愛から始まる物語


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アザミが見た夢《親密》



 入学して数週間が経った頃。クラスの親睦と他のクラスとの交流を持つという目的で、球技大会が行われた。競技はバレーボール、ダブルスのバドミントン、シングルの卓球。俺は迷わず、卓球を選んだ。チームプレイは苦手だし、ダブルスも相手を探すことを思うと憂鬱になる。一人でできる卓球しか選択肢がなかったのだ。
 運動は人並み程度にしかできないので適当にやってとっとと負けてのんびりしようと思っていたのに、なにげに負けず嫌いなところがある俺は、気がついたら本気でやっていて、優勝してしまった。変に目立ってしまったことは不本意だった。

「中学の時、卓球部とかだったのか? あのスマッシュ、すごかったな」

 決勝戦を見ていたらしい喬哉に声をかけられたが、俺は返事をしなかった。クラブ活動なんて母が許すわけないので、ずっと帰宅部だった。
 お屋敷の中にずっとこもっていると憂鬱だったので、真似事のようなことはやっていた。母は迷惑なことに、ご丁寧にもその道のプロをコーチに呼んでくれて、一連のスポーツはしごかれていたというのはある。

「その腕を見込んでお願いがある。バドミントンの相方ががんばりすぎて、肉離れを起こしてピンチなんだ。次、決勝戦なのに、不戦敗は悔しいんだ」
「他を当たれよ」
「みんな、自分たちの試合がまだ残っていて、身体が空いてるのはおまえしかいないんだ。な、頼むよ、睦貴」

 勝負をしないで負けてしまう悔しさが分かってしまった俺は、気がついたらバドミントンのコートに喬哉と立っていた。
 ……馬鹿だ、俺。
 試合開始のホイッスルとともに、俺は無我夢中になった。
 しかし、驚いた。ダブルスなんて始めてしたんだが、喬哉とは今の今、初めて組んだとは思えないほど、試合がやりやすい。なんだ、こいつ?
 試合が終わってみれば、俺たちが圧勝だった。
 周りを見ると、あまりの白熱ぶりにギャラリーが山のように出来ていた。

「おまえたち、いつの間に練習していたんだ?」

 優勝が決まった途端、クラスの人たちが押し寄せてきて、そんなことを聞かれた。

「ついさっき、お願いして初めて組んだんだが」
「嘘だろ、おまえら! 息が合いすぎ!」

 賞賛の言葉とともに、俺と喬哉はもみくちゃにされた。そんな経験は初めてで、俺は自分の気持ちもよく分からず、どんな顔をすればいいのか悩み、中心部でうつむいていた。

「睦貴、うれしそうな顔をしろよ。優勝できて、うれしくないのか?」

 喬哉に聞かれ、ようやく自分の中にある感情がなんというものか分かった。そうか、この気持ちが『うれしい』という物なのか。俺はそんなことさえも分かっていなかった。

     × × ×


「睦貴、こっちで一緒にお弁当を食べようぜ」

 お昼休み。いつも通り、一人でお弁当を食べようとした途端、喬哉に声をかけられた。かなり迷い、俺はお弁当を持って喬哉の側へと向かった。
 教室の隅に作られた、喬哉たちのお弁当スペース。熱心に観察をしていた訳ではないが、いつもメンバーが違う。喬哉の気分によって声をかけられる人間が違うようだ。
 俺が近づくことで、その場の空気が変わる。今まで和やかだったものが、戸惑いと硬質なものへとなった。俺が加わることで空気が変わってしまったことに、申し訳なくなって端に座る。
 喬哉はそんな空気に気がついてないように口を開き、会話を盛り上げる。次第に俺の存在は消え去り、楽しい物へと変わっていく。俺にはとてもではないができない芸当だ。
 人をひきつけて止まない喬哉。世の中にはこういう人間もいるようだ。

「そういえば、そろそろ中間考査だよな」

 俺はお弁当を食べながら、周りの人間を観察していた。手作り弁当が大半だったが、菓子パンや市販の弁当を食べている人もいた。喬哉を見ると、いかにもお手製のお弁当だった。俺のお弁当は、お屋敷の食事を管理している人が作ったものだ。いつも美味しいが、食べる度に淋しさが募る。
 『高屋』という家に生まれた運命と言われたらなにも返せないが、いつもどこかで淋しさを感じていた。どこかになにか大切なものを忘れて来たような、そんな漠然とした焦りにも似た気持ち。それをなんと言えばいいのか分からなかったが、俺はいつもどこかで『待って』いた。
 喬哉と話をしていると、いつも感じているその気持ちが薄れているような気がする。

「睦貴は余裕だろう?」

 突然、話を振られてあわてて顔を上げる。

「ぷっ。おまえ、いい年して、頬にご飯粒つけてるなんて、かっこ悪いな」

 その言葉に、周りの空気が急に変わった。笑いたいけど笑えない、我慢しているときの爆発寸前の空気だ。喬哉に指摘され、あわてて頬に手を当てる。右の唇の端に、指摘されたとおり、ついていた。ぼんやりしながら食べていたからだろう。

「ありがとう……」

 ぼそりとつぶやくようにお礼を言ったら、思わず目を見開いて見つめてしまうほど、喬哉は花が咲いたかのような笑みを浮かべた。もちろん、そんな趣味はまったくないが、思わず見惚れてしまった。間抜け面の俺の顔に耐えられなかったヤツがいて、ぷっと吹き出したようだ。それに連鎖して、笑い声がさざ波のように広がった。みんなの顔には笑みが浮かんでいる。それを見て、俺もなんだかうれしくなる。気がついたら、つられて笑っていた。

