愛から始まる物語


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最初から謎はひとつもないッ!!09



 受付で名前を告げようと近づいていくと、小さく黄色い声が広いロビーに響いた。

「む、睦貴さま!」

 受付の女の子があわてて駆け寄ってきて、こちらです、と頬を赤く染めて先導してくれる。
 案内され、通された場所はいつもの兄貴の総帥室。なんだ、一言言ってくれればひとりでこれたのに。

「睦貴、ようやく来たか」

 部屋に入ると、兄貴だけではなく、蓮さんと奈津美さんが待っていた。

「お待たせしました?」
「待った」

 蓮さんも兄貴に加勢して不機嫌さを表にあらわして、一言そうつぶやく。

「文緒は?」

 文緒も一緒だと思っていたらしい蓮さんは俺と文緒がセットでないことに気がつき、そう聞いてきた。

「美紀ちゃんが心細いだろうから、と文緒は一緒にホテルにいますよ」

 まあ、これがミステリものだったら実は美紀ちゃんが黒幕で、文緒がピンチに陥る、とかいうパターンもあるよな。
 さっきの古里さんと一緒のところでも油断していた俺が気絶させられてさらわれたり、とか。

「由典はどうしたんだ?」
「ああ、アレ……ね」

 奈津美さんがものすごく嫌な顔で部屋の隅に視線をやる。それにつられて目をやると。
 部屋の隅でひざを抱えて地面を見つめる由典がいた。
 兄貴……またなんかとんでもない精神的ダメージを与えただろう?

「思ったよりつまらなかったな、こいつは」

 兄貴は総帥机の座り心地のよさそうな椅子に預けていた身体を大きく伸ばし、立ちあがった。

「蓮の言葉責めであれだもんなぁ」

 いや……兄貴と蓮さん、ふたりにかかれば普通の神経の持ち主ならああなりますって。そうなっていない俺は……やっぱり普通じゃないのか?
 いやいや、手加減してくれてるんだよ、ふたりとも。

「睦貴相手くらいにしかやってないのになぁ。弱いなぁ」

 それは……どう受け取ればよろしいのでしょうか? 俺が普通じゃないのか、由典が弱いのか。

「睦貴レベルでいじめるからでしょう?」

 奈津美さんが呆れたように呟いている。
 もしかして……俺は普通じゃない!?

「自覚のないやつはこれだからなぁ」

 と言いながら兄貴は由典のところまで歩いていく。

「もう少ししたら代議士の秘書とかいうヤツが受け取りに来るはずだから」

 兄貴の足音に由典はびくり、と身体をますます小さくする。

「別にとって食おう、なんてしないよ。おまえなんて小物」

 兄貴は鼻でふん、と笑って由典の側から離れる。

「いやぁ、こいつは小物だけど、それなりに得るものはあったよ。小金丸から言われていたこと、全部はねのけられるだけの材料は手に入れられたからな」

 楽しそうに笑う兄貴を見て、やっぱりこの人、俺の兄貴だな、と改めて認識する。たぶん、俺が同じ状況でも同じように楽しんでやっているような気がしたから。兄貴は身内にはやさしいけど、そうじゃない人にはとことん冷たいところもある。そういうところを見ると、血のつながりを嫌でも感じてしまう。
 内線が鳴り、兄貴が出る。二・三言短く言葉を交わし、すぐに切る。
 それからそれほど時間が経たず、廊下がざわざわとものすごくざわめいてきた。
 なんだ?
 と思っていたら、ノックもされずにいきなり総帥室がばん、と勢いよく開かれた。

「由典はどこだ!?」

 テレビ画面越しに見たことのある白髪交じりの男がいきなり部屋に入ってきた。

「小金丸代議士、ずいぶんなごあいさつですね」

 兄貴は涼しげな表情で白髪交じりの男──小金丸代議士──に声をかける。
 後ろから、その秘書と思われる人物と受付嬢……先ほど、俺をここに案内してくれた子とは別の子、があわてて追いかけてくる。

