愛から始まる物語


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俺さま☆執事!?12



   *   *

 ふと胸騒ぎがして目を覚ます。寝返りを打つとじいの顔が目に入ってきた。生気を感じさせないその寝顔に一気に目が覚めた。

「じい?」

 背中を冷たい汗が伝う 起き上がり、じいの枕元に立つ。だらりとベッドの外に投げ出された手を握ると、冷たい。

「じい!?」

 あわてて口に手をやると、息が感じられなかった。
 あせってナースコールを探すが、動揺しているからかみつからない。
 靴を履くのももどかしく素足のまま廊下に飛び出し、ナースステーションに駆け寄る。そこには、眠そうな夜勤の看護師が退屈そうに指先を眺めながらあくびをかみ殺して座っていた。

「すみません」

 それほど離れていない距離だったのに肩で息をしながらようやく言葉を発した。看護師はいぶかしげに俺を見上げてきた。
 じいが息をしていないことを告げると、看護師は顔を引き締めじいの部屋へと急ぐ。俺はその後ろをついて走る。
 一足先に部屋についた看護師はじいの息と脈を確認するとポケットに手をやり、院内用のPHSでだれかに連絡を取っていた。

「気がついたのは?」
「たった今です」

 じいがいつから息をしていないのか分からない。だけど、手の冷たさからかなり時間が経っているのだけは分かった。看護師はじいに心臓マッサージを始めたようだ。覚悟していたとはいえ、ショックという一言では言い表せられない思いが胸にのしかかってくる。
 看護師に呼び出されたらしい医者が入室して来て、俺は外へ出された。室内では蘇生措置を取っているらしい。ばたばたとあわただしく人が出入りしている。
 なにもできず、見ているのも辛くて俺はロビーへ退避した。
 まだ薄暗いロビー。窓の外を見ると明かりが消え、静かな闇が見えるだけだった。
 じいがいなくなってしまう。
 寝る間際に見た疲れたじいの顔を見て、涙があふれそうになってきた。
 泣いたら駄目だ。まだじいは──。
 そう言い聞かせても分かり切った結末に涙を止めることができなかった。嗚咽を漏らすまいと必死に歯を食いしばった。

   *   *

 肩をゆすられ、はっと気がついた。

「お部屋に戻っていただいてよろしいですか?」

 先ほど呼びに行ったときにいた看護師が遠慮がちに声をかけてきた。顔を上げると先ほどあれほど暗かったロビーに光が差し込んでいる。
 いつの間にか夜があけてしまったらしい。待つ間に泣きながら眠ってしまったようだ。目を開けるとき、少し顔が引きつった。子どもみたいだな、と自嘲する。
 部屋に入ると、じいの顔に白い布がかけられていた。覚悟していたことだったが、言葉を失う。
 医者がなにか言っているが、鼓膜を震わせるだけで心に言葉が届かない。
 力なくうなだれ、作りつけのソファに座りこむ。
 眠るように死んでいったのだけは救いだったのかもしれない。苦しんだ様子はなかったから……。
 じいの死に娘のミズキがどう思うのか。気の強いミズキの瞳に涙が浮かぶかもしれないと思うと、胸が痛む。
 『家族』としてなにかしなければならない、というのは頭では分かっていたが、気持ちがついて行かず、動けずにいた。
 どれくらいそうしていたのか分からないが、部屋に人が入ってくる気配がした。顔を上げることができず、そのままうつむいていた。

「ご苦労だったな」

 兄貴が来てくれたようだった。その声にほっと安堵したらまた涙腺が緩むのを感じた。泣いたところでじいは帰ってこないというのに。

「泣きたいのなら、遠慮せず泣けばいい。その方がおまえもじいも後から楽だぞ」

 ハンカチではなくタオルを手渡され、少し笑えた。顔にタオルを当てたら、やさしいにおいに涙が止まらなくなってしまった。
 ソファの横に腰掛け、兄貴は俺の髪をやさしくなでていてくれる。その手がものすごく温かくて、余計に泣けてきた。
 どれくらい泣いていたのか分からない。
 気がついたら部屋の中はばたばたとあわただしくなっていた。兄貴は変わらず俺の髪をなでていてくれている。子どもの時でもこんなに泣いたことがないのに、みっともないな。

「じい!」

 病室の入口でふいに文緒の声がした。ばたばたとベッドの上に横たわるじいに駆け寄り、白い布をかけられたじいを見てへなへな、と座り込む文緒を見て俺がしっかりしなければ、と立ち上がらせてソファに連れてくる。
 兄貴は無言で立ち上がり、俺の顔を一瞥してにやり、と笑って部屋を出て行った。

「じいが……」

 文緒を抱き寄せ、俺の涙でぐっしょりのタオルを少し躊躇しながら手渡した。文緒は俺の涙がしみ込んだタオルをにぎりしめて俺の胸に顔をうずめてきた。そう言えば小さい時、よくこうして抱きついてきたな、と思うと自然と涙が引いて行った。文緒を抱きしめ、とんとんと背中を叩く。
 そうしていると、今から自分がなにをどうすればいいのか冷静に考えられるようになってきた。
 泣いていたってなにも始まらない。
 文緒が泣き止むまでずっとそうやって抱きしめていた。泣きやんだ文緒をぎゅっと抱きしめる。シャンプーの甘い匂いとぬくもりを感じてほっとする。

「じいは幸せだったのかな」

 文緒の声は鼻声だったけど思っているよりは張りがあり、安堵した。

「幸せだったと思うよ。文緒にこんなに愛されているんだから」

 文緒は少しくすぐったそうな表情でじいを見つめている。

「じいにはいろいろ話を聞いてもらったし、勇気ももらったんだ。──だからもう泣かないでがんばる」

 先ほど渡したタオルで涙を拭き取り、少し顔をしかめる。

「ねぇ、このタオル、なんでこんなに濡れてるの?」

 俺の涙を拭いたから、とは今更恥ずかしくて言えなかった。

「むっちゃんももしかして泣いた?」
「う、うるさいっ!」

 格好悪すぎだろう、俺。

「泣かないと思ったのに、意外に涙もろいんだね」

 くすくすと楽しそうに笑われた。お、俺だってまさかこんなに泣くとは思わなかったよ!
 普段、あまり接することがなかったけど救いを求めたりしたところをみると、俺の中でのじいの存在は思っていたよりも大きかったのかもしれない。

「それだけ大切だったんだよ──じいは」

 また泣きそうになったけど、ぐずぐずいつまでも泣いていたらじいに笑われる。



 後日、智鶴さんがこんな話をしてくれた。
『わたし、両親を火事で亡くしたんだけど、その時にじいが話してくれたの。お葬式は生きている人のためにするもので、亡くなった人とのお別れの場なんですって。悲しいかもしれないけど、いつまでも亡くなった人を思って生きていくのは前向きではないわよ』
 その話を聞いて、じいらしいなと笑えた。こうしてまだ笑えるから、大丈夫。嘆き悲しんでいても仕方がない。じいに言われたように、後悔しない生き方をしていこう。
 なにをどうすればいいのか具体的には思い浮かばなかったけど、お葬式の場でじいとはもうお別れを済ませたのだ。だけど、たまには思い出してもいいよな?




 そうして、ようやく日常生活に戻ったある日。

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