたことで外気温も下がってきたようで、室内は肌寒く感じてきた。

「文緒、寒くないか?」

 先ほどから文緒は動くことなく、外を見つめている。なにか面白い物でも見えるのだろうか。

「あ、うん。大丈夫」

 ふとした拍子に触れた文緒の指先は冷たくなっていた。室内をあさるとバスタオルがあったので、それを肩から羽織らせた。

「ありがと」

 文緒はそのまま、ずっと窓の外を眺めている。
 俺ももう一度、考えてみることにする。
 種田、柿本、岩井、若宮。
 この四人の共通点。
 仕事内容もばらばら。見た目の年齢もかなり差があるようだ。
 しかし……。
 種田は貸金業をしているという。他の三人が種田から金を借りているという利害関係で結ばれていると考えれば?
 可能性としてはそれは高い。とすると、柿本が殺された理由は……借りていた金を返さないから種田がカッとして?
 いや、それはおかしいだろう。殺したら貸した金は永遠に返ってこない。逆ならともかく。しかも、柿本が殺されたと思われる時間に俺たちは種田と話をしている。
 食べている間、種田たちを意識しないようにしていたから、その間に殺していたという可能性はあるのだが、それもいささか無理矢理過ぎだろう。
 どのタイミングで殺されたのか。なにかおかしなところはなかっただろうか。
 思い返してみる。
 ランチのメインディッシュに手をつけようとしたところに四人がエレベーターから降りてきた。うるさいなと思ったのは時間感覚で、午後十二時半頃。
 俺たちの食事が終わったのは午後一時頃。守矢さんに言われて別荘内を見て回ろうとあの四人のテーブルの近くを通ったら、若宮に声を掛けられた。その時点でよく見たら三人しかいなかったのだ。テーブルの上の食事は俺たちが食べたものと同じ物のはずだ。タイミング的にメインディッシュを食べた後くらいだろう。柿本は食事の途中で席を立ったということか。
 一階から屋上までまっすぐ向かうと五分も掛からず到達できるはずだ。
 若宮と不愉快な会話を交わして、怒りながら文緒とともに階段を登って外に出たのが午後一時十分頃。螺旋階段の手前で会話を交わしたが、長く見積もっても五分くらい。見て回ることになって螺旋階段を登って……あ。

「文緒、螺旋階段を登っているときに乾いた音が聞こえなかったか?」
「乾いた音?」
「運動会の徒競走のスタートの時のパンッというピストルみたいな音」

 そのときのことを思い出しているのか、腕を組んで宙をにらみつけている。

「あ……分かった」

 文緒は思い出したらしい。

「階段の半ばくらいでそんな音がしたよ」

 ということは、その時点が柿本の命が散った瞬間と見ていいか? その音がしてほどなくして、俺たちが柿本の遺体を発見した、と。
 屋上へ行くためにはあの螺旋階段を登るしか手段はない……? もしかしたら他にもある?
 とりあえず、だ。屋上への道はあそこだけと仮定しよう。
 となると、犯人が種田説はあり得ないな。容疑者である三人に殺すタイミングはなかった。
 それでは、犯人はだれだ? 俺たちはもちろん、除外される。
 招待客以外の人物で俺たちが把握しているのは、守矢さんと何人いるのか知らない従業員たち。
 守矢さんは文緒の悲鳴を聞きつけて屋上へとやってきたが……。まっすぐあそこに来たという不自然さが守矢さん犯人説に妙な信憑性を産む。守矢さんが仮に柿本を殺したとする。
 柿本が殺されたのは俺たちが階段を登っている間だとしたら。俺たちが螺旋階段を登って屋上までやってきて、柿本の死体を発見するまでに守矢さんは姿を隠さなくてはならない。それはあのうっそうと茂っていた草の向こう側に俺たちがいなくなるまで潜んでいればいいのでクリアすることはできる。
 しかし、文緒の悲鳴を聞いて現れた守矢さんは、俺たちと同じように螺旋階段を登ってやってきた。出入口が複数あるとは思えないし……いや、それは俺がそう思い込んでいるだけか? もしかしたら、柿本の遺体の向こう側に降りる場所があったのかもしれない。
 となると、守矢さんが……?
 いや、容疑者は守矢さんだけではなくなる。螺旋階段以外に屋上へ到達する手段があるのだとしたら、前に違うと思った三人も再び容疑者リストに入れなくてはならない。あの螺旋階段以外に屋上庭園へとたどり着ける手段があるとしたら、一階からその別口を使って屋上に上がり、柿本を殺してまた戻るということは可能ではある。
 ──人間を殺すなんて相当な覚悟がないとできないはずだ。リスクを考えたら、そんな危険を冒してまでする犯罪ではないはずだ。
 となると……、そのリスクを冒してでも柿本を亡き者にしなくてはならない人物は一体だれだ。俺の手元には情報が少なすぎて、判断を下すには決め手に欠ける。
 警察に連絡してほしいと頼んで連絡できなかったと言ったのは守矢さんだ。もしも彼が犯人なら……。守矢さんに言われるがまま、その言葉を信用してしまっていたが、果たしてそうなのだろうか。
 俺は立ち上がり、受話器を手に取った。その横に書かれている外線のかけ方を見ながら外に電話を掛けようとするのだが、呼び出し音はするが、繋がる気配がない。手でフックを押し、一度電話を切り、自分の携帯電話に向けて掛けてみるが、やはり同じ結果だ。
 外に繋がる電話線を切られているということか。
 それならば携帯電話からかけようとポケットから取り出すが、先の守矢さんの言葉通り、思いっきり圏外だ。つかえねー!
 時計代わりに電源は入れたままにしておこう。もしかしたら奇跡的に繋がるかもしれない。
 ついでに時間を確認すると、午後五時前。
 窓の外に目を向けると、雨は止むどころかますます強くなっている。そして一瞬、フラッシュを焚いたかのようなまぶしい光が目を射る。

