愛から始まる物語


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【番外編】ピリオドの向こう側02



     *     *

 学校に行くと、いつもはもう来ているはずのノリちゃんが前の席にいなかった。その代わりに、どこから持ってきたのか、菊の花が飾られていた。悪ふざけにもほどがある。
 私は頭に来て、自分の席にかばんを置くのもそこそこに、乱暴にその花瓶を取り、教室の外に持ち出した。黄色に白ときれいに咲いている菊の花には罪はない。どうすればいいのか分からなくて、私はそのまま花瓶を抱えて屋上に上った。あたりまえだけど、屋上にはだれもいなかった。
 柵の前に菊の花を置き、身体をあずけて空を見上げる。
 雲ひとつない青空は、憎らしいほど眩しかった。空を見ていると、本当に自分の存在はちっぽけなんだと思い知り、ため息が出た。
 だけど私は今を生きていて、うれしいも悲しいも楽しいも、先ほど感じた怒りさえも心に感じている。私が分からないだけできっと、この菊の花だって同じように感じていると思う。
 さわやかな風が私の頬をなでて行く。
 ホームルームが始まるチャイムが鳴っているけど、教室に戻りたくなくてそのままぼんやりと眺めていた。

 どれくらいここにいただろうか。
 さすがにこのままいるとまずいなと思い、花瓶を持って教室に戻ることにした。ちょうど休憩時間で、思いっきり一時間目をボイコットした形になってしまったらしい。担任からなっちゃんと蓮に連絡が行くだろうなと気が付き、まずいことをしたという思いが胸をよぎった。
 小学生の時も年に何度か呼び出されることを色々とやらかしてきた身としては、中学になったら呼び出されないようにする、と二人に約束をしたばかりだった。これを俗に言う
「舌の根が乾かないうちに」
というヤツか。身を持ってその言葉を体験すると、身につくね。
 なんて言って逃れられるような甘い二人ではないんだよね。特に蓮は厳しい。
 自分の席に行くと、ノリちゃんが前の席にいて、ほっとした。今日はもしかしたら、珍しく登校時間が遅かったのかもしれない。机の上の菊の花は見なかったと信じたい。
 だれが置いたのか知らないけど、私は花瓶を自分の机の上に置いた。思ったよりも大きくて、かなり邪魔だ。開いたところに教科書とノートを置く。
 授業が始まり、早速、教師からその花瓶はなにだという突っ込みが入った。

「菊の花がきれいだったので」

 ボケれば周りが笑ってくれるかと思ったのに、妙に静かだ。一時間目、戻ってこなかったのが影響しているのかもしれない。

「佳山さん、授業の後、職員室に来てください。花瓶は棚に置いて」
「……はい」

 早速、呼び出しをくらってしまった。なっちゃん、蓮、親不孝な私をお許しください。

 そのまま重苦しい空気の中、授業は進み、終わった。
 先生についてくるように言われ、前のノリちゃんが珍しく心配そうに私の顔を見てくれた。その顔を見たら、目のあたりが腫れていて、あの花を見てしまったのを知った。なんと声をかければいいのか分からず、しかし、先生にせっつかれ、私はあわてて先生の後に続いた。

「小学校の時の話は聞いています」

 職員室で担任から説教でも食らうのかと思っていたら、いきなりの校長室。校長先生をはじめ、担任に副担任と揃っている。これはかなりまずい。

「成績は悪くない、むしろ優秀なのに、どうしてさぼったりふざけたりするのですか」

 真実を伝えるいい機会だと思ったけど、どうもこの様子だと、私の信頼性は低いらしい。それに、どう伝えればいいのか悩んで、結局、なにも言えなかった。

「次の授業が始まります。佳山さん、ここは小学校とは違って厳しいのですからね」
「……はい」

 どうしてこの人たちは私がいじめられている、ということを考慮しないのだろうか。机の上に菊の花を置く、というのは昔からのいじめの定番だろう。……なっちゃんと蓮の蔵書の中にそういう描写があるものがあったから、知っているのだけど。

「ご両親には連絡を入れておきます」

 予想通りだったけど、今日は二人とも、外せない会議があると朝、話をしていた。二人の仕事の邪魔をしてしまったことに対して、ものすごい後悔の念が押し寄せる。それとも、お母さんが来るのだろうか。だれがくることになっても、迷惑をかけるのには間違いない。
 自分はまだ、大人に庇護されないといけない、ちっぽけな存在だと嫌というほど思い知った。

 授業がすべて終わり、帰ろうとしたところでノリちゃんはクラスの男子数人に取り囲まれていた。その中のリーダー格の子がノリちゃんの肩を強くこついだ。木島くんだ。

「菊の花はおまえにはもったいなさ過ぎたか」

 棚の上に置いていたはずの菊の花は、彼らのところにあった。
 花瓶から菊を抜き出し、ノリちゃんに向かってたたきつける。それまでざわめいていた教室の空気が、一気に変わった。男子は次々に菊を花瓶から抜くと、ノリちゃんに投げつける。

