愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【兄貴の負い目】




「これは、喬哉本人から直接聞いた話ではない。俺があいつの記憶を見て、その後、色々と調べて分かったことを交えて語る話だ。憶測がかなり含まれていることを前もって伝えておく」

 そう言って、兄貴は語り始めた。

 今から時をさかのぼること、十七年前。空知喬哉、社会人二年目の出来事。
 その頃はまだ、スカイグループは今ほど大きくなく、将来を有望視された成長途中の企業だった。TAKAYAグループはその一歩か二歩ほど前を突っ走っていて、それに必死になってついてきてくれる数少ないグループでもあった。

「元々は敵対関係にあったグループではあったのだが、利害関係が一致したために、かなり懇意な付き合いがあったんだ」

 そんなグループの後継者として働き始めた喬哉だったが、とある事件がきっかけで、みるみるうちに堕落していったという。

「俺はその当時からパーティなんて人が群がる場所に行くのが嫌で仕方がなかったのだが、喬哉は父の哉賀によく似て、華やかな場所が好きだったようだ。顔を売るという目的も大いにあったのだろうから、積極的にそういう場には顔を出していた」

 それが仇になったんだよな、と兄貴はささやいた。

「どこが主催したパーティかは知らないが、そこそこ名の知れたホテルでかなり大規模なパーティがあり、喬哉もここまで規模の大きいのは初めてで、それで緊張と雰囲気に飲まれていつも以上に酒を摂取してしまい、かなり意識がもうろうとしていたようだ。気がついたら、なぜか客室のあるフロアにいて、慌てて会場に戻ろうとしたところ、トラブルに巻き込まれた」
「トラブル?」
「ああ。トラブルとしか言えない出来事だ。そのフロアはとある人物が貸切にしていて、普通なら入り込めるはずがなかったのだが、喬哉はひょんなことからたどり着いてしまった。驚いて戻ろうとしたところ、間が悪いことに、フロアを借りていた人物に見つかってしまったんだ」

 フロアを貸し切る、ということはお忍びで来た海外の要人やVIPがするらしいのだが、そういう場合は見られても『黙っておいてください』で済む話のような気がするんだが……。なんだか嫌な予感。なぜか俺の背筋に冷たいものが流れる。

「そのフロアを借りた人物は、自分がそこにいることをだれにも知られたくなかったようなんだ。まさか喬哉と廊下で遭遇するとは思わず、そいつは慌てて喬哉を部屋に連れ込み……」

 殺した……というわけではないよな? 潤哉は殺されたとは言ってない。だから少し安堵はしていたのだが、続けられた言葉は、ここであっさり殺された方が良かったのではないかと思える内容だった。

「あろうことか、喬哉にクスリを打ったんだよ」
「……え? クスリ?」
「ああ。酒で酔っているところをクスリを打たれ、もうろうとしている中、たちが悪いことに女に犯されているところまでビデオに撮られてしまったんだ」

 うげ。
 それはひどい。

「成長過程にあるスカイグループの後継者のスキャンダル。表に知られたら……と喬哉は脅され、女の言いなりになるしかなかった」
「だけど……自ら進んでではなかったんだろう? 警察に駆け込めば」
「確かにな。冷静に考えればそうするのが正しかった訳だが、初めてだったらしくてな」

 と兄貴が言いよどんでいる。

「喬哉という男は、どこまでもまっすぐで、正義感が強かったんだ。だから、『おれが正しい道へ導いてやる』と思っていた部分もある。それと、惚れた弱みってヤツだな」

 惚れた弱み……なのか。
 喬哉はそういう特殊な状況下に置かれ、勘違いしていたのではないだろうか。男という生き物は、肉体的快楽に対してかなり弱い。快楽を愛情と勘違いしていた可能性は高い。

「しかし、クスリというのは本当に恐ろしい。そういう男でさえ、はまって溺れていってしまったのだから。いや、そういうまっすぐな男だったから余計に抜け出せなくなってしまったのかもしれないな」

 人間を破壊してしまうクスリ、か。

「クスリをやっていると、超人的な力を発揮できたりするから、仕事が忙しくなりだした喬哉にとっては当初は助かっていた部分もあるみたいだ」

 しかし、と兄貴は続ける。

「そもそも、そういったクスリがどうして法律で禁止されているのか。使用することで幻覚状態やせん妄(意識混濁および幻覚、錯乱状態になること)に陥って、暴力や殺人といった犯罪に繋がるケースが多々あるからだ。あるいは、薬物依存症になってしまうと、どうあってもそれを手に入れるために犯罪に手を染めやすい」
「転落していく一方ということか」
「そうだ。そういった薬物は高値で取引されている。そして、使用すればするほど耐性が付き、どんどんと使用量が増えていく。そうなると資金が必要になってくる。通常の金貸しから金を借りるが、そのうち上限額になって借りられなくなり、また、借りたからには返さなくてはならない訳だが……たいていが返せなくなる。そして、闇金から金を借り……負のスパイラルだな」

