愛から始まる物語


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アザミが見た夢《接近》



 入学して数日。

「睦貴、さっきの授業のここなんだけど」

 授業が終わり、教科書を片付けて次の授業のものを出そうとしたところ、前の席の喬哉が振り返って、俺の動きを押さえるかのように手をつかんで聞いてくる。

「なんだよ」

 不快だという表情を顔に出すのだが、もともと表情に乏しいと言われている俺。喬哉にはどうやら、通じなかったようだ。

「教科書のここなんだけど、どうしてこうなるんだよ」

 片付けようとした教科書を奪われ、先ほど習ったばかりのページを開いて聞いてくる。

「俺に聞くな。先生に聞け」

 俺は手を振り払い、喬哉の手から教科書を奪い返し、片付けと準備を続けようとしたが、それでも喬哉は懲りずに聞いてくる。

「先生に聞くより、おまえに聞いた方が分かりやすいんだよ」
「……俺に聞くな」
「けちくさいな。教えてくれたっていいだろう?」
「教科書に書いてある、読めば分かる」
「冷たいなあ」

 関わってほしくない。
 その一心で握り返してきた手を振り払い、俺は無視して準備を始める。
 相手にするからいけないのであって、無視していればそのうち諦めるだろう。俺はそう判断して、知らん顔をした。

「友だち、できないぞ?」

 大半が中学からの内部生なので、すでに人間関係が出来上がっていた。しかし、だからといって俺や喬哉のように外部から来た人間を仲間はずれにするような空気ではなく、むしろ逆に、積極的に輪の中に入れてくれるような温かみがあった。
 中学三年間、人の出入りが少なくて刺激が少なかったのだろうから、ものめずらしいのもあるのだろうとは思っているが、今の俺にはその空気はありがた迷惑だった。だが、もともと俺が『高屋』ということで敬遠気味だったところ、俺が冷たく数度、断ったら、誘われることはなくなった。
 それなのに、喬哉は席が前後で『タカヤ』という名前が共通していること、そして外部生ということもあり、なにかとこうして話かけてくる。

「俺に話しかけるな」
「なんで? あ、もしかして厨二病ってやつ? それとも、ちょっと気が早くて、高二病?」

 チューニ病? コウニ病?
 いやいや、だから相手にしたら駄目だ。思わず質問してしまいそうになる自分を制する。
 興味がない振りをするのだが、どうにもこういうときだけ表情に出やすいようだ。

「ほら、強がるなよ。そんなの全然、かっこよくないから。みんな仲良く、な?」

 先ほど振り払ったはずの手をまた掴まれた。そのぬくもりは、さまざまなことを思い起こさせる。だから触れてほしくなくて、俺はまた、振り払った。

「俺にかまうな」

 喬哉は困ったような表情を浮かべ、しつこく手を取ってくる。

「な?」

 うつむいていた顔を上げると、喬哉の派手な顔が目の前にあった。その瞳には手の熱とは対照的な冷たい光が浮かんでいて、戸惑う。
 妙にこうして近寄ってくるのに、瞳には俺のことを馬鹿にしたかのような、拒絶するような複雑な色を浮かべている。

「俺は一人でいるのが好きなんだ。学校にいるときにしか一人になれないのだから、かまわないでくれ」

 喬哉の手をかいくぐりながらどうにか授業の準備を済ませ、図書館から借りてきていた本を取り出して開く。

「あ、それ。面白いよな」

 かなりすり切れてぼろぼろになった本を俺の手の中から奪い取り、喬哉は読み上げる。

「『あなたはアザミの花のような人ですね』と男は言った。『どういう意味ですか』男の言葉を受け、女はいぶかしげに問いかけた」

 一文を朗読して、喬哉は音を立てて本を閉じる。

「アザミの花言葉、知っているか?」

 思ったよりもあっさりと本を返され、拍子抜けしながら俺は素直に受け取る。

「おまえはアザミの花だな」

 先ほどの一文と似たセリフを口にして、喬哉は諦めたように前の席に座った。
 アザミの花?
 言われた意味が分からなくて、色あせてはいるものの、それでも当時の鮮やかさを残した赤紫色の表紙を見つめ、考える。
 アザミの花。
 花の色は赤紫色あるいは紫色。針山のような鋭い形をしているのが特徴的。葉にはとげが多く、触るととても痛い。
 触れると痛い目に遭うと喬哉は皮肉で言ったのだろうか。
 ぼんやりと考えていたら、始業ベルが鳴り始めた。俺はいったん、そこで思考を止めた。

