愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【金糸雀が鳴かない部屋】



 エレベーターはすでに到着していたようで扉はすぐに開き、守矢さんは乗るように促してきた。文緒とともに中に入る。その後から守矢さんが乗ってきた。パネル部分を見ると、
「B1」
から
「3」
と書かれたボタンがついていて、守矢さんは
「3」
と書かれたボタンを押した。と同時に、身体が上昇する感覚がした。ガラス張りになっているので外を見ることができる。

「大切なことをお伝えするのを忘れていました。哉賀さまがこちらでお過ごしになるということで慌ててエレベーターを新設したのですが、体調が思わしくなく、ご到着が本日の夕刻以降になる予定です。先に到着してお迎えするのが筋ですが、申し訳ございません」

 なんとなく予感はしていた。こうなるとやはり、このパーティを口実に俺を招いたのは、だれかの罠のような気がしてならない。

「本来なら、総帥である和哉さまが来て参加者のみなさまにお詫びを申すものなのでしょうが、あいにく海外出張をしておりまして、後ほど、改めて別の者がお詫びをさせていただきます」
「いや、いいよ。哉賀さんもご高齢だし、この暑さだから無理をなさっては身体に差し障る。むしろ、こちらにこられない方がご本人にとっても良かったことかもしれないし」

 そもそも俺がここに来ている目的を思い出し口にすると、守矢さんはそうですねと笑みを浮かべた。

「パーティは行いますので、ご安心ください」

 予定では、パーティをしているところに哉賀が到着という形を取るようだ。

「どういうこと?」

 目的を知らない文緒は不思議そうな表情をして俺を見上げている。

「後で説明するよ」

 話をしている間に三階に到着した。

「こちらでございます」

 エレベーターを降りて左斜め前にある空間を守矢さんは指し示している。
 覚えている。ここから先が宿泊棟になるのだ。段差は特にないが注意深く見ると、壁紙が白からアイボリーに変わっているから分かる。

「昨日遅くに睦貴さま以外の四名のお客さまがすでに到着されていまして、まだお休みのようです。お部屋は金糸雀(カナリア)でございます」

 カナリア……か。潤哉が泊まっていた部屋に泊まることになるとは、なんだか皮肉だな。
 黄色い扉の前に立ち、守矢さんは鍵を渡してくれた。

「足りないものがございましたら、内線『九』でお申し付けください」
「ありがとう」
「お昼は一階で十二時より摂ることができます」

 それだけ守矢さんは伝えると、お辞儀をして去っていった。
 後ろ姿を見送り、俺は鍵を開けて、中に入った。
 中に入るなり……俺は脱力して床に座り込みたくなった。
 前に来て分かっていたことなんだが……壁一面の大きな窓の前にダブルベッドが一つ。カナリアの羽の色と同じくパステルイエローのシーツが掛けられていて、なんと申しますか……どう反応しろと?

「わー、かわいい部屋!」

 壁紙はアイボリー。絨毯は濃い緑。部屋に入って右側がトイレとシャワー室になっているようだ。以前に泊まった椋鳥(ムクドリ)と同じ造りになっていた。
 別荘の入口手前で遊んでいたからか、荷物はとっくに運び込まれていた。
 俺は気を取り直し、ガーメントバッグに入れているスーツがしわになっていないか先に確認をする。特に問題はないようだ。クローゼットに伸ばして入れておこう。
 持ってきていた荷物を片付け、文緒の荷物をどうしようか悩んでいたら、文緒も俺に倣って片付けをしてくれていたようだ。助かった。

「むっちゃん、さっき説明するって言ってたのは?」

 そうだ。文緒にここに来た理由をまったく話していないことを思い出した。備え付けの椅子に腰掛け、俺は文緒に説明する。

「ここに来たのは、スカイグループの前総帥である空知哉賀が、先日亡くなった愛する人が育ったここで余生を過ごしたいと言い始めたのがきっかけで……」

 妻ではなく『愛する人』という説明で濁そうとしたのだが、文緒は気がついたようだ。

「愛する人……? 奥さんではなくて?」

 素直に『愛人』と伝えた方がよかったか?
 返答に悩んでいると、文緒は不満そうな表情をしながら、口を開く。

「男の人ってどうして同時に何人もの人とそういう関係になれるの? 全然、わかんない!」

 す……すみません! 頭と下半身は別物なんです!
 ……なんて文緒に言えなくて、だけど責められた言葉になにも言えず、言葉を失った。

「むっちゃんはそんなこと、ないよね?」

 無垢な瞳でそんなことを聞かれたら……俺、外の太陽に焼かれて灰になってきてもいいか? いやむしろ、灰になってきた方がいいのかもしれない。

「え……いや、あの」
「むっちゃんは違うって信じてる。で、その哉賀さんだけど」

 文緒は勝手に結論づけてくれたが……残念ながら、文緒が思うような人間ではないんだよ、俺は。俺が文緒と同じ年齢の時なんて……ああ、思い出すだけ不毛だし、心が痛むからやめておこう。

