アザミが見た夢《裏切り》
喬哉は特になにかを手に持っているわけではない。服の下に隠しているようにも見えない。
それでも、喬哉の醸し出す雰囲気に俺は恐ろしくなり、身の危険を感じた。
喬哉の殺意を察してか、桜の花たちがざわめき始める。
咲き始めたばかりなのに、桜はなにかを暗示するかのごとく散り、喬哉の髪に何枚か落ちた。入学式の日に頭の上にのっていた一枚の花びらが落ちたことをなぜか鮮明に思い出す。
桜の花たちをバックにした喬哉は、今まで見てきた中で一番華やかで、美しく……そして、悲しかった。
悲しい?
悲しいのは喬哉なのか? それとも、俺なのか?
エイプリルフールは数日前に終わっていたが、もしかしたらこれは喬哉流の俺いじりなのかもしれない。
喬哉の言った言葉を信じたくなくて、俺はそう考えた。
「喬哉、今日の冗談はちょっといくらなんでもきつすぎないか?」
「冗談でも嘘でもない。むしろ、今までの関係が嘘だったんだ」
口元はうっすらと笑っているが、目はじっと俺を見ている。
そうだ、たまにこんな目をして俺を『観察』していた。居心地が悪いと感じながらも、気がつかない振りをしていた。喬哉の中になにか隠し持った気持ちがあるのも勘付いていた。それでも、俺と喬哉のこの関係を続けるには『気がついていない』振りをし続けなければならなかったのだ。
もし、最初にこの違和感を覚えた時。
そのことに俺が少しでも喬哉に伝えていたら、今日のこの場面を迎えることはなかったのだろうか。
いや、きっと、その時期が早まるだけだったに違いない。
「本当は、あの夏の別荘で決着をつけようと思っていたんだ」
あの鳥かごのような不思議な別荘を思い出そうとするのに、ぼんやりとしか思い出せない。それほど前の出来事ではないのに、どうして今はものすごく遠く感じるのだろうか。
喬哉によって
「偽りだった」
と言われたからだろうか。
いや、違う。
「まさか帰る前に自らあそこに行ってくれるとは思ってなくて、しかも勝手に落ちるとは予想外すぎて、焦ったよ」
はははと喬哉は乾いた笑い声を上げる。
「睡眠薬を入れたのも気がつかれるかと思ったら全然だったし、ほんとにおまえは『高屋』なのか?」
口の中にあの時の苦みがよみがえってくる。
別荘での思い出は漫然としているのに、どうしてそういう部分だけは鮮明に思い出すのだろうか。その味を打ち消したくて唾を飲み込もうとしたが、口の中はからからで失敗に終わった。
「鈍感なのか気がつかない振りをしているのか。読めなくて、最初に立てていた計画を考え直さなくてはならなくなるなんて、予想外だ!」
たぶん俺は、鈍感なのだろう。気がつくことより気がつかないことの方が多いから。
目の前の喬哉はたぶん、怒っている。こういうとき、やっぱり素直に謝るのがいいのだろうか。
「あの……ごめん」
なんと言えば良いのか分からなくて、結局、謝った。
「おまえ……本当に馬鹿だな」
馬鹿と言われると、反論しようがない。本当に俺は勉強しかできない馬鹿だから。
母から逃れることも出来ず、そこから逃げるときに周りを巻き込み、そして喬哉からも恨みを買うような人間だ。だれ一人、隔てることなく周りと上手くやっていた喬哉に『復讐するため』と言わしめるような人間なのだ、俺は。
「近づくのもかなり苦労したよ。予想以上にガードは堅いし。かと思ったら、いったん懐に入ると驚くほど無防備で、見ているこちらが心配になるほどだった。これから復讐しようとしている人間に対して抱く感想じゃないというのに……ほんと、おまえはすごいよ」
「喬哉は友だちだから……」
「それだよ。そういうところ」
指摘されてもまったく分からない。
「無意識なのか意識的なのか。おまえの側は居心地が良すぎて、何度も流されそうになった」
喬哉はどうしてわざわざそんなことを言ってくるのだろうか。
「だけどこれは『偽りの関係』なんだと何度も自分に言い聞かせ……今日でおしまいだ、高屋睦貴」
分からない。
喬哉がどうして俺に対して『復讐』をするのか。
「喬哉、どうして? 俺……おまえに恨まれるようなことをしてきたのか?」
俺のその質問に、喬哉はようやく笑った。俺は思わず、その華やかな笑みに見惚れる。ああ、やっぱりいつもの喬哉だ。
そうほっとしたのもつかの間。
喬哉はすぐに笑みを消し、俺をじっと見つめる。
「オレには『復讐』をする理由があるんだよ」
全く心当たりはない。
喬哉は俺に復讐をするために近づき、じっとそのチャンスをうかがっていたということか?
