愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【歓迎か否か】



 グレイのストライプのスラックスに丈の長い黒のジャケット、中には黒のベストにシルバーのネクタイ。中に着ているシャツは白。見事なまでの執事服。
 その上に乗っている顔は、細面でしわが刻まれたロマンスグレーの男。親しみを覚える笑みを浮かべた顔。どこかで見覚えがあるのだが……と少しだけ悩み、思わず声をあげてしまった。

「あ……」
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
「なんでもないことないでしょ? 顔色、悪いよ。大丈夫?」

 顔色が悪いと指摘され、自分の顔の温度が急激に下がったのを自覚した。
 こちらに歩いてきている執事服の男。昔より歳は取っているが、潤哉の専属執事といっていた人物だったのだ。
 まさか、いや、それならいいのだが……と様々な思いが駆け巡る。
 エンジンを切る時に震える指先で車のキーに触れると、温かく感じた。自分の体温がどれだけ下がっているのかそれで分かってしまった。

「文緒はこのまま中で待っていて」

 不満顔の文緒だったが、膝の上に手を置いて座り直してくれた。
 深呼吸をしたいところだったが、隣には心配そうな表情の文緒がいる。俺は強がり、なんでもない風を装ってドアを開けて身体を外に投げ出すようにして出た。そうしないと外にはいつまでも出られないような気がしたのだ。
 勢いよく外に出ると、うっそうとした木々が発するなにかと夏の熱気が一気に押し寄せてきた。外の空気を思いっきり吸い込んだ俺は思わず、咳きこんでしまう。かっこ悪い。
 咳払いをして執事が近づいてくるのを待つ。

「睦貴さま、お久しぶりでございます。遠路はるばる、よくおいでくださいました」

 俺から数歩距離を開けたところで執事は止まり、深々と頭を下げながらそんなことを言ってきた。

「お久しぶりです、守矢さん。お元気そうでなにより」

 十五年前の記憶を必死に探り、思い出した。守矢有馬(もりや ありま)というのが彼の名前だったと思う。

「わたくしのことを覚えていてくださいましたか。うれしゅうございます」

 守矢さんはうれしそうな笑みを浮かべ、俺を見ている。あれから十五年、か。

「先ほど連絡を入れたけど、急に連れが増えてすみません」
「お連れさまはまだお車の中でございますか?」
「え、ああ、そうだ」

 俺は慌てて助手席側に回ろうとしたが、守矢さんに制され、彼を見守る。

「かなりお若い女性ですが、睦貴さまの奥さまですか?」

 守矢さんは車内にいる文緒を見て、聞いてきた。

「あ……いや。『娘』です」

 俺の口から出たのは、文緒は『娘』だということ。関係を知らない人間に一言で説明するにはそれが一番手っ取り早いからいつもそう説明するのだが、そろそろいろんな意味で厳しくなってきたような気がする。

「それでしたら、お部屋はご一緒でも大丈夫ですね」

 ……へ?

「本日、久しぶりにこの別荘にお客さまがたくさんお泊まりになりますから、お部屋のあまりがなくて、どうしようか悩んでいたのです」

 ええええ、ちょーっと待ってくれ! 一緒の部屋に寝泊まりしたなんて知られたら、れれれれ、蓮さんに殺されるっ! 決してやましい気持ちがなくても、そんなことにならなくても、疑わしきは罰すると厳しい人だからなあ、蓮さん。

「あの……俺、廊下でいいです」
「睦貴さま、それはいけません!」

 や、いけないと言われても。

「『娘』は年頃だから……その、さすがに同室はまずいかなぁと」
「睦貴さま」

 本当に『娘』なんですか? という守矢さんの疑わしい視線。
 う……いや、確かにどう見ても『娘』に見えないよな。実際、『娘』ではないわけだし! 便宜上、『娘』と言っているだけであって……いやいや、俺にとって文緒は『娘』なんだ!
 俺は自分に言い聞かせるようにして、守矢さんにも念を押すように『娘』だと言い切った。

「それでは、お部屋にご案内いたしますね」

 守矢さんは人の良い笑みを浮かべ、俺にそう宣告した。
 あああ、蓮さんに殺されませんように。
 守矢さんは助手席のドアを開け、中にいる文緒に挨拶をしているようだ。なにか会話を交わしている。

「睦貴さま、お車はこのままここに置いていてください。わたくしどもが責任を持って駐車場へお入れしておきます。お荷物も後でお部屋へ運びますゆえ」

 もう逃れるのは無理らしい。
 部屋に案内してもらって、その後に俺は別の場所をどこか探そう。あれだけ広いのだから、どこか俺一人くらいが眠る場所くらいならありそうだ。
 車から降りてきた文緒は別荘の外観を見て感嘆の声を上げている。

