愛から始まる物語


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俺さま☆執事!?05



   *   *

 そう、小学校から中学にあがる大切な春休み。三月末だったか四月頭だったか。ちらり、と桜が散り始めた時期だったのは覚えている。
 今の兄貴たちの隣の部屋に来る前は、現在の反対側にいた。
 お屋敷向かって右側が兄貴エリア、反対が俺のエリア、といつの間にか暗黙の了解ができていた。
 しかし、食堂は右側エリアにしかなかったため、夕食はそこで食べるか部屋に運んでもらうかしていた。
 春休み、と言っても宿題もしたくないしだけど遊びにも行けず。ぐだぐだと机に座って宿題をしているポーズをとりつつ、適当に時間をつぶして過ごしていた。
 外の風が気持ちがよくて、窓をうっすらと開けたまま俺は気がついたら机にうつぶせて眠っていた。
 ふわり、と身体が持ち上がった感覚がしたので驚いて目を覚ますと、母の顔が目の前にあった。
 どうしているのだろう、とぼんやりと寝ぼけた頭で考えているとどさり、とベッドに半ば投げられるような形で寝かされた。
 そういえば机で眠っていた、ということを思い出し、ベッドに寝かせてくれているのかとまた眠りに就こうとしたら、急に下半身がすーすーとしてきた。なにが起こっているのか分からなかった。驚いて下を向くと、母が見たことのない表情で足元に座っていた。その手に先ほどまで履いていたズボンが握られていて、脱がされたことに気がついた。
 このままだと寝るのがつらいと思ったから脱がせてくれたのかな、と思っていたら、今度はパンツに手をかけられ、一気にずらされた。
 寝ぼけていたけどそこでなにかがおかしい、と気がついた。だけど身体が思うように動かず、意識だけある状態。頭はふわふわとしてなんだか夢見心地。
 声を出そうにも口を開くこともできず、手足も微妙に痺れている。
 そういえば、先ほど母が持ってきてくれたココア、少しいつもと舌の感覚が違うなと思いながら飲んだことを思い出す。
 なにか入れていた……?
 今からなにをされるのか分からず、恐怖で動悸が激しくなってきた。
 母はたまにキスをしてきたり下半身に触ってきたりしていた。嫌だったから抵抗していたけど、それでもしきりに触ってきていた。中学生になろうとしているのに、母は夜、寝る時も俺のことを片時も離そうとしなかった。
 たまに絡みついてくる母。後ろから抱きつかれ、首筋に熱い息をかけられることもあった。ぞっと鳥肌が立った。
 母は素足を下から上になぞってきた。ぞーっと背筋が凍る。

   *   *

 そこまで思い出し、じいにぽつりぽつりと語った。だけどそこであまりの気持ち悪さに思考を一度止める。
 正直、これ以上のことは思い出したくなかった。
 じいは静かに眠っている。顔を確認して、握っていた手を一度離して病室を出る。
 自動販売機でペットボトルの水を買い、その場で栓を開けて半分ほど一気に飲み干す。思っていたより喉が渇いていたようだ。
 病院の廊下には夕方過ぎと言うこともあり、まだ見舞客がちらほら見受けられる。思ったより穏やかな空気が流れていて、今はあのひどい過去ではないのがわかり、落ち着いた。
 ふぅ、と息を吐いておでこに手をあてる。指先は思っていたより冷たくなっていて少し汗をかいていたおでこに心地よかった。空調がきいてちょうどよい室温のはずなのに、じっとりとものすごく嫌な汗をかいている。
 思い出さない方がいいのかもしれない。もう一度前のように箱の中にきれいに片づけて、鍵をかけて胸の奥にしまっておいた方が──。
 そう思い、病室に戻ろうとしたところ、肩をぽん、と叩かれた。いきなりだったので驚き、少し身体が浮いたような気がした。振り返ると、なぜかそこにはスーツから普段着に着替えた兄貴が立っていた。

「ご苦労だったな」

 しまいかけていた記憶を思い出し、目を伏せる。しかしすでに遅く、気がついてしまったようだ。先ほど見せたなんとも言えない複雑な表情で俺を見ている。

「とりあえず病室に行こうか」

 逃げようとした俺の腕をがしりと捕まえ、半ば引きずられるようにじいの眠る病室へ向かう。
 軽くノックをしてから入室する。先ほどと変わらず、じいはベッドの上で眠っていた。

「たまたまおまえが居合わせたから思ったより大事に至らなかったらしいな」

 逃げることも記憶を片づけることもできず、途方に暮れてしまった。今更片づけたところで、悪あがきか。それなら見せつけた方がいいのだろうか。そのどちらもできず、力なくうなだれているしかできなかった。
 兄貴は部屋に作りつけのソファに腰を下ろし、ベッドの横にたたずむ俺を見上げている。

「座ったらどうだ?」

 兄貴から逃げるように反対側に回り、隠れるようにじいの横にパイプ椅子を持ってきて座る。

「取って食うわけじゃないよ」

 苦笑したような声が聞こえたが、今の俺にはとって食われた方がよほどいい。
 なんとなく心があの頃の暗闇しか見えない心細いどこかにいるような錯覚に陥り、所在なさげに視線を宙に漂わすことしかできなかった。
 結局、一番見られたくなかった兄貴にすべてではないとはいえ、見られてしまった。
 鍵を開けて思い出さなければよかった。

