愛から始まる物語


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水空03



     *   *

 柊哉が持ってきてくれていたタオルで身体を拭き、用意してくれていたパンツに履き替え、服を着た。
 服を着たら暖かくなってほっとした。

「せっかくここまで来たから、確認したいことがあるんだ」

 柊哉は巨大なリュックを背負い、池の周りをぐるりと歩いていく。
 俺も確認したいことがあったから、柊哉に素直についていく。
 前に柊哉を探して通った時と同じと思われる道を歩き、やっぱりいきなり現れた繁みに驚きながら避け、その先を進むと……。
 ぼろぼろに朽ち果てたあのお堂と思われるものが、あった。
 風化していたが、たぶんあの十六年前のあの時のまま。
 あの頃に戻ったような感覚に陥る。
 二十歳を過ぎていたけど、まだ気持ち的に子どもだった頃。
 今もあまり変わってないような気もするけど、まだまだ未熟だったあの頃。
 人生に絶望して、すべてのことから逃げていた。
 生きている意味が分からなくて、ただ時間が過ぎていたあの頃。
 死んでいないことがイコール生きていること、ではないのは分かっていた。
 死んでいるのと同じだった。
 文緒が悲しそうな表情をするから、生を終わらせていないだけだった。
 あの頃から文緒の側にいるときだけ、生きている実感があった。
 ここでお堂につぶされて、このまま逝ってもいいかも、と思った。
 だけど諦めなかったのは、文緒の悲しむ顔を見たくなかったから。
 諦めたらおしまいだとだれかが言っていたよな、そういえば。
 ここで諦めなかったから、俺は今、ここにこうして再度、立つことができた。

「あの時は本当に悪かった」

 柊哉がお堂だった塊を見つめて口を開く。

「この中にある観音像をどうしてもおっさんに渡したくて」
「……俺に?」

 柊哉はリュックを降ろし、中からつるはしを取り出し……ってつるはし?
 なんでそんなものが? と思っていたら、柊哉はおもむろにつるはしを振り上げ、お堂のがれきを避け始めた。
 なにしてるんだ?
 俺はただ、間抜けヅラして柊哉のしていることを見ていた。

「あった!」

 柊哉を見ているのも飽きて、俺は適当に座ってぼんやりしていた。
 声に視線を上げて柊哉を見る。
 その手には、なにか握られていた。
 柊哉は埃を払い、満足そうな顔をしてそれを持って俺のところまで歩いてきて、はい、と手渡された。
 反射的に受け取り、視線を落とす。
 それほど大きくない、観音像。
 だけどそれは思ったより手にずっしりと存在感を示した。
 青錆がかなり浮いているが、軽く指先で払うと本体がすぐに見えた。
 しかしこの観音像には、腕が一本しかなかった。
 仏像でどこかが欠けているのって珍しくないか?

「ここに来たかったのは、それをあんたに見せたくて」
「俺に?」
「そう」

 意味が分からなくて、俺は錆びた観音像と柊哉を見比べた。

「いつもなにか救いを求めているような顔してるから」

 柊哉はそう言うとかなり恥ずかしそうにして俺から離れていった。
 ……救いを求めているような顔?

「母親とけんかして、あそこに来てたんだろ、おっさん」

 そう言われ、俺は苦笑した。
 柊哉はもしかして、俺が一人で隣の部屋で寝起きしているのを気にしていた?
 それで智鶴さんにでもどうして、と聞いた?

「母さんが……そんなことを言っていたから」

 けんかをした、という簡単な理由ならよかったんだけどな。
 そんな単純な理由じゃない。

「もともとはそれ、千手観音像だったようなんだけど、人を救っているうちに手がもげていったらしくって、とうとう最後の一本になったんだってさ」

 確かに千手観音は千本の手でどんなことも漏らさずに救済しようとする慈悲と力の強さを表しているというが……。
 救っていくうちに腕がもげるって、なにそれ怖い。

「自分の身を削ってでも救おうとする姿って、なんとなくあんたに似てるよ」

 それは褒められてるのかけなされているのか分からない微妙な表現だな。
 しかも俺、自分の身を削って救ったことなんてないぞ。

「それ、あんたのコレクションに加えなよ」

 と言って柊哉はにやにや笑っている。
 もしかして、あの双子の仏像がいる宝物庫のことを言っている?

「モノ好きだよな、仏像が好きなんて」

 いや……そういうわけ……でもあるかも。
 俺は柊哉に手渡された片腕しかない元千手観音像に再度、視線を落とす。
 自分の腕を犠牲にしてまで救いたかった人々……。
 その人たちは本当に救われたのか。
 この像の自己満足じゃなかったのか。
 どうして自分は素直な気持ちでこの像に称賛を送れないのだろうと考えて、ため息をつく。

「ありがとう。ここに置いていくのは忍びないから、連れて帰って保管させてもらうよ」
「そうか、それはよかった。ずっとここに放置しておいたこと、気になっていたんだ。きっともう、ここには来られないから。今日は本当にありがとう、助かった」

 柊哉にそうお礼を言われ、不覚にも目頭が熱くなってしまった。
 なぜだか今、娘を嫁にやる父親の気分だ。
 うるんだ瞳を見られたくなくて、俺はふんとわざと鼻で笑い、お堂へと視線をそらした。

「どうせ裏があるんだろ?」
「……さすがおっさん、一筋縄ではいかないな」

 おいおい、本当かよっ!