「やめなさいよ!」

 私は耐えられなくて、叫んでいた。

「黙っておけよ」
「黙ってなんかいないよ! ノリちゃんも菊の花も、そんなことしてかわいそうじゃない!」

 私は男子の輪に割って入り、両手を広げてノリちゃんをかばう。

「佳山は黙っていろ」
「嫌だ。こんなの、いじめじゃない! なんでみんな、仲良くしようとしないの? うちのクラスだけだよ、こんなの。ほかのクラスはみんな、すごく楽しそうなのに!」

 入学してから流れているなんともいえないクラスの空気がものすごく嫌だった。どこかで打破したいとずっと思っていた。今が最善のタイミングかというと、違うような気がするけど、これは遅くなればなるほど取り返しがつかなくなるような気がする。

「あー、佳山はそういえば、おっさんと仲がいいみたいだな。あれか、エンコーか?」

 おっさん? エンコー?
 言われた意味がわからなくて、眉間にしわを寄せる。

「たまに車で迎えにきてるいけすかないおっさんがいるじゃないか」

 いけすかないおっさん? だれのこと?
 基本はじいが送り迎えをしてくれるけど、できないときは高屋の使用人か、むっちゃんだ。

「この間は青い車で来ていた」

 青い車、と言われてわかった。

「まさか、むっちゃんのこと?」
「名前なんて知らないよ。おっさんと仲良く手を繋いで帰っていただろう」

 手を繋いで、といわれて確信した。むっちゃんしかいない。じいは手を繋ぐなんてことしないし、他の人もそうだ。手を繋ぐのはむっちゃんくらいだ。

「エンコーってなによ?」
「おまえ、援助交際も知らないのか? だっせー」

 援助交際、なら聞いたことがあるような気がする。
 ……ちょっと待って。

「むっちゃんはおっさんでも、ましてやエンコーでもないわよっ! 馬鹿にしないでよ!」

 私の大切な人を馬鹿にされて、頭に血が上ってしまった。小学生の時にも何度もむっちゃんのことを馬鹿にされた。悔しくて、むっちゃんに謝ってほしくて、それが原因でよくけんかをしていた。今日、職員室に呼び出されたばかりなのに、我慢しなきゃと思っていたけど、でもやっぱり我慢ができなかった。

「謝りなさいよ! むっちゃんはそんな人じゃない!」

 私の言葉に木島くんは、今度は私の肩を突いてきた。予期していなかったので、身体が後ろへと傾いだ。
 こうなってしまったらもう、自分が止められなかった。条件反射、というのは怖い。
 上体を起こすと同時に目の前の男子の襟首をつかみ、身体を半回転させて投げ飛ばしていた。私より大きなその体躯は宙を飛び、机の上にたたきつけられた。周りの子たちはそれを見て、飛びかかってきた。蹴りを食らわし、投げ飛ばし、教室内はとんでもない惨状となってしまった。

「ノリちゃんに謝りなさいっ!」

 ノリちゃんをいじめていた男子たちはすべて、のびていた。これでは謝りたくてもきっと、謝れないだろう。

「それに、むっちゃんにも失礼なことを言った。むっちゃんの悪口を言う人はだれだって許さないんだから!」

 隣のクラスのだれかが通報したようで、最悪なタイミングで先生がやってきた。

「佳山さんっ!」

 あー、最悪だ。

「保護者の方もいらっしゃってます。交えてお話をしましょう」

 だれが来てくれたんだろう。なっちゃんと蓮なのかな。
 私は気が重くて、だけど行かなくてはいけなくて、カバンとともに担任の後ろについていった。

     *     *

 午前中と同じく、校長室だった。

「お母さん」

 保護者、と言っていたからなっちゃんと蓮ではないのはわかっていたけど、まさかお母さんが来ていたとは。ある意味、蓮よりも強敵だ。

「奈津美さんと蓮さんはどうしても抜けられないから」
「うん……あの、ごめんなさい」

 お母さんはソファから立ち上がり、私のところまで歩いてきた。雰囲気的にそれまで、校長になにかいろいろと言われていたようだ。

「あら、どうして謝るの? 文緒は悪いことをしたの?」

 悪いことをしたのかどうか、と聞かれると、返答に困る。一時間目をサボったことと、クラスメイトを柔道技で投げ飛ばしたことは悪いことに入るからだ。
 担任は今、見聞きしてきたことを校長に報告している。間違っている部分が多くて訂正したい衝動に駆られたけど、我慢した。

「本当なの、文緒?」

 お母さんは驚いた表情で私を見る。私は首を横に振ることしかできなかった。

「校長先生」

 お母さんは校長にまっすぐ視線を向け、口を開く。

「確かに、文緒は小学生の時もいろいろと問題を起こしてきました。ですが、きちんとその理由をお聞きになりましたか?」
「理由もなにも、暴れて」
「先生」

 お母さんは校長の言葉を遮り、口を開く。

「あなたたちはきちんと両者の言い分をいつも聞いていますか? わたしは何度か文緒の両親の代わりに小学校に行きましたが、先生方は一方的に文緒が悪い、で済ませようとしました」

