最初から謎はひとつもないッ!!07
文緒が着替えている間、俺はなにもすることがないので適当な場所を探し、文緒の次の仕事を探したり、調整したり、本を読んだりして待っている。だけど今日は、どうやらそういうわけにはいかないらしい。
佐賀さんが息を切らせて俺のところに走り寄ってきた。
「なにか見つけたんですか?」
こわばった赤い顔をした佐賀さんの手には、なにか握られている。彼は肩で息をしながら、手に持ったものを俺に渡す。
「これは……」
そこには、美紀ちゃんのあられのない姿が写った写真。
あんの馬鹿男。
「他には?」
自分の声が思ったより低くて、自分でも驚く。
佐賀さんはもっと驚いたようで、こちらが見ていて笑えるほど身体を震わせ、口を開く。
「この周りのあちこちに……貼られていました」
「すべて回収して」
たぶん、今の俺はものすごく目が冷たかったと思う。佐賀さんは泣きそうな顔をして、くるりと身体を回転させ、来た道を戻って行った。
俺は大きく息を吐き出し、携帯電話を取り出した。
『……わかった』
電話の向こうの兄貴の声は、深く沈んでいた。なにかしてくるのは予想していたが、ここまでひどいことをするとは。あいつは一度死んだくらいでは分からない馬鹿だな。
『文緒をはじめ、事務所の人たちすべてに気をつけるように連絡を入れてくれるか』
「分かった」
あとは兄貴は兄貴で手を打ってくれるだろう。俺だけがするにしても、限界がある。
兄貴との電話を終え、すぐに事務所にかける。
今日、こちらの現場に脅迫状が届き、なにをされるか分からないので事務所のスタッフから所属している人たち全員に注意を呼び掛けるように指示を出す。
ったく、一介のマネージャーがするようなことじゃないだろう?
と思いつつも、こっそりとここの事務所の役員に名前を連ならされているし、TAKAYAグループの役員にも兄貴から強制的にさせられているし。
ちなみに、マンションの管理人に渡した名刺はこのTAKAYAグループの役員の肩書の書かれた名刺。
要らない、と言っていたものの、いつかなにかのときに役に立つから、と兄貴から無理やり渡された名刺。役に立つ場面なんてあるのかなぁ、と思いつつも持っていたのが役に立つとは。あんまり権力をかさになにかをしたいとは思わないけど、馬鹿とはさみは使いよう、というようにだな……。
さてと。その馬鹿は今、どこにいるんだろうな。
と思っていたら、更衣室の中からきゃあ、という悲鳴が聞こえてきた。
「開けるぞ!」
ノックと同時に扉を開ける。
と。
馬鹿がそこにいて、よりによって文緒を人質に取っている。
……本当にこいつ、馬鹿だ。
「おまえは……!」
由典は俺の顔を見て、さーっと青ざめている。俺は扉にもたれかかったまま、由典を見つめる。
「おまえが馬鹿でよかったよ」
目線だけで文緒に合図を送る。
文緒は魅力的な笑みを俺に向け、ヒールのついた靴で由典の足を思いっきり踏みつけ、力が緩んだすきを見て後ろ手に縛られていた腕を抜き、くるりと由典に向き合い、胸倉をつかんで……。
それは見事な背負い投げをかましてくれた。
ふ、文緒さま……やっぱり怖いっ!
床にたたきつけた由典の両腕を後ろ手にしめ上げ、なにか縛るものをちょうだい、と近くの子にお願いしていた。
他のモデルの子は唖然としていたが、その中でも好奇心旺盛な子が瞳をキラキラと輝かせて手短にあったネクタイを渡していた。
足も縛り、ふぅ、とひたいをぬぐい、わざとらしくぱんぱん、と手をはたいてみせた。
「睦貴、この馬鹿どうするの?」
どうしたものかなぁ、と思っていたら。
「大丈夫かっ!?」
と聞き覚えのある声が。振り向かなくても気配でわかる。
「あれぇ。蓮となっちゃんだ」
文緒の驚いた声に、やはり、と思う。兄貴がこのふたりをここにやったのだろう。他のだれをよこすよりもこのふたりがくればすべてが早い。
その場のだれもが蓮さんと奈津美さんを見て、驚いている。
「文緒、大丈夫?」
奈津美さんの心配そうな声。
「大丈夫だよー。蓮に教えてもらった柔道の技、なかなか使えるね」
なんてにっこり笑っているけど、蓮さんはそれを聞き、文緒を説教している。文緒はしゅん、とうなだれたような表情をしているけど、俺にちらり、と視線を送ってきたのは……全然懲りてなさそうだ。
このおてんば娘めっ!
蓮さんは奈津美さんに止められて、まだ言い足りなさそうな表情をしながらも由典を抱えて去って行った。
蓮さんと奈津美さんが去った後。なぜか文緒の周りに他のモデル仲間が群がっていた。
とりあえず、ここはもう大丈夫か。
「すぐに撮影が始まるとは思うけど、部屋から出るときはふたり一組で行動するようにな」
と言い残し、俺は控室を出る。
今日、撮影する場所に行くと、渋い表情をしたスタッフがいた。
「写真はすべて回収できましたか?」
「はい……」
佐賀さんの言葉にほっとする。
「写真、こちらに渡して。俺が処分しておくから」
封筒に入れられた写真を手渡され、中身をちらりとみて、その多さに驚く。あいつは……。
「首謀者はこちらで捕まえました。とりあえず、撮影を始めましょう。いつまでも女の子たちを待たせておけないでしょう」
スタッフたちは顔を見合わせていたけど、時間もスケジュールも押しているのは確かだ。佐賀さんもそれは分かっているようで、準備をして、と声をかける。
「睦貴さん、すみません」
佐賀さんは申し訳なさそうな表情で俺に謝ってきた。
「謝らないといけないのはこちらですよ。佐賀さんが現場責任者なのに、一介のマネージャーの俺がしゃしゃり出て」
スタッフのほぼ全員が俺が高屋の関係者、ということは知らないはずだ。俺が仕切っていたのを見て、何人ものスタッフが反発の視線を送ってきていた。文句があるのなら直接口で言って来い。
「いえ、助かりました。おろおろすることしかできなくて……」
普通なら、慣れた対応なんてできないよな。
「前から思っていたんですが、睦貴さんって何者なんですか?」
「んー? ヘタレな文緒のマネージャーだよ」
それ以上でもそれ以下でもない。ヘタレなマネージャーでしかない。
「今日の対応を見ていても、慣れ過ぎでしょう?」
「慣れてなんかないですよ。心臓が破裂しそうなくらい、どきどきしてましたよ」
文緒の背負い投げにはドキドキしたよ、ほんと。