愛から始まる物語


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アザミが見た夢《かごの中の鳥》



 この鳥かごを模した建物はここだけではなく、隣にも建物があった。こちらが宿泊棟になっているようだった。

「二階は使用人たちの部屋だ。三階がゲスト室になっている」

 本棟と宿泊棟は地続きになっていて、境目がよく分からなかった。

「ゲスト室は五部屋。どの部屋も造りはほぼ一緒。トイレとシャワー室は各部屋にある」

 喬哉はカーゴパンツのポケットからなにかを取り出した。

「これが部屋の鍵。睦貴の部屋は椋鳥(ムクドリ)にしておいた」
「ムクドリ?」
「そう。ゲストルームはすべて鳥の名前がついているんだ。金糸雀(カナリア)、孔雀(クジャク)、椋鳥(ムクドリ)、山翡翠(ヤマセミ)、瑠璃鳥(ルリチョウ)。まったく、悪趣味だよな」

 忌々しそうに喬哉はつぶやき、俺を見る。

「娘は逃げようとしなかったのかな? そこまで縛るほど、いい女だったのか?」

 それはまるで、母から逃げようとしない俺を責めているようで、喬哉の言葉が心に刺さる。しかし、喬哉は俺と母との関係を知らないはずだ。だから俺を責めているわけではない。そう自分に言い聞かせないと、表情に出てしまいそうだった。俺は喬哉から目をそらし、その問いに答える。

「その二人を知らないから、なんとも言えないな」
「知らないはずはない。世界的に有名な画家の家だったんだ、ここは」
「だれだ、それ?」

 喬哉の口から出てきた名前は、俺もよく知っている画家だった。

「早谷宮雄(はやたに みやお)のアトリエだったんだ、ここは」

 柔らかい鉛筆画にパステルカラーで色づける画風で、その絵のモチーフは特徴的な少女ばかりだ。

「あのモデルになった少女は、この鳥かごの中に閉じ込めていた自分の娘だったんだよ」

 その執念みたいな妄念を知り、ぞっとする。あんなやさしい絵を描ける人間も一皮剥くと欲望の塊と知り、人間の業の深さを思い知らされた。

「オレは椋鳥の向かい側の金糸雀にいる」

 喬哉はそういうともうひとつ鍵を取り出し、黄色い扉の中に消えていった。その向かい側の扉は濃いグレイ色。プレートがつけられていて、そこに『椋鳥』と書かれている。隣の『山翡翠』は白と黒のまだら模様、奥の瑠璃鳥は青色。金糸雀の隣の孔雀は緑色。それぞれの羽の色が扉の色になっているようだった。
 渡された鍵を使って『椋鳥』の部屋を開ける。部屋の中へ入ると、正面に大きな窓。カーテンは開けられていて外の光をふんだんに取り込んでいて、明かりをつけなくてもとても明るい。
 窓のすぐ前にアイボリーのシーツの掛かったダブルベッド。ベージュの絨毯が敷かれていた。
 右側を見ると、ここがトイレとシャワー室になっているのだろう、扉がついた部屋がある。室内へ足を運ぶと俺が持ってきた荷物が置かれていた。
 俺は一通り、室内の設備を見て回った。お屋敷以外で寝泊りしたことがないので比較対象はないが、それでも数泊するには充分な空間であることは分かった。
 ベッドの端に腰を下ろす。
 この別荘は早谷宮雄のアトリエだった。
 ここに閉じ込められていた彼の一人娘。
 ここはだれにも邪魔されない、二人だけの世界だった──。
 早谷は病死と聞いているが、そうなるとどうにも怪しい。発表された死因は『心不全』。もともと心臓が悪かったというから、それほどあやしまれることはなかったようだ。しかし、自殺や公表できない理由での死の場合に便宜上、つけられることの多いものだ。
 ふと、思い出す。
『喜貴がわたしのものにならないのなら、あなたを殺してわたしも死ぬの!』
 狂気を宿したにごった瞳で俺ではないだれかを見ていた母。早谷は同じように妄執に捕らわれていたのだろうか。娘の行方を知らない俺は、最悪の事態を想像してしまった。
 そんな物騒なことを考えてはいたものの、昨日、あまり寝ていなかったので、こうして穏やかな一人の時間を持て、眠くなってきた。ベッドに身体を横たえて目を閉じた途端、俺は夢の世界に引きずり込まれてしまった。