「山辺さん、ありがとう。もう今日は来客はないと思うから、受付のみんな、帰ってもらっても大丈夫だから」

 蓮さんが受付嬢──山辺さん──をねぎらい、申し訳なさそうな表情で総帥室からさりげなく遠ざける。山辺さんは少し頬を赤く染めながらお辞儀をして、戻って行った。
 蓮さんも結構いい歳のはずなんだけど、相変わらずいい男だからなぁ。
 ふと奈津美さんを見ると、はぁ、とため息をついている。

「由典くんならそこの部屋の隅にいますけど?」

 兄貴の声に、小金丸代議士は面白いくらいおろおろとして、部屋の中に入って由典の側に寄る。

「よ、由典、大丈夫か? なにもされなかったか?」

 馬鹿親にこの子あり、か。
 俺は盛大にため息をつき、手短にあったソファに腰を下ろす。
 小金丸代議士は由典に近寄り、部屋の隅で丸くなっているヤツの身体の隅から隅まで確認している。そして、ついてきた秘書になにごとか命令をした。

「大切なご子息なのは分かりますが、今回は少し……お遊びが過ぎているのではないですか?」

 そう言った兄貴の目は座っていて、ものすごく怖い。よほど、たまに見せる獰猛な表情の方がいい。それだけ、怒っている、ということか。

「由典より大切なものなど、なにもないっ!」

 小金丸代議士は兄貴に向かってそう叫ぶ。

「ほう」

 最近、兄貴が俺に似てきたような気が……しないでもない。普通は逆だろう! と思うかもしれないが、そうとしか思えない。以前なら違う受け答えをしていたように思う。

「その言葉に、嘘偽りは……ありませんね?」

 そして、いつの間にか兄貴の手には契約書が握られていた。

「それは……!」
「ええ、先日交わした契約書です。今回のこと、ものすごく譲歩したのですけど。先日の息子さんの所業を見て、考えが変わりました」

 そして、小金丸代議士が止める間もなく、兄貴はその用紙を半分に破り、びりびり、と細かく切ってぱっと宙に放り投げた。契約書だった紙は、ひらひらと宙に舞った。

「あ、あ……!」

 内容がなんだったのか知らないけれど、あの契約が破棄されることでうちは有利になり、小金丸にとってはとてつもなくマイナスになるのだろう。
 まあ、この話がなかったことになってうちに不利益が生じたとしても、向こうを立ててまでするような内容ではなかった、ということか。

「蓮、睦貴、お客さまのお帰りだ」

 蓮さんの名前があがるのは分かるが、なんで俺まで?
 俺は一度、兄貴を睨みつけ、小金丸代議士と由典の近くまで歩いていく。

「秋孝、どこまでお見送りすればいいのか?」

 蓮さんは慣れた様子で兄貴にそう問う。

「駐車場までご案内してさし上げろ」
「了解」

 蓮さんはそれは楽しそうに笑い、俺の側まで歩いてきて、扉の方に腕をむけ、どうぞ、とにっこりと微笑む。
 小金丸の秘書はおろおろとした表情で指示を待っている。小金丸はぶるぶると震えている。由典は……相変わらず膝を抱えたまま、表情を弛緩させている。
 もしかしたら、精神崩壊を起こしてしまったのかもしれない。うん、確かに。あれくらいでこうなっていたのなら、弱いな。

「由典くん、歩けないのなら俺が抱えてお車までお送りいたしましょうか?」

 由典の横にしゃがみこみ、顔を覗き込む。由典のその瞳は、なにも映していない。完全に壊れてるな、これは。

「おっ、おまえは……何者だ?」

 しゃがみこんでいる俺を見下ろすように見ている小金丸代議士を見上げ、悠然とした笑みをむけ、

「佳山睦貴。そこの総帥秘書の義理の息子、だよ」

 そのまま蓮さんに視線を向けると、少しびっくりしたようなそれでいてちょっと照れたような複雑な表情を一瞬浮かべた瞳と視線があった。しかし、すぐにその視線はそらされ、ふん、と鼻で笑われた。

