俺さま☆執事!?03
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ため息をつき、静まり返った部屋の窓を開け放つ。
明後日からゴールデンウィークということもあり、柊哉と鈴菜はこのお屋敷に戻ってくる。その初日にパーティを済まそう、ということなのか。
春のさわやかな風が部屋を駆け抜ける。
しかし、俺の心はその風とは真反対の淀んだような重苦しい詰まったような気持ちだった。
柊哉はずっと文緒のことが好きで、大きくなったら結婚する、と公言しているのだ。周りの人間はそれを知っているが、そうではない者からすれば、柊哉のことを取り込みたい、と思うだろう。特に娘を持っているのならなおさら。
パソコンをつけて柊哉の行っている学校の評判を調べる。
評判は上々。しかし。経営状況を見て、眉をひそめる。
兄貴がしぶっていたのはこれが原因か。
娘が見そめて、というのもどこまで本当の話か分かったものではないな。
「本当にあの兄貴はやっかいな話ばかりもってきやがって」
ニートでヘタレな獣医のはずなのに、気がついたら兄貴のペースに乗せられてこうしてたまにこっそりと会社のことをさせられている。気がついていてもそれに乗ってしまう俺もいけないんだよな。そのうち、深町さんの代わりに兄貴の秘書をさせられるのもそれほど遠い未来ではないような気がして来て、俺は深いため息をついた。
十六時過ぎ。クラブ活動をしていない文緒はたいていこの時間には家に帰ってきている。文緒が廊下を歩いて部屋に戻っている音を聞き、少ししてから佳山家へ向かう。合鍵で玄関を開け、文緒の部屋の前に立つ。ノックをするとすぐにドアが開けられた。文緒は目をまん丸にして驚いた表情で俺を見上げている。
「やだむっちゃん、珍しい」
にっこりとえくぼを刻み、文緒は部屋に入るように促してくる。が、いくら文緒のことを『娘』と思っていても、年頃の女の子と部屋でふたりきりになるのは激しく危険と判断して、俺はダイニングで話をしようと提案した。
かなりつまらなさそうな顔をしていたけど、まだ誕生日がきていないから十四歳だろう、文緒。青少年なんちゃらで俺はつかまるだろうっ!? 十五でもアウトなんだがなっ!
……俺、やる気満々だな。ほんと、『歩く下半身』と言われても仕方がない。
はーあ、とため息をつきながら勝手にキッチンを使って紅茶を入れる。奈津美さんほど上手には入れられないけど、それなりのものは入れられるはずだ。目の前にあった茶葉を手にして袋に書いてある通りの分量を入れ、お湯を注ぐ。文緒はたどたどしく紅茶を入れている俺を面白そうに眺めている。
本来なら文緒が紅茶を入れるところなんだろうが、絶望的に不器用なので二度手間どころか恐ろしいことになるので俺が入れるのが手っ取り早い。
文緒には三つ下の弟・文彰(ふみあき)がいるのだが、彼は勉強もこういうのも器用でなんでもできる。文彰は小学校六年生だが今日もサッカークラブで練習に励んでいるはずだからまだ帰ってきていない。
蓮さんと奈津美さんはブライダル関連の会社を経営しているので、帰りは遅い。
ニートな俺が必然的に文緒と文彰の保護者、となっているようなものだ。
どうにか紅茶を入れ、かぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。いつもお世話になりっぱなしだから今度、紅茶をさしいれしよう。奈津美さんの入れてくれる紅茶、美味しいんだよねぇ。
文緒のお気に入りのカップにお茶を入れ、俺は自分専用のマグカップになみなみと紅茶を注いでテーブルに座る。
「柊哉の婚約者の役をしろ、と兄貴に言われたって?」
紅茶に砂糖とミルクを入れていた文緒はムッと顔をしかめて俺をにらむ。
「柊哉、強引だから嫌なんだもん」
唇を尖らせて呟く文緒にくすり、と笑う。
「柊哉は昔から文緒のことが大好きなんだよ。蓮さんも奈津美さんも反対していないし、なんたって玉の輿だぜ」
佳山家は一般的なサラリーマン家庭である。俺は産まれてからずっとこの高屋のお屋敷でしか過ごしたことがなかったから、初めて佳山家を訪れた時はあまりの違いにびっくりした。だから柊哉と鈴菜を外に出して見聞を広めさせる、というのはとてもいいことだと思っていた。それがこんなことになるとはねぇ。
「玉の輿なんてどうでもいい。わたし、将来はなっちゃんみたいにばりばり働くつもりでいるから」
小さい頃はずいぶんとさみしい思いをしていたみたいだが、文緒の中では奈津美さんは母である以前にあこがれの女性、らしい。育ての親は智鶴さんのようで、こちらを『お母さん』と呼んでいる。
「よし、それなら俺から最初の任務を与えよう」
「はい?」
文緒はきょとんと俺の顔を見ている。そのあどけない顔を見ていると文緒もまだまだ子どもだな、と思う。
「明後日のパーティに柊哉の婚約者として出席しろ。俺はおまえの執事として出席しなくてはならないらしい」
「……執事?」
文緒の疑問にうなずく。しかし、なんでよりによって執事、なんだろう? ボディガードの方がよくないか? いやしかし、そうすると俺、そっち方面はあまり得意ではないからなぁ。それでか?
