アルカイク・スマイル05
部屋に戻る前に、その例の宝物庫に行ってみる。場所は変わってなかったけど、昔はあんなにぼろぼろだった外観が、補修工事がされ、さらにペンキも塗りなおされていて、きれいになっていた。ぼろぼろに傾いた木の扉だったものが、鉄の頑丈な扉に変えられていた。
鍵を開け、慎重に扉を開ける。重い扉だけど、思ったより簡単に開いた。中から、少しひんやりとした空気が流れ出てきた。中に入り、扉を閉める。
いつもはこっそり入っていたけど、今日はそんな必要がないから、手探りでスイッチを探して明かりをつける。パッと部屋が明るくなり、中がはっきりと見える。
……ものすごくきれいになっている。
俺が知っているここは、どれくらい長い間、掃除されていなかったのか、というくらい埃が積もり、歩く度に空気が揺れて埃が舞っていた。それが今は、博物館並みにきれいになっている。これは……相当な時間と手間と労力がかけられているな。この中が少し涼しいのは、きちんと管理されている、ということか。今までずっと放置されていたからかなり傷んでいたような気もするが。
文緒は恐る恐る、といった感じで展示されているものを見ている。
「これって……」
手短に置かれた透明のアクリルケースに入っているものを見て、文緒は絶句している。
歴史の教科書に載っていてもおかしくないようなものが、ここにはごみのような扱いで昔は置かれていたから! 年代なんて関係なく、適当に所狭しといろんなものが置かれている。
親父、もしかして……ここから先の管理だとかは俺にしろ、と言っている?
俺さ、確かに双子の仏像が好きでここによく忍び込んでいたよ? だけど……他のものにはさっぱり興味がないんだけど。
でもなあ、これ、くれるって言ったしなぁ。
「む、睦貴っ! これって」
ああ、アルカイク・スマイルで有名な半跏思惟像(はんかしいぞう)。
……親父。
本当にっ!
なにを考えているんだっ!? こんなの、どこかの寺に寄付しろよっ!
まあ、半跏思惟像自体はそれほど珍しくない、はず。
これが重文クラスだとか国宝クラスになるのなら、ここに眠らせておくのはなんだけど。
俺はほんと、そういう方面はさっぱりで疎いんだけど、ここにあるものって……きちんと鑑定してもらった方がいいのか?
だけど。とりあえず、ここにあるものたちは特に文句がなさそうだし。下手にいじらない方がいいような気もする。なによりも面倒だ。
うん、それだけの理由だ。なんか文句あるか?
「ねえ、さっき言ってた双子の仏像って、これ?」
文緒は扉を入って左手側に、ひときわ豪華な台の上に置かれた木彫りの仏像二体を見て、そう聞いてくる。
文緒の後ろに立ち、久しぶりに見たその仏像に思わず笑みが漏れる。
「そう、それ」
木彫りで荒削りなんだけど、なぜだか笑みが漏れるようないい笑顔をした仏像二体。これが双子かどうかは知らないけど、左右対称に彫られているから俺が勝手に双子だろう、と決めつけたもの。
だれが彫ったものなのか知らない。できがいいわけではない。ただ、その表情がものすごく生き生きしているのだ。
この仏像の顔を見ると、嫌なことを忘れて自然と笑顔になれる。
辛かったり悲しかったりしたら、俺はここに来て、この二体の仏像を見つめていた。
別に俺は熱心な仏教徒である、というわけではない。それが俺に安堵感をもたらしてくれるものだったら、ぬいぐるみだろうがビスクドールだろうが日本人形でも、なんでもよかったのだ。たまたまそれが、この双子の仏像だったのだ。
「ふふ、いい笑顔、してるね。見てるとこっちまでなんだか幸せになってくる」
親父の部屋を出てからずっと眉間にしわを寄せ気味だった表情をしていた文緒がにこにこと笑っている。
うん、やっぱりこの仏像、いいな。
きれいに整えられた宝物庫(といった方が正しいような気がしてきた、中に入れられているものを見ていたら)を見て回り、外に出る。
国宝級はさすがになさそうだったけど、重文クラスのものは何個かあったような気がする。いや、素人だからあくまでも、気がする、だけど。
まあ、高屋の家の歴史を考えたら、こういうものがあっても不思議はないんだけど。
いやぁ、よくもまあ、今まで泥棒に入られなかったな。あまりにも無関心で放置しすぎていて泥棒もここにお宝があるのに気がつかなかったのか?
「あの木像、だれが彫ったんだろうね」
俺もそれを知りたくて昔、木像を隅から隅まで見たけど、彫った人物の名前なんて残ってなかった。
だけどまあ、あれをだれが彫ったところで、今、目の前にあるからいいや、と思っていたのはいい加減過ぎかな?
「睦貴があれを見に忍び込んだ理由が分かったよ」
俺の手を握りながら歩いている文緒は、うれしそうに少し跳ねながら俺についてくる。
「睦貴もあの双子の像のような笑顔をすればいいんだよ」
というけど。あの像……アルカイク・スマイルを通り越していて、もはや人間の顔の造形として不可能な笑みを浮かべていると思うんだが。それでも、不思議と見ているこちらが自然と笑顔になるんだよなぁ。不思議な仏像だ。