「こんなできの悪い義息なんて持った覚えはないな」

 蓮さんは兄貴と同じ年だから、俺との年齢差は確か十二のはずだ。息子、と言われると複雑な心境になるよな。

「佳山……睦貴、だと?」

 小金丸はそう呟き、そして目を見開く。

「おっ、おまえ、はっ!」

 俺を指さしたまま、口をぱくぱくさせている。

「この男の……弟、か」

 小金丸は視線だけ兄貴に向け、つぶやく。

「そうそう。もう『高屋』ではないけどな」

 こういう人たちがなにを考えているのか、はなんとなくわかる。
 どうせまだ、俺が結婚した、ということは知れ渡ってないんだろう? 自分ところの娘と俺を結婚させて権力を、とか思っていたんだろう?
 あー、やだやだ。

「義理の……」
「そのままだよ?」

 満面の笑みを浮かべ、小金丸を見上げる。
 いや、しかし。
 佳山睦貴、で俺の素性を知っているのだから結婚したことくらい、分かるだろう?
 それともなに? 『高屋』の名前を捨てるために養子縁組でもした、とでも思っている? んな馬鹿な。

「とりあえず、お帰りいただきましょうか? どうやら、いろいろとご縁がなかったようで」

 立ち上がり、膝を抱えて精神崩壊させたままの由典を抱える。

「さて、車まで大切なご子息をお運びしますよ」

 なんで今回はこんなむさい男を何度も抱きかかえて運ばないといけないんだ、と思いつつ、いつまでもこの部屋に置いておくわけにもいかず、扉に向かう。

「ほら、早く来いよ」

 いつまでもぶるぶると震えたままの小金丸の腕を引っ張り、歩くように促す。ああ、女の子だったら大喜びで両手に抱えて行くんだけどなぁ。
 秘書があわてて俺たちの前を歩き、車のところまで誘導する。
 蓮さんはすべてを俺に押し付け、ついてこない。ひどいな。

「おまえはあの兄に高屋の家を追い出されたのだろう?」

 ……はい?
 車のところまでたどり着き、後部座席に乱暴に由典を押し込み、ドアを閉めたところで小金丸にそう言われる。

「私の元に来い。いい思いをさせてやるぞ」

 言われている意味が分からなくて、ついつい小金丸を上から下まで眺めまわしてしまった。

「言っている意味が分からないんだが」
「アメリカに行かされたのも、あの兄に疎んじられて、だろう? それだけの腕を持ちながら、今では高屋の仕事はしていないそうではないか」

 といかにも俺がものすごくかわいそうな境遇のようないい草で、小金丸は言ってくる。

「うちには娘ならいくらでもいるぞ。好きなのと結婚してくれればいいから」

 うっわー。なにをどう考えたら俺が佳山に養子に入った、と考えるんだ?
 もしかして……こいつの頭の中では俺は兄貴にうとまれて『高屋』の名前を強制的に捨てさせられて養子に入った、とでも思ってるの?
 なにそのめでたい脳みそ。自分の都合のよいように話を作りすぎだろう?

「おっさん、なにを勘違いしているのか知らないけど」

 とここでひとつ、大きくため息をつき、

「『高屋』の名を捨てたのは自分から、それに俺、結婚してるから、無理」

 本当に兄貴にうとまれているのなら、あそこにいるわけないだろう? こいつ、本当に代議士? 馬鹿らしくて付き合っていられない。

「ああ、俺の嫁に手を出したら……今度はおまえが代議士じゃなくなるからな。それを覚悟してから、こっちに手を出すことだな。じゃあな」

 これくらい言っても文緒が危ないような気がしたけど、そうなったら全力でつぶすまでだ。俺は小金丸に手をひらひらとさせ、兄貴たちのいる総帥室へと戻った。

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