 なっちゃんと蓮が来てくれたときも、お母さんが代わりに来てくれたときも、相手側もその場に呼んできてお互いの言い分を主張させてくれた。

「文緒も無断で一時間目をサボったのは悪いわよ」

 お母さんは視線を変え、私を見る。

「はい……すみません」
「分かればよろしい。それで、けんかは一人ではできませんよね? 相手の方も呼んできてください」

 お母さんの毅然とした物言いに担任は言い返せなくて、そのまま戻っていった。
 かなり待たされたが、担任はノリちゃんとあの男子たちを連れてきた。その顔は青ざめている。

「文緒、経緯を説明して」

 この場を取り仕切るのは、お母さん。私は分かる限りのことを説明した。

「佳山さん、朝にはそんなこと」
「あの時にはすでに私が悪者でしたよね? 真実を伝えて、信じていただけましたか?」

 私の言葉に、校長と担任は口ごもる。

「まさか、いじめなんて」

 担任は信じられない、という表情で私たちを見ている。

「信じられなくても、これが事実なのですよ、先生方」

 お母さんは二人に事実を突きつける。お母さんってものすごくきつい人だわ。

「文緒」

 お母さんににらまれたけど、私は首を振る。

「謝りません。ノリちゃんを今までいじめてきたことに対しての謝罪も、むっちゃんのことを馬鹿にしたことに対しての謝罪がないもの」
「……文緒」

 お母さんの言葉はかなり怖かったけど、それでも私は謝らなかった。確かに、蓮から鍛えられていて、柔道が強いことはわかっていて投げ飛ばしたことは悪かったと思うけど、それとこれとは別だ。

「投げ飛ばしたことは謝るけど、ノリちゃんとむっちゃんへの謝罪がない」

 重苦しい空気が流れる中、ノリちゃんが口を開いた。

「佳山さん、あたしへの謝罪はいいよ」
「よくないよ! なんでノリちゃんがいじめられないといけないの?」
「いじめじゃない! 柏木は校則を破っているじゃないか。女なのにおれたちと同じ男用の制服を着てきて。それを指摘しただけだろう? 悪いのは柏木だ」

 木島くんは自分は一切、悪くないと主張している。私にはその行為が校則を破っているかどうかはわからない。全員の視線が校長に集まる。

「柏木さんの制服に関しては、届け出が出されています」
「なんだよ、それ!」

 木島くんは情けない声をあげた。

「そんなの、聞いてないよ!」

 聞いていてもいなくても、先生はなにも言わないのに生徒がいうのはおかしいと思う。

「わたしから明日、改めて説明をしておきます」

 担任の言葉に木島くんたちは納得がいっていないようだった。

「どうして、なんで男の服なんて着てるんだよ!」

 担任が口を開こうとしたとき、ノリちゃんは少し困った表情をして言葉を発した。

「小学生の時に、上級生から女の子の服を着ていたら気持ちが悪いと言われて……女物を着ると吐き気がして、登校できなくなって、それから」

 それなのに、ノリちゃんはこの間、私と同じ女用の制服を着てきていた。ノリちゃんはきっと、ものすごく苦しかったはずだ。そしてその後、制服を切り裂いたというのは……。

「制服を切って、すまなかった!」

 木島くんは頭を下げ、ノリちゃんに謝っている。もしかして、ノリちゃんが切ったわけではなく……?

「うん、いいよ。あたしにはやっぱり、スカートは似合わないから」
「そんなことないよ! ノリちゃんのスカート姿、かわいかったのに!」
「ありがとう。佳山さんは優しいね」

 ノリちゃんはやわらかな笑みを浮かべて私を見た。その表情はとても悲しくて、どうすればいいのかわからなかった。

 校長は私たちに帰るように言ってきたが、木島くんたちからむっちゃんへの謝罪の言葉を聞いていなかった。

「謝ってもらうまで、私は帰りません!」
「文緒、いい加減にしなさい」

 お母さんにたしなめられたけど、私は譲れなかった。
 そのとき、控えめに校長室がノックされた。校長は私たちを見つつもどうぞ、と声をかけた。これで私たちを追い出そうとしているというのが見えて、抗議の声を上げようとしたが、入ってきた人物を見て、意表をつかれた。

「……むっちゃん?」

 あれ、なんでむっちゃん?

「お話中、失礼いたします。そろそろ戻らないと……って、あれ、文緒もいたのか」

 むっちゃんは当たり前のように校長室に入ってきた。

「それでは、わたしたちは失礼させていただきます」

 お母さんは私の腕を引っ張ると有無を言わせないで校長室を出た。

「ほら、文緒」

 むっちゃんは当たり前のように手を繋いできた。私はそのぬくもりを感じたくて、その手を取った。



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