 恐ろしい。
 ヘタレな俺は近寄りたくもない。

「喬哉もいけないと思いつつも抜け出せずにいたようだ。ある日、仕事の取引で久しぶりに喬哉に会ったんだが、あまりの痩けように驚いた。そして、見てしまったんだ、一連の出来事を。俺は黙っていることが出来ずに、喬哉にそのことを指摘したんだ。早いところ抜け出せ、と」

 そして兄貴は、両手を強く握り合わせ、額に押しつけた。それは、懺悔をしているように見えた。

「それから数日後、喬哉は飛び降り自殺をしたと聞かされた」

 俺は息を飲んだ。
 そうだ、潤哉に言われた。
『おまえの兄のせいで、喬哉兄さんは……死んでしまったんだ!』
 本当に兄貴が絡んでいたとは思わず、俺はなんと言えばいいのか分からなかった。

「喬哉は、依存から抜け出すために、クスリ断ちをした矢先だったみたいなんだ。禁断症状が出て、訳が分からないまま飛び降りたというのが真相のようだ」

 喬哉の死をバネに、哉賀はますます仕事にのめり込み……今の地位を築き上げたという。

「喬哉の死の真相は表沙汰にならずに済んだんだが、それ以外にも空知は色々と問題がある。それでも、メリットの方が大きいから未だに付き合いが続いている」

 俺が昔、空知について調べた時、喬哉は過労による自殺だったのだが、真相がそうであれば、真実が表沙汰にされることはないだろう。

「あれ? 今ってスカイグループの総帥は?」
「喬哉の二歳下の実弟・和哉(かずや)だ。哉賀は数年前に引退している」

 ああ、思い出した。『若手の総帥!』とビジネス誌を一時期、賑わせていた。哉賀によく似た、気が強そうで融通が利かなそうな顔をしていた。
 そういえば、潤哉とは全然、顔が似てなかったな。あいつは母親似ということか。

「ということで、行ってきてくれ」

 ようやく、本来の用件を思い出した。

「頼むな」

 それと同時に、はかったかのように智鶴さんが帰ってきた。
 くっそぉ、反論も拒否権も俺にはなしかよ!

「七月三十日と三十一日の一泊二日。よろしく頼むな」
「あら? 睦貴、どこかお出かけなの? 気をつけてね」

 あああ、兄貴の馬鹿野郎! あんな話をされた上に今更、やっぱり行かないなんて言えないじゃないか!
 しかも、智鶴さんにそんなかわいく
『気をつけてね』
 なんて言われたら。

「……行ってくる」

 ──気がついたら、そんなことを口にしていた。
 馬鹿兄貴めっ!
 あれも絶対、兄貴の作戦だ! 基本はヘタレなのに変なところで強がる俺の性格がよく分かっているぜ!
 結局、ヘタレな俺はそのまま逃げるように部屋から出て行くことしか出来なかった。

     * * *

 次の日の朝。佳山家に朝食を食べに行き、そのときに外泊をする旨を蓮さんと奈津美さんに伝えた。二人は顔を見合わせ、かなり驚いた表情をしている。

「珍しいな。一泊とはいえ、外泊とは」

 珍しくともなんともないんだが。……予期せぬ外泊なら。

「ニートなのに外泊か……」

 蓮さん……痛いよ。ニートというのは否定できないから! 反論出来ないことを言うのはやめてっ!

「これは雷が落ちるわね」

 奈津美さんも……そういう不吉なことを言わないでください。

「おはよう。なになに、むっちゃん、どこかに行くの? お仕事?」

 夏休み中とはいえ、いつも通りに起きてきて朝食にやってきた文緒は、朝の挨拶をするなり、会話に割り込んできた。

「仕事ではないんだが……兄貴に頼まれて」
「アキさんに? いいなあ、私も行きたい!」

 文緒が行きたいと言った瞬間、俺はあの架け橋から落ちたことを思い出し、いつになく強く

「ダメだ」

 と言っていた。三人とも驚いた顔をして、俺を見ている。
 ど、どうしよう……。

「なにか後ろ暗いことがあるってことか」
「むっちゃんのケチ!」

 そういう訳ではないのだが、否定することができなかったのが後々に影響してしまうなんて、この時の俺には思いもよらなかった。





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