愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【なれの果て】



 テーブルの上にはかごが乗せられていて、その中には焼きたてのいい匂いがするパンが入っていた。手前に置かれたお皿にはかわいく盛りつけされた前菜が乗っていた。

「お飲み物は」
「俺は水で。文緒は?」
「私もお水をお願いします」
「かしこまりました」

 守矢さんが給仕をしてくれるようだ。用意されていたグラスに水を入れてくれ、どうぞお召し上がりくださいと言われたので俺と文緒は食事を始めた。
 きれいに盛りつけられた前菜。料理する人間が変わったようで、昔と味が違う。

「お口に合いますか?」
「ああ、美味しい」
「はい、美味しいです」

 文緒を見ると、本当に美味しそうに料理を口に運んでいる。

「パンも今、焼き上がったばかりです。お熱いうちにどうぞ」

 かごの中のパンをつまむと思ったより熱くて、お行儀は悪いがお手玉のように左右交互に持ち替えていたら、文緒に笑われた。白魚のような俺の手には……って使い方を間違ってるな。手元にたどり着いたパンをちぎって口にすると、熱くてそれでいて甘いバターの香りが口の中いっぱいに広がる。
 料理が次々と出され、メインディッシュの子牛のステーキを食べているところに、賑やかな団体が現れた。

「お腹が空いたわあ」
「若宮さん、よく眠っていましたよね」
「種田さんは昨日、よく眠れましたか」
「成美、薬は持ってきたか?」
「大丈夫ですわ」

 会話になっているような、なっていないような。それぞれが好き勝手、なにかを言葉にしているといった声が聞こえてきた。
 せっかく文緒と二人で良い感じで食事をしていたのを邪魔されて、思わず不機嫌になってしまう。にらみつけるようにその団体に視線を向け、あまりの下品さに眉をひそめた。
 なんだ、あの成金趣味な男とその取り巻きたちは。
 兄貴が空知には色々と問題があると言っていたが、こういう人種とつきあっていることも言っていたのだろうか。
 その団体はこちらには気がつかず、別の係に誘導され、俺たちとはかなり離れた席に通されてはいたが……それでも声が大きいために嫌でも聞こえてくる。
 ふと気になって文緒を見ると、俺と同じように賑やかな一行を見ていた。

「……うるさいね」

 不快そうな表情を浮かべてはいたが、文緒は食事へと戻っている。
 俺たちは団体を気にしないようにしながら、黙々と料理を堪能した。
 食事が終わり、デザートの段階で、俺はかなり警戒した。出されたケーキを注意深く観察して、アルコールが使われていないのを確認してから、口へ運んだ。
 食事が無事に終わり、守矢さんが別荘を案内いたしましょうかと申し出てくれたのを断った。潤哉とともに前に来たことがあるし、なによりも文緒と二人きりになりたかった。
 別にやましい気持ちがあったわけではないぞ!
 俺はあまり慣れない人間と一緒にいることが好きではないのだ。文緒とは長い付き合いだから問題ない。そして、守矢さんはなにかと忙しそうだったので遠慮したというのもある。
 俺たちは奥の席で食事をしていたので、ここから出るためにはどちらにしてもあの団体の近くを通らなくてはならない。俺は文緒の手を取り、二階に上がるために階段へと向かっていたら、急に声を掛けられた。

「あなたたち、後から来るって言っていた人?」

 まさか声を掛けてくるとは思わず、俺は少しにらみつけるようにそちらに視線を向けた。
 テーブルには女一人男二人の三人が座っていた。先ほど、ここに入ってきた時、男がもう一人いたような気がしたのだが、どこにいったのだろう。四人いた名残として、空になった食器が置かれた席が一つ、存在していた。声を掛けてきたのは女だった。
 ……勘弁してくれ。
 それがその女を見た時の第一印象だった。
 金髪に近い茶髪で派手なメイクに一目でブランド物と分かる服。さらにはこの距離からでも鼻を激しく刺激するきつい香水。椅子から立ち上がり、こちらに近寄ってくる。食事中に席を立つなんて、マナーがなってないな。
 なんてことが頭をかすめたが、とっさに文緒を背中にかばっていた。

「あーら、いい男じゃない。坊や、アタシが手ほどきしてあげましょうか」
「間に合ってます」

 さらに近寄ってくる女。俺は本能的に後ろに下がる。

「成美。よしなさい」

 その声の主は、この団体のリーダーのようだ。一番貫禄があり、えらそうだ。太くて短いすべての指には金色の指輪がはまっていた。中指にはめられた指輪には見せつけるような大きな石が付いていた。太い身体にはち切れそうなポロシャツ。