     × × ×

 喬哉の言った言葉が気になり、俺はお弁当をいつもより早めに食べて、図書館へと赴いた。
 図書館には入学当時からほぼ毎日、通っている。そこは予想以上の蔵書量で、絶版になって手に入らない本も普通に貸し出しされていた。俺はうれしくなり、お昼休憩と放課後と図書館に入り浸った。図書委員とは顔見知りになるほどすでに通っていた。
 ここに来ている時間が唯一、解放されていると感じられた。古くなった紙の匂い、インクの匂い。真新しい本の匂い。それらが自分の中に漂っている嫌な匂いを打ち消してくれた。
 図鑑のコーナーを探し、植物図鑑を手に取る。そういえば、喬哉は花言葉を知っているかと言っていた。この図鑑には幸いなことに、花言葉も載っていた。アザミを探し出して項目を見ると、『独立』『厳格』『復讐』『満足』『触れないで』『安心』と書かれている。
 ずいぶんと物騒な単語が書かれていたが、喬哉はこの『触れないで』の意味で使ったのかもしれない。女相手に使うのならともかく、男相手にこんな花言葉なんて使うなよ。
 ここは男子校で、入学前に男同士でそういう関係になるヤツもいるとは聞いていたが、冗談じゃない。女から逃げてきたのは確かだが、だからといって男に逃げる気はさらさらない。
 図鑑を閉じて棚に戻そうとしたら、不意に手首をつかまれて驚いた。

「予想通りだ」

 触れられた手のぬくもりでだれか分かってしまった。どうしてこうもしつこくつきまとうのだろうか。
 手を振り払い、俺は図鑑を棚に戻した。

「探求心旺盛なおまえは必ずお昼休みに調べにここに来ると思ったんだ。人の話を聞いてない振りをしながら気になって調べに来るなんて、そういうのをえーっと、そうそう『ツンデレ』って言うんだよ」

 喬哉の言葉は分からない単語が多すぎる。『ツンデレ』ってツンドラの親戚か?
 気にはなったがもう相手をしないと決めたので、俺は無視して図鑑コーナーを去る。ついてくるかと思ったが、喬哉の気配はなかった。あまりにもあっさりしていて、肩すかしを食らった。
 いやいや、それはきっと、喬哉(ヤツ)の作戦だ。引っかかったら駄目だ。考えを振り払うために頭を一度振った。気分を変えるために借りていた本の続きを読むことにした。
 教室に戻って席に着くと、本を開いた。春の日差しがうららかに差し込んできて、眠りに誘われる。中学の時には考えられない穏やかな休憩時間に俺は思わず、眠りそうになる。
 しかし、賑やかな声に目が覚めた。喬哉たちが帰ってきたようだ。
 喬哉は俺とは違い、すっかりクラスになじみ、そればかりか仕切っている場面をよく見かける。見た目も華やかで妙に目を引く容姿も有利に働き、すでにクラスの中心人物と言っていいだろう。その鮮やかな采配に俺は内心、感心していた。
 喬哉たちの賑やかな集団のおかげで目が覚めた俺は、その後、読書に集中することができた。

「授業、始まるぞ」

 と喬哉が声をかけてくれなければ、そのままずっと読書を続けてしまうほどだった。夢中になると周りが見えなくなってしまうのが悪い癖だ。俺は慌てて、本を片付けた。

 喬哉はこうして、俺になにかとちょっかいを出してきた。相手にしなければいいのかと思ったが、喬哉にはそれは全く通用しない。根比べのような状態で、気がついたら俺が負けていた。
 自分の周りに張り巡らせていたバリケードを易々と破壊して、内側に入ってきたのだ、この喬哉という男は。

「俺には男同士でなんてそういう趣味はない」

 あまりのしつこさにそちら方面の人間なのかと思って喬哉に言うと、楽しそうに大笑いしてくれた。

「オレだってそんな趣味、ない。女がいいに決まってるだろ」

 それならば、なんでこんなにしつこくつきまとってくるのだろうか。

「おまえ、拒否の言葉を口にしておきながら、目が助けてって言ってるから、放っておけなくて」
「……かまわないでいい」
「ほら。そう言いながら、捨てられた子犬みたいな情けない顔をしてる。情に厚いオレとしては、見過ごせないわけ」

 冗談交じりのその言葉に俺は思わず、眉根を寄せる。

「その顔」
「は?」
「その悩ましげな表情が、放っておけないんだよ」

 そう言われ、俺はますます眉間にしわを寄せる。

「ほらほら、笑って。眉間にしわを寄せたら、身体に良くないぞ」
「おまえがかまわなければ、自然に消える」
「そんなこと、ないだろう。逆だぞ、逆。オレが話かけたら、しわが消えるんだよ」
「いや、今はしわが寄っているのが自分でもよく分かるんだが」

 はっと気がついたときはすでに遅かった。喬哉に乗せられ、いつも以上にしゃべっていた。

「分かったから。話しかけられたら返答するよ。だから今はとりあえず、少し静かにしてくれないか」

 俺が普通に話すまで、スッポンのようにしつこく絡んでくるのが分かった。俺はそこまであらがえるほど根性はない。こいつには敵わない。そう思った瞬間だった。





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