 ドアをノックする音で目が覚めた。
 見慣れない天井に俺はあわてる。そしてすぐにここが喬哉と一緒に来た別荘であることを思い出す。

「睦貴、いるか?」

 喬哉の声が扉の向こうでする。俺はベッドから降りてドアを開けた。

「もしかして、寝てた?」

 ドアを開けるなり、喬哉の視線は頭へ向いていて、そう指摘された。そうだった、すぐに寝癖がつくんだった。朝もシャワーで軽く流さないと人前に出られないほどなのだ。

「寝癖がついてるぞ」

 俺はあわてて手櫛で髪を整える。

「そろそろお昼なんだが、食べに行かないか?」

 といわれ、もうそんな時間だということを知った。
 喬哉と一階まで降りて、用意されたランチを食べる。
 外の日差しを取り込みやすいように造られたこの建物。しかし、今は梅雨明けがまだとはいえ、夏なので、逆効果となっている。冷房が入っているとはいえ、温室効果とでもいうのだろうか、暑さを感じる。それでも、梅雨の晴れ間はうれしく思う。
 広いホールのようなここで喬哉と二人、用意してくれていたランチを食べた。高屋のお屋敷の食事とは違うが、それでも美味しかった。

「まだまだここは見るところがたくさんあるから、見て回ろう」

 という喬哉の誘いに乗り、俺たちは別荘内をくまなく散策した。
 早谷のアトリエだったというだけあり、その名残があちこちに残っていた。突然、思いついたのか壁に描かれたラフ画、彼が絵を描くために集めたという資料。そこで足止めをくらい、喬哉に次に行こうとしつこく促されないと動けないほど、興味深いものばかりだった。

「一泊しかできないのが残念だ」
「ほんっと、おまえは本の虫だな」
「だって、ものすごく興味深かったぞ。特に動物の解剖図が載っていたあの図鑑!」
「持って帰るか?」
「え? いいのか?」
「いいよ。ここにあってもだれに見られることなく、劣化する一方だし」

 俺たちはもう一度、資料室へと足を向けた。俺はそれほど物欲が強いほうではないと思うが、これだけはどうしてもほしいと思ってしまった。後ろの発行日と出版社、そしてISBNコードをメモして、帰ってから調べようと思っていたほどだったのだ。それをすることなく手に入ったことに、俺は満足していた。
 本を大切に抱えて椋鳥の部屋へ戻った。

「夕食まではまだ時間があるな。そっちの部屋に行っていいか?」

 と喬哉に聞かれ、嫌とは言えないだろ、こういうとき。それに、俺ももう少し喬哉と話をしたいと思っていた。

「いいよ」

 部屋の中に入り、譲り受けた本を大切に棚の上に置く。

「早谷は画家としても才能があったが、この建物も彼が設計したらしく、建築業界ではかなり高い評価を得ているらしいんだ」

 喬哉と並んでベッドに座り、俺たちは話をした。
 学校での出来事、好きな食べ物、夏休みの宿題……。他愛のない話だったが、お互い、家族の話をするのを意識的に避けていたような気がする。

「朝にも言ったけど、まじで夏休みが終わる前に一度、睦貴の家に遊びに行ってもいいか?」

 その話題が出るのを恐れていたのだが、喬哉は忘れていなかったらしく、話を出してきた。

「今まで、人をお屋敷に招待したことがないから、どうすればいいのか分からないんだ」

 お屋敷にいる間、母は他人が見ても気持ちが悪いほど、俺にべったりと引っ付いているのだ。あの母を説得して、だれかが来ている間だけでも離れておいてほしいなんて俺には言えない。

「おまえ、本気の本当に今まで、友だちがいなかったのか?」

 改めてそう聞かれると、そうだとうなずくしかなかった。

「うわあ、重症だぞ、それ」

 飽きれたような喬哉の声に、俺はどう返してよいのか悩み、うつむいた。
 他人との接し方が分からないのだ。幼稚園は母の都合で行くこともなく、集団生活を経験することなくいきなり小学生になった。小学生の頃から周りから浮いている自覚はあった。どうやって人の輪に入っていけばいいのか分からず、しかも『高屋』ということで一歩どころかかなり距離をとられていた。その輪に飛び込む方法を知らなかったし、そんな苦労をするくらいなら一人が楽だと思い、常に一人だった。
 小学生の頃はペアになったりグループになったりしてする実習が多くて、苦労した。いつだって俺は一人になり、だれもが俺と組むのを避けた。
 中学生になり、小学校からの持ち上がり状態だったのでもちろん、輪に溶け込めるわけがなかった。
 そして母に教えられたオンナの味を忘れたくて──オンナたちは俺をめぐって泥沼の争いを繰り広げてくれた。

「学生時代に人間関係の作り方を知っておかないと、社会人になってから苦労するって兄が言っていたぞ」

 ここで始めて、喬哉の口から家族の話が出てきた。喬哉はその話を口にしてからなにかを思い出したらしく、珍しく少しだけ視線が泳いだ。触れないほうがいい話題のような気がしたので、

「そうなんだ」

 とどうとでも取れる言葉を返しておいた。
 それ以降、喬哉の口から家族の話題が出ることはなかった。なにかゆがみを感じながら、俺はあえて、言及しなかった。





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