そもそも、喬哉に出会ったのは入学式が初めてで、それ以前に接点はなにもないはずだ。
あの楽しかった日々は喬哉が復讐するための布石であり、嘘と偽りだったということなのか? 俺を信用させて、落とすための?
楽しかった思い出しかない。
もちろん、別荘で落ちたのは痛かったけど、あれは俺にとってマイナスどころかプラスだった。母と離れられるいい理由だったし、冷静に考えるためのいい機会だった。
ハムレットだって大変だったけど、初めて『やり遂げる充実感』を喬哉が教えてくれた。
あの後、色々大変だったのだが。
バレンタインは靴箱の中にも机の中にもロッカーの中にもチョコレートがあふれて、喬哉たちと笑いながら分けて食べても余るほどだった。
『生まれてくる性別、間違ったのかもな。おまえが女だったら、オレも間違いなく、惚れていただろうな』
なんて喬哉は言っていたのに。
『男同士だからこうやって会って、友情を育めたんじゃないか』
と言ったとき、喬哉の表情が陰ったのは今でも忘れられない。
『友情だなんて、どこで覚えてきたんだよ』
『武者小路実篤の
「友情」
で』
簡単なあらすじを言うと、もてない野島、もてる大宮、杉子の三人が出てくる。もてない野島ともてる大宮はとっても仲がいい。もてない野島は杉子に惚れ、もてる大宮に相談をする。もてる大宮はもてない野島と杉子をくっつけようとするが、やっぱり野島はもてないわけで、結局、杉子は大宮に奪われてしまう、というもの。
『あれって恋愛が絡んで友情が台無しになる話じゃないか』
『大宮のせいでか?』
『そう。親友だと思っていた男に惚れた女を横取りされたんだぞ?
「友情」
とはかくも儚きものかな』
そういった喬哉の目は、辛そうだった。
そのときと同じ目をして、喬哉は立っている。復讐をする者がする瞳ではない。
辛いのなら、やめればいいのに。
そう言いたいのだが、言えずにいる。
喬哉が復讐をやめると言っても、お互いの心にわだかまりが残るのは分かっている。それならば、俺は喬哉の思いを受け止めるしかないだろう。それで喬哉の気が済むのなら。
それでもまだ、どこかで喬哉が
『今までのは嘘。あははは、だまされた?』
と言ってくれるのを待っている俺がいる。それに一縷の望みをかける。
「嘘だ。あれは……嘘や偽りじゃない! あの時間たちは、確かに俺たちのものだった!」
いつものように華やかに笑ってくれるのを期待していたのに、喬哉が浮かべたのは、皮肉な笑みだった。
「どこまでもめでたいんだな。あれはおまえの信用を得るための演技だったんだよ」
演技……だって?
そう言われて、思い当たる節がたくさんある。
入学式が終わって教室に移動した後に初めて会話をしたときの喬哉の顔。その後に見せた、人懐っこい笑顔。その中でたまに見せる、冷たい表情。
ずっとなにを考えているのか気になっていた。
だから喬哉がしつこく相手してくるのを拒否することが出来なくなってしまったのだ。つきあえばその意味が分かるのかと思って。
今思えば、あのままずっと喬哉が諦めてくれるまで拒否していれば良かったのかもしれない。
だけど……今までの思い出は楽しかったものしか残っていないから、これで良かったのだと思う。今までの出来事を否定するなんて、出来ない。
先ほど、喬哉の思いを受け止めてあげなくてはと思ったが、やっぱりそれは出来ない。
「喬哉は俺の、『親友』だよ」
喬哉は俺の言葉に、鼻で笑った。
「『高屋』のくせに、人を信じすぎなんじゃないのか? そんなので今まで、よく生きて来られたな。あ、もしかして……信じすぎるお人好しで傷つくのが嫌だから、人と関わらないようにしてきたのか?」
喬哉の指摘は図星すぎで、思わず、顔がこわばる。
「あたりか」
喬哉は心底、おかしそうに笑う。
「俺は」
口の中は乾き、喉が引きつって声がかすれるが続けた。
「喬哉のことは親友だと思っている。今だってそうだ。生涯、おまえ以上の」
喬哉は俺の言葉にかぶせるように口を開いた。
「『親友』なんて薄っぺらいモノにあこがれを持つなんて、意外に普通なんだな」
今まで、喬哉からは『変』だとずっと言われ続けていて、ここで初めて『普通』と言ってもらえた。俺はそれがものすごくうれしくて、こんな場面だというのに、笑ってしまった。
「やっぱり喬哉は、俺の大切な『親友』だよ」