最初から謎はひとつもないッ!!06
◇ ◇
けたたましい目覚まし時計が秒単位の差で鳴り始める。昨日、自分でかけたとはいえ、正直、うるさい。
「睦貴、おはよう」
先に起きていたらしい文緒が鳴り響く目覚まし時計を止めながら、ベッドに寝ている俺のところまで歩いてくる。
まだ眠い。
「ほら、起きて」
布団の中からなかなか抜け出られない俺の腕を引っ張る文緒を逆にひっぱり、布団の中に引きずり込む。そうして、軽く頬に口づける。
他の目覚まし時計より五分遅れて鳴るように設定していたものが鳴り始めたのを聞き、仕方がなく起き上がる。
適当に着替え、佳山家へ訪れる。
いつまでも兄貴たちの部屋の横に文緒と一緒にいるのもどうかと思いつつも、あまりの居心地の良さに新たに居を構える気がまったくない。
一度、文緒にどうしよう、という話をしたが、曖昧に返されただけだった。
文緒はしっかりしているようで、まだ親元を離れたくないのかなぁ、と思ったり。俺なんて、早く父はともかく母の元から去りたいばかりだったというのに。
蓮さんは口は悪いけど本当に文緒のことを愛しているし、母の奈津美さんも文緒のことを大切にしている。智鶴さんは文緒の育ての親だし、離れる理由はないよなぁ。
そうして、アメリカから帰ってきてからもまた復活した毎朝の食事は佳山家で。
蓮さんは毎朝、嫌そうな顔をしつつもきちんと作ってくれているし、文緒の顔を見ることができるから本心は嫌ではないのだろう。まあ、俺の顔を見るのは嫌なのかもしれないが。だけど、本当に嫌だったら、とっくの昔に追い出しているだろう。
あの人はどうでもいいと思っている人や嫌っている人に対しては容赦ないから、そうされていないということは違うのだろう、と勝手に思ってはいる。
それに、昔、文緒と入籍をした、という報告をした後。奈津美さんにこっそりと呼ばれてこう言われた。
『蓮は口ではあなたのこと、いろいろ言ってるけど、きちんと壁の内側に置いてるみたいだから』
意味が分からなくて聞き返した。
『蓮は昔から、他人に対して線というより万里の長城クラスの壁を築いていて、気に入った人しか内側に入れないのよ』
意味が分からなくて少し悩み、考えてようやく分かった。
他人に対して線引きをして付き合う人、というのがいるのは知っていた。蓮さんはどうやらそういう風に世界を認識している人、らしい。
『秋孝も深町も壁の内側の人。睦貴、あなたもきちんと壁の内側の人だから』
奈津美さんはくすり、と笑みを漏らす。
『そうじゃなければ、文緒がどれだけお願いしても、蓮のことですもの、絶対に反対して、あなたをつぶしにかかったでしょうね』
蓮さんが全力で俺をつぶしにかかってきたら、生きていられませんよ……。勘弁してください。
『相手がだれであっても、蓮は絶対にやると言ったらやる人だからね』
奈津美さんの瞳が思ったより真剣で、俺は背筋を伸ばして奈津美さんの顔を見る。
『だからね。もう少し、自分を許してあげなさい』
そう言われ、はっとする。
『責めるのは簡単よ。だけど……許すことって、本当に難しいわよね』
そう言った奈津美さんの瞳は遠くて、とても切なかった。
いつも通り、朝食を取り、一度部屋に戻る。集合時間より少し早いが、車で出かけるから、なにがあるか分からない。荷物を準備して、出かけることにした。
文緒の荷物を持ち、車へと向かう。車、掃除してもらった方がいいような気がしてきた。
駐車場に行くと、整備士がいたのでいつもの車の掃除をお願いして、代替車をお願いする。
すぐに動かせる車はコバルトブルーの日本車。中をのぞくと、落ち着いたブルーのシートで車内も広そうだったのでそれにする。
昨日、美紀ちゃんの家に行くときに乗った車は掃除をお願いして、そちらの車にする。
文緒はなにも言わないで助手席に座り、俺は荷物を後部座席に入れ、運転席に座る。
運転してしばらく経って、文緒が口を開く。
「昨日の件、どうなったの?」
昨日の、とは由典のことか。あれからどうなったのか話をしていなかったので、文緒に軽く説明する。
朝起きて、すぐに古里さんに連絡を入れ、昨日お願いしておいたホテルにしばらく避難するように伝えてはいた。それは文緒も聞いていたはずだ。
文緒の仕事が終わったら顔を出すから、とは伝えてはいた。
ホテルについて、無事に部屋にたどり着いたら俺の携帯電話に連絡を入れるようにもお願いしていた。
いつもの俺の車ではないから、携帯電話フォルダがなかったが、文緒に携帯電話は預けていた。運転中にかかってきたら応対をお願いできるように。
話が終わったタイミングを見計らうように、電話がかかってきた。文緒は着信名を確認して、俺に目で合図をしてから出る。文緒は二・三会話を交わし、すぐに電話を切った。
「無事についたって」
それならよかった。
だけど。あいつのことだから、どうにでもして接触をはかってきそうな気もする。
……そこまで根性があれば、の話だが。
道は思っていたより空いていて、予定より早くついた。
のはいいのだが。どうも現場がごたついている。
「おはようございます~」
できるだけ大きな声で現場に入る。そうすると、それまでざわめいていた現場が急に静かになる。
ん? なんか俺、やったか?
今日の現場の責任者らしい人が俺と文緒のところに走ってやってきた。
なんだ?
「睦貴さん、これ」
と手渡された紙を見て、俺はため息を吐く。
だれがどう見ても脅迫状。
A四サイズの紙に新聞の文字を切って貼った、オーソドックスなもの。
今日の撮影をやめなければ爆破する、と書かれている。
爆破ってどこを?
これを送ってきたヤツ、馬鹿なの? あほなの? 足りない子なの?
「で、こんなわけのわかんない紙きれ一枚に動揺してるの?」
さらっと言う俺に、責任者である佐賀(さが)さんは絶句する。
「この周辺は調べた?」
「いえ……まだ」
「じゃあ、調べて。不審なところがないか。それと、不審な人物がいないか」
俺の指示に、佐賀さんは再度俺を見たが、早く、と目線で促した。はじかれたように佐賀さんは走りだし、現場に指示を出し始める。
おいおい、まさかどうしよう、と年甲斐もなくみんなでおろおろしていただけなのか?
文緒は不安そうに俺を見上げているけど、用意されているはずの控室に向かうことにした。
今日は、雑誌の服のモデルの撮影で、屋内。数人で一部屋、の控室なので俺は文緒とは部屋の前で別れる。
こういうとき、男のマネージャーは中に入れないからなぁ。今度、女装して中に入るかな。
……あ、いえ、冗談です。決してきれいなモデルさんたちの裸が見たい、だなんて。
す、すみませんっ! ついつい本音が。
……ごほん。今のは文緒に内緒にしておいてクダサイ。
こういうとき、兄貴だと見られていいなぁ。
あ、いえ。お、男ならだれでもそう思うだろうっ!?