「さっきあそこで言ったように……俺は京佳が好きなんだ」

 柊哉に悟られないように目をこすり、視線を戻す。
 そこには思っていたより真面目な柊哉の顔があり、俺は顔を引き締めた。

「京佳の好きな人、おっさんは知っているか?」

 はい?
 んなの知るわけ……あ。
 俺は深町さんに呼ばれて、柊哉が実は辰己の後継者だ、と言われた日のことを思い出す。
 深町さんは確か……京佳は柊哉のことが好き、と言っていたような気がするけど。

「京佳がだれが好きなのか、探ってほしいんだよ」
「は? なんでまた」

 京佳は明らかに柊哉のこと、好きだろう?
 嫌いなヤツと今日もここには来ないだろう?
 文緒と仲がいいと言ったって、あの子ももう子どもじゃないんだから、来ようと思えば一人で来ることができるだろう?

「おまえさぁ、意外にヘタレだな」
「うるさいな。真のヘタレなおっさんに言われたくない! 本気だから……もし、京佳に好きな人がいるのなら、オレ、諦めるよ。京佳には幸せになってほしい。本当に好きだから、いつも笑っていてほしいんだよ、京佳には」

 柊哉のその気持ちは、俺にはわからなかった。

「京佳に直接聞いてやるよ」
「なっ、なんでそんな直球勝負」
「じゃあ、仲のいい文緒に聞いてみるよ」
「……そうしてくれるとありがたい」

 ったく、どこまでヘタレなんだ、柊哉。
 ちょっとあきれてしまった。
 そういえば柊哉って兄貴に押さえられるようにして育ったからか、ちょっと押しが弱いところがあるよな。
 仕事を教えていて、驚くほどいろいろ吸収していくのに、そして選択は間違っていないのに、いつも俺の顔色をうかがうようにしている柊哉。

「柊哉、おまえはもっと自分に自信を持てばいい。京佳は……おまえのことが好きだよ」
「どうしてそういえるんだよ! わからないじゃないか」

 兄貴に対してはいつも強く反抗するのに、肝心なところではどうしてこうも気弱なんだろう。

「文緒に聞くよ」
「ありがとう」

 それから俺たちは無言でお屋敷へと帰った。

     *   *

 部屋に帰ると、文緒は俺の帰りを待ちわびていたようで、頬を上気させてやってきた。

「お帰りなさい」
「……ただいま」

 出迎えてくれた文緒のその一言がすごくうれしくて、文緒のおでこにキスをした。

「柊哉、どうしてあそこに行こうって?」

 俺は先ほどあそこで柊哉から渡された片腕の元千手観音像を懐から取り出し、机の上に置いた。

「これを回収したかったんだってさ」

 文緒は興味津々で机の上に置いた像を見ている。

「片腕って珍しいね」

 部屋に帰ってきて改めて見る。
 かなり古い青銅製の像。
 作られてどれくらい経っているのだろうか。
 鎌倉の大仏も青銅で作られているらしい。あの時代では最大級を誇る物という。
 柊哉から聞いた話をすると、文緒は眉間にしわを寄せて遠巻きに像を見ている。
 俺は柊哉が言っていた
「腕がもげていった」
というのを確認するために腕の部分を見る。
 この像は右腕だけが残っていて、付け根の部分をよく見ると、確かになにかがあったような跡がある。
 反対の左腕の部分も同じように取れた跡があった。
 これは扱いが悪くて取れてしまった、と見えるなぁ。

「腕を引き換えに願いを叶えるなんて、嫌だなぁ」

 それは俺も同感だったので、うなずいた。

「この像が腕を失わないように、大切に宝物庫に保管しておくよ」
「うん、そうしてほしい」

 もうすっかり日は暮れていたのでそれは明日することにした。

「そうだ、文緒は京佳がだれが好きか、知っているか?」
「京佳の好きな人?」

 文緒と京佳は仲がいいからたぶん知っていると思って柊哉から頼まれたことを聞いたのだが……。

「私は昔から睦貴一筋だったし、京佳とはそういう話はしたことがないから、知らないなぁ。でもたぶんだけど、京佳は柊哉のこと、好きだよ」

 女の子同士だからそういう話をしているとばかり思っていたけど、していないのか。
 そして……文緒が昔から俺一筋だったと改めて知り、なんだか妙に照れてしまう。
 なんだよ、こんなに一途で!

「睦貴、愛してるよ」

 潤んだ瞳で文緒に改めてそう言われ、文緒のことがものすごく愛しくて……抱きしめたくてもお腹に触れるのが怖くて、上半身をぎゅっと抱きしめた。

「ありがとう、文緒。俺も文緒のことを愛している」

 文緒の頬に手を当て、唇が触れるだけのキスをした。




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