「なんだ、笑えるんだ。いつもしかめっ面してるから、顔の筋肉が硬直しているのかと思っていた」

 気がついたら真横に喬哉がいて、そんなことを言っている。

「睦貴、もっと笑えよ。いい笑顔だったぜ」

 そんなことを言われて恥ずかしくて、自分の頬に熱を感じた。

「は、恥ずかしいヤツだな」
「顔真っ赤なヤツにそんなこと言われても、なんともない」

 と言っている喬哉も俺の羞恥心が移ったのか、顔が赤い。そんな顔を見て、俺はさらに笑った。
 こんなに笑ったのは、いつ以来だろうか。
 楽しいひと時に、俺の心はしばしの間、軽くなった。

     × × ×

 憂鬱なゴールデンウィークが終わり、ようやく母から解放される学校が始まったことにほっとしていた頃。
 ……ほんと、ゴールデンウィーク中は生きた心地がしなかった。しつこく絡まれ、宿題がたくさんあったからかなり助かったのだが、それでもいつも以上にべったりされていて、辟易していた。
 久しぶりの学校で自由を堪能していたら、

「学校に来られるのがうれしくて仕方がないって顔をしているな」

 と喬哉に突っ込みを入れられた。

「家にいると、息が詰まるから」

 本当の話をすることはできなかったが、本音をぼそりとつぶやいた後、正直に答えすぎたと後悔した。どうせ『高屋だからな』と言われるに決まっていると思っていたら、喬哉は意外にも苦笑した。

「オレも一緒だよ。学校が始まって、ほっとしている」

 同意されるとは思わず、俺は喬哉をまじまじと見た。

「なんかついてるか?」
「いや。いつも馬鹿にされるから、罵倒されると思ったら、珍しく同意されたから」
「は? 罵倒されたいのか? おまえはマゾなのか?」

 マゾ? マゾってマゾヒストのことか?
 俺にはそんな趣味はない!

「母親が結構、いろいろうるさくて。勉強しろってさ」

 喬哉が愚痴を言うのは俺が知る限りでは初めてで、思わず笑ってしまった。

「うちは逆だな。勉強しないで相手しろって」
「おまえ、ほんと勉強の虫だもんなぁ。連休中もずっと、勉強していたんだろう?」

 ずっとではなかったが、かなりの時間、勉強に費やしていたのは確かだったので、うなずいた。

「あーあ、中間考査、またおまえに負けるのかあ」

 大げさに嘆く喬哉に、俺はまた、笑った。

 連休前からもそうだったが、この会話がきっかけになったようで、それからというもの、喬哉は毎日、俺をお弁当の席に呼んだ。観察していると、毎日呼ばれているのは俺のみのようだ。

「喬哉は睦貴がお気に入りなのか?」

 いつものように、端でお弁当を食べていたら、喬哉にそう質問をしているヤツがいた。

「ダブルタカヤだからな」

 喬哉はどうやら、『ダブルタカヤ』という言い方が気に入っているらしく、ことあるごとにそう言っている。俺はこれまでずっと『高屋』という苗字が嫌いだった。一般家庭だったらそう思わなかっただろうが、『TAKAYAグループ』の『高屋』であるから、嫌で仕方がなかった。
 だけど喬哉に『ダブルタカヤ』と少し誇らしげに言われると、『高屋』でよかったと思ってしまうのも不思議だ。

「成績トップワン・ツーがつるんでるなんて、おれたち下々の者はどんなに勉強をしても敵わないってことかあ」

 つるんでいる気はなかったのだが、確かに俺は喬哉以外と話すことがめったにないから、そう受け取られても仕方がないのか。

「つるんでるんじゃないよ。こいつはオレのおもちゃなの」

 いつの間にか喬哉が横に立っていて、急に首に腕を回されて、引き寄せられた。

「なっ……」
「たとえば、この髪の毛をこうやってかき回すと……」

 というなり、反対の手で俺の頭をぐちゃぐちゃと撫で回す。

「ちょっ、やめろよっ」

 そういえば、親父も同じことをよくやっていた。
 最近では母が親父を避けるようにしているせいか、顔を見るのはテレビの向こうか、新聞かインターネットでだ。どれだけ長い間、会っていないのだろうか。
 思わず、こんな状況だというのにぼんやりとしてしまった。
 急に抵抗をやめた俺をいぶかしむように喬哉は手を止めた。

「どうした?」
「……なんでもない」

 腕の力が緩んだ隙に、喬哉から抜け出す。

「しっかし驚いた! おまえの髪の毛、驚くほど柔らかいんだな」

 人が気にしていることを言うな。猫っ毛で腰がなくて嫌なんだ。将来が心配なんだが、親父はふさふさしてるから、たぶん、大丈夫とは思っている。……思わせてくれ。
 喬哉に乱された髪の毛を手櫛で整え、お弁当の残りを口に運ぶ。
 そしてすでに、会話は次の話題へと移っている。この移り変わりの早さと、話題の豊富さが喬哉のいいところだ。
 喬哉はこうして、ことあるごとに俺と喬哉との差異を周囲にアピールした。しかし、知れば知るほど、差より似ている部分が多いことに気がつき、いろいろと困った。
 心許すまいと思っていたのに、俺はいつしか、喬哉と自分の似ているところ、同じところを探すようになっていた。
 ……これではまるで、恋する人間と同じ思考パターンではないか。
 俺はいたってノーマルであり、そういう趣味はないのだ!
 と言い張ったところで、なんだかどんどんと説得力がなくなっている気がする。
 いや、しかし!
 俺が喬哉に抱いていた感情は、愛や恋ではない。似たような感情ではあったが、それとは質が異なるものであるのは、確かだった。





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