「十九年以上、よく俺に気がつかれないように記憶をしまっておけたな」

 楽しそうな、それでいてとがめるような口調に少しだけ視線を向ける。

「知っていたんだよ、全部」

 意外な言葉に驚いて、顔をあげた。

「あのばばあは俺に見せつけてきたんだよ、おまえとのその、」

 兄貴は言葉尻を濁したけど、俺の顔をしっかりと見てくる。

「殺意を覚えたね。もしもまだこの先も手を出すのなら殺す、と脅した」

 母と兄貴のそのやり取りがいつだったのか知らないけれど……母がおびえるようにして兄貴を避け出した頃を思い出すと、俺が小学生の頃だったような気がする。
 とすると。

「兄貴はその、俺とあいつの関係を……どこまで知っている?」

 墓穴になるような気がすると思いつつ、聞いてみた。

「添い寝して、たまにその、キスをしているくらい……か」
「そうか」

 ほっとしたような、それでいて黒い気持ちが奥の方からもたげてきて見せつけたい衝動に駆られる。そんなことをしたら、軽蔑される。兄貴はきっと、俺のことをさげすんだ目で見る。その一瞬の隙の黒い気持ちを読み取ったらしく、兄貴は驚いた表情で口を押さえ、俺を見ている。この少しの黒い気持ちでそんな表情をするのなら。
 頑丈な箱にそのまま入れて二重で鍵をかけてしまいこむ。
 これを見せることはできない。それに、やはり思い出したくない。
 見えなくなったのか、兄貴は口を覆っていた手をはずして大きく深呼吸をしてからこちらに歩いてくる。

「おまえは──」

 椅子に座ったまま、兄貴を見上げる。暗い茶色の瞳には驚愕の色が見てとれる。

「すべてを知ったら、俺が弟なのを後悔するぞ」
「そんなこと、あるか!」

 そういうなり、瞳を潤ませて抱きついてきた。

「すまない。気がついてやれなくて」

 泣いているのか、声が震えている。どうすればいいのかわからず、されるがままにしている。
 さげすまれるとばかり思っていたので、兄貴のこの行動に戸惑ってしまう。だけどきっと、すべてを知ったら……。

「あのばばあは殺しても足りない。十五年前、おまえがあそこに来てくれたから……」

 よかった、と囁くように呟く。
 まさかそう言われると思っていなかったので、驚いて目を見開く。
 ずっと……苦しかった。逃れることができず、母に求められるがまま……。

「無理に思い出さなくていいから。忘れることもできないかもしれないが……気が向いたらまた、教えてほしい」

 離れた兄貴の目は赤くなっていて、瞳には涙が光っていた。

「おまえの方がよほど泣きたいよな。すまない、俺が泣いて」

 少し照れくさそうに涙をぬぐっている。
 今なら話せそうな気がした。

「兄貴、俺の話を聞いてくれるか?」
「あぁ」

 兄貴は先ほど座っていたソファに移動をしたので、パイプ椅子から立ち上がり、椅子を持って近くまで移動する。

「兄貴が思っている以上にえぐくて最低な話になると思うが、いいか?」
「先ほど見えたものよりもか?」
「どこまで見たのか知らないけど、たぶんものすごく最低だ」

 先ほどしまったばかりの箱を引っ張り出して来て鍵を開ける。解錠の音にやはり背筋に嫌な感触が走る。母にされた行為を思い出し、吐き気がこみ上げてくる。
 だけど今、話さないともう話す機会がないと思った。じいも聞いてくれている。

「中学入学前の春休みの話だ」

 俺は先ほど思い出したところまで兄貴に話して聞かせた。兄貴はじっと俺を見て黙って聞いている。この部屋を出る前に思い出したところまで語ったところで、やはり顔面が蒼白になっていた。

「兄貴、大丈夫か?」

 声をかけるとはっとしたように俺を見る。青い顔をしている。

「すまない、少し頭が痛い」

 そう言うなり、いきなりまた抱きついてきた。

「おいっ!」
「ちょっとそのままにしろ。すぐに頭が痛いの、治るから」

 意味が分からなかったけど、そのまま待つ。

「女が騒ぐのも分かる気がする」
「はい?」

 言われている意味がさっぱり分からない。
 女が騒ぐのは、俺が『高屋』だからだろう?

「俺が『高屋』だからだろう? 名前に惑わされて寄ってくるだけだろう」

 吐くような言葉に兄貴は苦笑している。

「もう少し自信を持て。俺が女だったら、おまえに一度くらいなら抱かれてみたいな」

 俺はあせって兄貴を引きはがす。

「俺はそういう趣味はまったくないぞ!」
「はっきり言っておくが、俺にもない。女だったら、と前置きをしただろう?」

 兄貴は先ほどの青い顔が嘘のようにいつも通りの表情をしていた。
 そしてにやにやと笑い、

「もう大丈夫だ。続けてもらおうか」
「この先、もっと──」
「だけどそれはおまえが経験したことだろう? 兄として知る権利はあると思うのだが」


 そう言われると強く言えず、思い出したくもない過去を思い出す。

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