「兼さん、だって久々にいい男」
「成美っ」

 男はヒステリックに女の名前を呼んだ。女はけだるそうに髪をかき上げると、腰をくねらせて成金と赤いアロハシャツを着た出っ歯の男の間の席へと戻っていった。

「これは連れが失礼した」

 女が席に座ったことを確認した男は顔だけこちらに向け、口を開く。

「今日のパーティ、よろしくな」

 げひた笑みを浮かべた男に俺は会釈だけして、文緒を連れて急いで階段を駆け上った。

     * * *

 本当は止まり木のような渡り廊下を見ようと思ったのだが、上から下を見ると不快な団体が目に入ることになるのが嫌で、文緒と手を繋いでいるにも関わらず、俺は足早に部屋を取り囲んでいる廊下を通り抜け、外へと抜け出た。
 ドアを開けた途端、湿度を多分に含んだ熱気が全身を襲い、思わず顔をしかめる。

「暑いね、外」

 それまでずっと黙っていた文緒の声に、俺はようやく冷静になった。

「ごめん、文緒」

 謝ると、不思議そうな表情をした文緒が俺を見ていた。

「なんで謝るの?」
「文緒がいたのに早足で歩いたから」
「全然、早くないよ。さっきのあの人たち、なんだったの? 空知さんってあんな人たちともお付き合いしないといけないの? かわいそう」

 さっきは愛人? と怒っていたのに、そんなことは忘れたかのように同情する文緒の言葉に、俺は笑った。

「なんで笑うのよ。お仕事をするのって、大変なんだね」

 分かっているかのように言っている文緒が妙にかわいくて、俺はまた、笑った。

「蓮に差別したらダメだよと言われているけど、私はダメだなぁ」

 蓮さん、そんなことを言っているのか。その蓮さんも激しく差別をしているんだが、と本人に突っ込みを入れたら……いやいや、恐ろしい。仕事上ではしてなさそうだ、ということにしておこう。

「あの人たち、私のこと、変な目で見てたんだもん」

 やっぱりそうか。あんの好色オヤジどもめっ!
 今日のパーティにあのドレスを着せるのがやっぱり嫌になってきた。

「文緒、やっぱりあのドレス、やめなよ」
「え? なんで? だってあれ、むっちゃんに見せたいんだもん」

 あのな……文緒、と説教したい気分になった。
 それよりも。そもそも、俺に見せたいってどういうことだ?
 文緒の言っている意味が分からなくて、俺はしばらくの間、悩んでしまった。

「ねー、むっちゃん。それよりも見て回ろうよ」

 文緒のその声にようやく我に返り、俺たちは暑い中、屋外を見て回ることにした。
 この別荘のシンボルの鳥かごのような螺旋階段を登り、屋上へと出る。ぐるぐると回っていたらなんだか変な気分になってくる。
 乾いた音が風に乗って聞こえたような気がした。耳を澄ましてみたが、それっきりだった。なんだろうかと疑問に思ったのは一瞬。階段を登ることに必死になったからだ。
 息が切れそうになった頃、屋上にたどり着いた。目には緑色が飛び込んでくる。屋上は緑が生い茂っていた。雑草を生やし放題で手入れがされていないという訳ではなく、ここはデザインされた庭だ。木々で迷路のように作られた道を俺と文緒は手を繋いでゆっくりと歩く。外だから暑いのだが、それでも緑に太陽が遮られているからいくぶんか体感温度は下がる。
 歩いていると、唐突にガラス張りの屋根が見えてきた。ここが吹き抜けの天井だ。
 早谷宮雄はここから飛び降りたのか。鳥になって飛んでいけるとでも思ったのかな。
 俺たちはガラス張りの天井を巡るように回り、さらに先へと進んだ。
 潤哉と昔、ここに来たとき、この先はただ、うっそうと草が茂っているだけだったよなと思い出し、引き返そうとしたそのとき。
 鼻孔に不吉な匂いを感じた。鉄臭い生々しいもの。

「文緒、ここで待っていろ。いいか、動くなよ。できたら向こう側を向いておいた方がいい」

 嫌な予感。
 文緒が後ろを向くのを確認して、俺はその臭いの先へと向かった。
 草が不自然になぎ倒されている。俺たちより先に人が来ていたようだ。あの四人は昨日の夜遅くにここについたらしいから、あの四人ではないような気がするが、それでは、他にだれが?

「むっちゃん」

 待っているように言ったのに、文緒は俺の後を追ってきたようだ。

「文緒。来るな」

 と言った瞬間。
 俺たちは見てしまった。

「いやああああ!」

 文緒の悲鳴が別荘に響き渡った。





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