【番外編】ピリオドの向こう側01
その人のことを意識したのは、物心がつくかつかないかの頃。
血の繋がりもなにもないのに、なぜかいつも側にいた。
きっと、目に見えないなにかで繋がっていたんだと思う。
人はそれを“運命の糸”だとか“赤い糸”と言うんだろうけど、そんな頼りない物ではない。
もっともっと強くてはっきりとした繋がり。
私はそれをなんと言えばいいのか知らないけれど、そうとしか思えない。
だけど、これだけははっきりと言える。
私はずっと、睦貴に恋をしていた──。
* *
この四月で中学一年生に上がったばかりの私・佳山文緒(かやま ふみお)は幼なじみの辰己京佳(たつみ きょうか)とともに高屋のお屋敷に来ていた。というとなんかちょっとおかしいか。
佳山家は高屋のお屋敷の中にあるので、正確に言えば私は家に帰ってきて、京佳は高屋のお屋敷の中にある私の家に遊びに来ている状況だ。
なっちゃんと蓮──二人とも私の実の親だ──は仕事でいないし、弟の文彰(ふみあき)はクラブ活動でまだ帰ってきていない。普段ならむっちゃんがいるから勉強を見てもらったりするんだけど、珍しく……と言ったら怒られるかな? 部屋にいないというので、京佳を家に誘ってみた。京佳は一人っ子で、やっぱり両親共働きでさみしいという気持ちもあるみたいで、私の誘いを大いに喜んでいた。
私と京佳はよく似ていた。こう思っているのはもしかして私だけかもしれないけど、実はさみしがり屋なところとか、意中の人以外はどうでもいいと思っているところとか。幼なじみ、というだけあって生まれた時から交流があるから、気心が知れているという気兼ねのなさもあった。
「へー、いないなんて珍しいね」
むっちゃんがいない、という話をしたら、京佳は目をまん丸くして驚いている。それだけこの外出は珍しい、ということだ。
ちなみに、先ほどから出ている
「むっちゃん」
というのは、なんでも私が産まれた時に取り上げてくれたらしいという、このお屋敷の住人で高屋睦貴(たかや むつき)のことだ。年齢は……あれ、いくつだったかな? 私と十六歳離れているというから、二十八のはず。
「そういえば、そっちのクラスはどう?」
私と京佳は同じ学校だったが、残念なことにクラスは違っていた。前から京佳のクラスの様子を聞いてみたかったから、この機会を持てたことはとてもうれしい。
「うん、楽しいよ。すごくにぎやかだし」
休憩時間などに京佳のクラスの前を通ると、いつでも賑やかな声が聞こえてくる。楽しそうだな、とうらやましく思っていた。
一方の私のクラスはと言うと……。
「文緒のクラスはどうなの?」
「あ、うん……」
入学してそれほど経っていないのだが、すでに問題が噴出していた。私はどうすればいいのか悩んで、結局、見て見ぬふりをしている最中だ。良くないことは分かっているのだけど、どうするのが最良なのか分からない。
「まー、ぼちぼち、かなぁ」
私のその言葉に長い付き合いの京佳はなにかを感じ取ったらしい。しかめっ面をしていきなり私の頬を引っ張った。
「文緒、なにか隠してるでしょ」
「え? そんなこと……あはは」
京佳は責めるような視線で私を見ている。その視線に耐えられなくて、横を向いたらもっと強く頬を引っ張られた。痛いってばっ!
「文緒?」
どうにも私は隠し事が下手というか苦手というか。すぐに顔に出てしまう。そして京佳はだれに対しても容赦ない。そっぽを向いて京佳の攻撃をかわそうとして失敗した私は、頬を引っ張られて、顔を正面に向けられた。目の前には京佳のきれいな顔。その瞳は、思いっきり私を非難している。
「知らないとでも思ってるの?」
私は首を横に振る。
今、私たちのクラスで問題になっている出来事は、地味に他のクラスにまで話が流れているらしい。京佳の耳に入っていないわけがない。
「柏木(かしわぎ)さんだっけ?」
「……あ、うん」
思いっきり名前まで知っているようだ。
「文緒のことだから、妙なお節介心というか好奇心というか……それを出して、首を突っ込もうとしているでしょ」
そこまで読まれてしまっている。
「だって、私の前の席だしっ!」
出席番号は柏木、佳山と並んでおり、必然的に私の前に座っているのだ、彼女は。
「ノリちゃんはっ」
「名前で呼ぶほど仲がいいのね」
「うっ」
京佳の冷ややかな視線。
「まー、あなたのことだから、巻き込まれて一緒にいじめられても大丈夫だとは思っているけど」
つい数か月前まで小学生だったとは思えない発言だ。
「わたしは助けないわよ」
「助けてほしいなんて全然思ってないわよっ」
「そう? 今日だって睦貴さんがいないのをダシにそのことをわたしに相談しようとしたんでしょ?」
なんか微妙に使い方が違うかもしれないけど、外れてないから返答に困った。
むっちゃんに相談したところで解決策が出るとは思えない。むしろ、あの人はなっちゃんと蓮とは違った意味で過保護だから、辞めろと言ってきそうだ。