「哉賀は高齢だし、俺たちだってここまで来るのも大変だっただろう? 周りが反対をしているんだが、それでも行くと言い張っているようなんだ。そこで、俺たちがここにきて賑やかにパーティをして、さっといなくなったら、淋しがり屋な哉賀は考えを改めて戻ると言ってくれるかなと……そういう訳で呼ばれたんだ」
「なーんだ。そういう理由だったのなら、やっぱり私、ついてきて良かったね」

 先ほどの不機嫌そうな表情が一転して、文緒はうれしそうな笑みを浮かべている。

「この間、手に入れたこの服、ようやく着ることが出来る!」

 と言って、一泊にしては大きすぎるかばんの中からパステルピンクのドレスを取り出した。ストラップドレスというやつなのか? 肩口は完全に布がなくて、ストラップのみ。胸元とスカート部分にドレープの効いた、中学生が着るにはかなりセクシーなもので、どこからそれ、持ち出してきたんだ。

「お母さんと衣装室をあさっていたら見つけたんだ。パーティに着ればいいわよってくれたの。この生地ならしわになりにくいからと思って持ってきたんだけど、よかった」

 良くない! 断じてよくない! 文緒のそんなセクシーな姿、他の人になんて見せられない! お父さんは許しません!

「ダメだ、そんな服だと」
「えー。大丈夫だよ、きちんとストールも持ってきたし。靴だって、ほら」

 ……ドレスの色に合わせたストールとともに出てきたのは、淡いピンクのハイヒール。

「ストッキングだって持ってきた!」

 ……文緒。たのむからおっさんを翻弄しないでくれ。いえ、まだね、スカートの丈が長いのが救いですが……。
 うれしそうに説明している文緒を見ていたら、なにも言えなくなってしまった。
 俺のスーツの横にうれしそうにドレスを下げている文緒を見たら、まあいいかなんて思う。女性が多い方が華やかだし。その中でも文緒が一番かわいいとは思うが。
 なんて親ばかなことを考えていた。
 そうやって部屋の中で片付けなどをしていたら、あっという間にお昼になってしまった。
 俺は文緒とともに守矢さんに指定された一階へとエレベーターで降りた。

     * * *

 午後十二時ジャスト。
 どこからかお昼を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
 俺たちはすっかりランチの準備が整った一階にいた。

「うわー!」

 文緒は上を見て、吹き抜けのこの空間に感嘆の声を上げている。ここから三階まで天井がないから、ものすごく広い空間に感じる。
 そして相変わらず、二階のあの渡り廊下が視界に入る。

「ねえ、あれはなに?」

 疑問に思ったらしく、文緒は繋いだ手を引っ張って俺に聞いてきた。

「あれだよ。止まり木のような渡り廊下。あそこから帰る直前に落ちたって話をしただろう?」
「え? あんなところから落ちたの? かなり高いよね? 痛かったよね?」

 心配そうな文緒に、俺は笑みを向ける。

「痛かったけど、骨も折れなかったし、身体はなんともなかったから」
「でも……一歩間違ったら」

 泣きそうになっている文緒の頭を手を繋いでいない反対の手でなでる。

「大丈夫。俺があそこから落ちてから、通行禁止にしたらしいから」

 潤哉がそんな話をしていたのを思い出して文緒にしたら、しかめっ面をされた。

「睦貴さま、どうぞこちらにお座りくださいませ」

 守矢さんが現れ、用意されたテーブルを指し示してくれた。
 俺は文緒の手を引き、そちらへ向かう。
 守矢さんは先に文緒に座るように椅子を引いてくれた。文緒が座るのを見て、向かい側に用意された椅子へと向かうと、守矢さんがすかさず椅子を引いてくれた。
 お屋敷に住んでいてもそういうことをされなれていない俺は戸惑いながら、椅子に座った。




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