「すごーい! お城みたい! それにあの蔦もすごいよね。鳥かごみたい!」

 文緒ははしゃぎながら俺に近寄って来て、いつものように手を握ってきた。握り返すと文緒はうれしそうな笑みを浮かべて俺を見た。

「それでは、ご案内いたします」

 守矢さんの瞳にはこの光景はどう映ったのだろうか。本当の親娘に見えなかったかもしれない。普段なら困ると思っただろうが、なぜかこの時は
「それでいい」
と思ってしまったのはどうしてだろう。
 俺は文緒の歩調に合わせて十五年ぶりの別荘を複雑な思いで見つめながら、歩いていた。
 外観をぐるりと回るように歩き、角を曲がったところで文緒が急に足を止めた。

「うわぁ!」

 うっそうと茂った木々の葉の隙間から、こぼれ落ちてくる太陽の光を反射する螺鈿(らでん)たち。虹色の光を放つそれに文緒は目を奪われたようだ。

「きれいー!」

 この別荘は俺の物ではないのだが、文緒にそう言われ、なんだかとてもうれしくなる。先ほどまで沈みがちだった気持ちが徐々に浮上してくるのが分かった。

「このきらきら光ってるのって、なに?」
「真珠の養殖で使うアコヤガイを研磨して埋め込んだものらしいよ」
「これ、全部貝なの?」
「そうみたい」

 昔、潤哉に教えられたことを伝えると、文緒はさらに目を輝かせた。

「すごいんだね!」

 俺の手をすごい勢いで振り回しながらはしゃいでいる文緒を見ると、俺まで浮かれてくるから不思議だ。
 守矢さんはそんな俺たちを見てどう思っているのか分からないが、笑みを浮かべて見ている。
 文緒は恐る恐る、螺鈿で飾られた道へ白いスニーカーを差し出した。その途端、光がはじけて消える。文緒は驚き、足を引っ込めた。するとまた、そこは光を反射して瞬き始めた。文緒は不思議そうに首をひねり、先ほどよりゆっくりと足を差し入れはじけるさまを見て、おびえるように俺の腕にしがみついた。

「大丈夫だよ。別に壊れたりしないから」
「ほんと? 私がここに乗っても、壊れない?」

 文緒なんて細くて軽いのに、壊れるわけがないだろう。
 苦笑しつつ、俺は大丈夫と文緒に示すために足を踏み入れた。俺の濃茶の革靴が螺鈿の道に入った途端、輝いていた瞬きは消え、黒く縁取られる。不安そうな表情を浮かべた文緒は首を振り、戻ってくるように腕を引いてきた。

「ここを通らないと中に入れないよ」
「でも……」
「大丈夫。一時的に光を遮るから消えるだけだよ。ほら」

 と文緒を逆に引っ張るようにして、もう一歩だけ歩みをすすめる。先ほど俺の足があったところは遮る物がなくなり、光は復活した。文緒はそれを見て安心したようで、大きくジャンプをして俺の真横に到着した。

「それなら、入口まで競争しよう!」

 そういうなり、文緒は俺の腕を引っ張り、走り出した。一瞬、戸惑ったが、文緒につられて走り、守矢さんを抜かしていた。
 あっという間に螺鈿の道を抜けて、文緒は確認するために振り返った。そこは俺たちが通ったにもかかわらず、以前と変わらぬ輝きを放っていて、それを見て安堵したようだ。
 守矢さんは変わらぬ足取りで俺たちが待つ入口まで到着すると、お待たせしましたと言って扉を開けてくれた。
 重々しい木の扉が開き、中のひんやりとした空気が流れ出してくる。その空気に自分の体温が通常に戻っていたことに気がついた。
 文緒には帰れと言ったけど、残ってくれて良かったなんて改めて思ってしまう。
 中に入ると、外との明暗差が激しく、目がくらむ。数回瞬きをすると、間接照明の暖かな光に包まれた空間が見えてきた。
 天井も壁も床もすべてパイン材で出来たエントランス。年輪がよく見えるように加工された板を使ったそこは、月日が経ったせいか、昔より色が沈んで見えた。
 文緒は物珍しそうに見回しながら守矢さんの後についていく。
 エントランスを抜けると、すぐそこはホールになっていた。すぐに右に折れ、エレベーターへと向かう。
 あれ? 前に来たとき、こんなもの、あったかな?
 階段しか使わなかったから、俺がここに来た後に取り付けられた物なのかもしれない。





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