「そもそも、なにが原因で彼女はいじめられているの?」
「んー、それはね」
私は京佳にかいつまんで経緯を説明した。
中学に上がり、同じクラスになった柏木祈(かしわぎ いのり)は少し変わっていた。背が高くてちょっと体格がよくて、ショートカット。制服もなぜか男子用を着ているから、最初はてっきり、男の子だと思っていた。だけど、私の前の席に座っている、ということは紛れもなく女の子で……。
「男子が女のくせしてなんでおれたちと同じものを着ているんだ、と言い始めたのがきっかけで……」
そう言われた次の日、ノリちゃんは私たちと同じ女の子用の制服を着てきた。しかし。
「今度はおかま、と言ってきて。ノリちゃん、体格がよくて髪も短いから」
私はなにもできず、ただただ、見ていることしかできなかった。
「それ以来、ノリちゃんはだれとも話さず、男子用の制服でずっと来ている」
私はたまたま日直で先生に呼ばれていたから知らないのだけど、男子に男女、と馬鹿にされ、目の前でノリちゃんは自分の女子用の制服を切り刻んだらしい。私が教室に戻った時は事態は収集していたから、伝聞なのだけど。
「性同一性障害、ってヤツなのかな」
私の伯父であり伯母でもある葵さんも同じ症状で、だけど葵さんはずっと女性として生きている。知っていても男の人だなんて思えない。だから余計に他人事じゃなくて、かなりデリケートな問題なのは分かっているから、どうすればいいのかさっぱり分からない、人生十二年しか生きていない身としては。
そういえば、昔、葵さんに向かってものすごく失礼なことを言ったなぁ、と思い出した。
葵さんが帰った後に蓮にこっぴどく叱られ、説明をされたんだっけ。その時にはあまり私の中では男と女の違い、というのが分かってなかったからよく分からなかったけど、今ならちょっと、分かる気がする。
ずっと黙って聞いていた京佳は困ったように眉尻を下げ、私を見る。
「先生に相談……というのも難しいか」
「……うん」
相談しようと思ったけど、なんと言えばいいのか分からなくて、それに、余計なおせっかいかなと思って言えないでいた。
京佳と二人で悩んでいたら、インターホンがなった。時計を見ると、夕食の時間だ。じいが呼びに来てくれたらしい。
「ご飯を食べようか」
「うん」
京佳はほっとしたような表情を浮かべ、うなずいた。
じいと一緒に食堂に行くと、珍しく私たち二人だった。
「みなさま、まだお戻りになれないと連絡を受けております」
「むっちゃんも?」
「はい。睦貴さまは今日は外で夕食を済まされてくるとご連絡を承っております」
むっちゃんがいない食事、というのは本当に珍しくて、私はそれだけでとても落ち込んだ。京佳がいてくれてよかったと思う。
食べようと思ったタイミングで文彰が帰ってきて、三人で食べた。いつもは賑やかな食堂も、三人だとがらんとしてとてもさみしい。
文彰は今日のクラブでなにか不満なことがあったらしく、ずっと不機嫌で黙ったまま。気がつかない振りをしてしゃべることができなくて、無言で食事をした。
食事が終わり、京佳は帰って行った。
京佳が乗った車が見えなくなっても、しばらく部屋に戻ることができなかった。ぼんやりと空を眺めていたら、聞き覚えのあるエンジン音が遠くからしてきた。もしかして、と思って待っていたら、むっちゃんの車だった。車はそのまま駐車場に入る。待っていたら、向こうからうつむき加減で歩いてきているむっちゃんが見えた。
「むっちゃん、お帰りなさい!」
私はうれしくてそう声をかけたら、驚いたような表情でむっちゃんはこちらを見た。少し困ったように一度うつむき、頭に手を当てながら近寄ってくる。
「あ、うん。ただいま」
ものすごく心細かったから、むっちゃんの顔を見れたことでとても安心できた。抱きつくと、むっちゃんはますます困った表情をした。むっちゃんからはいつもと違う甘い匂いがして、なんだか不愉快な気分になる。それに、よく見たら、スーツまで着ている。どこに行っていたのだろう。
「あの……文緒。その」
むっちゃんはさりげなく私から身体を離す。それが嫌で首を振ってしがみついた。
昔は抱っこにおんぶにしてくれたし、抱きついてもこんなに嫌がらなかった。むっちゃんは私のこと、嫌いになったんだろうか。
そういえば最近、なんだか妙に他人行儀だ。毎日、朝ごはんを食べに来るものの、なんだか一歩、距離を置かれているような気がする。気のせいだと思っていたけど、今日のこの態度を見たら、気のせいではなくて事実だったようだ。
「文緒、ちょっと離れてもらっていい?」
嫌だったけど、むっちゃんにこれ以上嫌われたくなくて、身体を離した。
「ごめん。ちょっと汚れてるから。文緒の服まで汚れるよ」
ぱっと見、汚れているように見えなかった。それは言い訳なんだと思うと悲しくなる。
「部屋に戻ろうか」
むっちゃんは私の手を当たり前のように取り、歩き始めた。その手のぬくもりは昔と変わってなくて、余計に心が苦しくなった。