そうだ、あとでじいに執事らしく見えるにはどうすればいいのか聞きに行ってこよう。
文緒は砂糖とミルクを入れた紅茶をかちゃかちゃと音を立ててかき混ぜながらなにかを悩んでいる。あまりその動作はお行儀よくないぞ、と口を開こうとした時。
「むっちゃんの執事姿が見られるなら、パーティに出てもいいよ」
えくぼを深く刻んでにっこり微笑んでいる。あっさりと了承を得て、俺の目は点になっていた。
なんか理由がアレだけど、出席してくれるのなら……いいか?
「むっちゃんの執事姿、楽しみだなぁ」
文緒……楽しみにするものを間違っているぞ。
「あ、それならわたし、なに着て行こう!? お母さん、部屋にいるよね、聞いてくる!」
紅茶を一気飲みして、文緒はカップをそのまま放置して家を飛び出して行った。……お行儀悪いぞ、文緒。
文緒とゆっくり話をするつもりでなみなみと注いだ紅茶を飲み干し、文緒が飲んだカップと自分のを洗って食器洗い置き場に伏せておく。
さっそくじいのところに行こうとしたら、兄貴と深町さんと廊下でばったり出会ったので、先ほど文緒と話をしてパーティの出席の返事をもらったことを伝える。
「さすが睦貴」
兄貴は目を細めて俺の猫っ毛な髪をくしゃくしゃとしてくる。
あー! 癖がついたらなかなか直らないからやめてくれっ!
顔をしかめて兄貴の手を逃れる。
そういえばこれ、親父もよくしてきたな。めったに顔を合わせない父親を思い出し、きりっと胸が締めつけられる。
親父は……知っているのだろうか。
母の異常な愛の話をそのうちだれかにしたいと思いつつ、だれにも告白できずにいる。胸の内にずっとためておくのは苦しくて、だけどそんなに軽々しく語れる内容でもなく。
あまりにもおぞましい記憶過ぎて心の奥の奥に頑丈な箱に入れて鎖をぐるぐるにかけてしまっているのでたぶん、兄貴さえ知らない。
そのことがあってから、母はますます兄貴を遠ざけた。
だったら──あんなことしなければいいのに、とちらりと記憶がよみがえり、背筋がぞっと凍る。先ほども少し出てきたせいもあり、あんなに厳重にしまっていた記憶が隙間から表面にほんの少しだけ噴出してきて、兄貴の眉がぴくり、と動く。
「睦貴?」
今まで見たことのない兄貴の表情を見て、片鱗を見られたことを知る。
しまった。
俺はあわててその記憶を前よりもずっと奥の奥に押しやり、絶対に知られないようにふたをする。
俺はいままで通り、ヘタレでニートで馬鹿な男を演じる。知られたらまずい。俺と母のふたりだけの秘密でいいのだ、こんな異常なこと。
「……また隠されたか」
その呟きに兄貴を睨みつける。俺と母の間に『なにか』があるのを知っている。それがなにか詳しく知らないし、知ったらきっと、気がふれること間違いない。
「話した方が楽になるぞ」
言われなくても知っている。だけど……こんな話、できるものか。
今すぐにでも兄貴と深町さん相手に吐き出してしまいたいと思いつつも……知ったら軽蔑されるのがわかっているし、兄貴に話せるわけがない。
深町さんなら分かってもらえるかもしれない、と思ったのは……深町さんが智鶴さんを見る視線に母と同じにおいを感じたから。
深町さんと智鶴さんは腹違いの兄妹なのだ。それなのに
「愛している」
と公言している。対する智鶴さんは、その想いを迷惑に思いつつも兄だからか、大切に思ってはいるらしい。
智鶴さんはそんな深町さんも包み込んでしまうほどの深い愛をもった包容力のある人で、兄貴と智鶴さんの会話を聞いているとなんだか不思議な気分になってくる。
兄貴が智鶴さんに一目ぼれした、というのも分からないでもないなぁ、とたまにぼんやりと見ていることがある。
俺は──この暗い気持ちをだれかに打ち明けられる日が来るのだろうか。