「きゃっ」

 先ほどまでずっと窓辺で外を見ていた文緒は悲鳴を上げる。数秒後、地を揺さぶるような轟音が聞こえる。

「いやああっ」

 文緒はベッドの上に耳をふさいで丸くなっている。
 すかさずまた、外が光る。そしてまた、地を揺さぶる音。

「いやああああ」

 俺はベッドに登り、カーテンを閉めた。しかし、それでもカーテン越しに光っているのが見える。カーテンを閉めても、音だけはどうすることも出来ない。

「いやだ、こわいっ!」

 カーテンを閉めるためにベッドの上に乗っていた俺に文緒はしがみついてきた。
 ちょ、ちょちょちょちょっと待ってくれ! べ、ベッドの上でってそれってまずい、まずすぎる!

「ふ、文緒?」

 昔も文緒は雷を怖がって、こうやってしがみついてきたじゃないか! そそそそ、そのときと一緒だ!
 お、俺には下心なんて……ない!
 カーテンの向こうは嵐が来たかのように雨が窓ガラスを叩きつけ、雷は光り、地を揺らしていた。

「やだ……」

 痛いくらいに腕にしがみついてきている文緒を振り払うことなんて出来ない。その痛さでかろうじてナニがアレしてない。各自、好きな言葉を入れてくれ。
 下心はまったくない! これは文緒が怖がっているからであって……。
 自分にそう言い聞かせ、反対の腕で文緒を腕の中におさめる。そして落ち着くようにと背中をとんとんと叩いてあげる。
 ちなみに俺の心臓は八ビートを刻んでいる! いや、訂正する。文緒を抱きしめた途端にふわりと香ってきた文緒の甘い匂いに八ビートから十六ビートへと変わった。それとともに下半身にも血液が集中して……こんなところで主張してくるんじゃない! 文緒にくっついているんだから、落ち着け、俺! 文緒にばれるじゃないか!
 しがみつかれている文緒の鼓動が分かるってことは、俺のこの十六ビートもばれているってわけで。おおおお、落ち着けよ、とにかく落ち着け、俺! 下半身もばれませんように……!
 文緒を落ち着かせるためというよりは自分を落ち着かせるために背中をとんとんと叩いた。

「雷もすぐに去ると思うから、少しの辛抱だ」

 自分に言い聞かせるために口にしたのだが、声が掠れてかっこ悪い。これでは俺も雷を怖がっているみたいではないか。むしろ、今のこの状況だと、そう思われた方がいいかもしれない。
 室内の気温も日が暮れる時間も近くなってきたのもあり、さらに下がってきた。しかし、文緒のぬくもりで寒いどころか暑く感じる。
 人のぬくもりになんだか落ち着いてきて、文緒を落ち着かせるつもりでいたのに、俺の方が眠くなってきた。思わず、うつらうつらとしていたところ、雷の地響きとは違う音に俺は目が覚めた。文緒も半分、寝かけていたようで、びくりと身体を震わせて、顔を上げた。

「今の音、なに?」
「雷……とは違うよな」

 先ほどまで狂ったかのように光っていた雷も、すっかり遠ざかってしまったようだ。俺と文緒は顔を見合わせ、カーテンを開けて外を見てみるが、変わらず雨が降りしきっているだけだ。
 廊下側だろうかと思いドアを開けて見てみるが、こちらも特に変わりない。
 ポケットに突っ込んだ携帯電話を見ると、時刻は午後五時半だった。

「ディナーの準備をするか」

 俺はクローゼットからガーメントバッグを取り出し、着替えに取りかかった。





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