【番外編】『真理と摂理』《1.摂理は語る》
オレの名前は辰己摂理(たつみ せつり)。記録的な雷雨の晩、オレは双子の兄・真理(しんり)とともにこの世に生を受けた。
辰己の家は昔からの旧家で、男子誕生に喜び沸いたらしい。この家は昔から長男が家督を継ぐという決まりらしく、先に産まれた真理がこの家を生まれながらにして継ぐという任務を背負わされた。オレはそれを知った時、よかったと心の底から思った。オレみたいないい加減な人間が継ぐより、真理のようにしっかりした奴が継いだ方がお家安泰ってものだ。
「よう、真理」
婚約者の真家花梨(まや かりん)とともに真理の部屋を訪れた。真理は勉強中だったようでムッとした表情で迎えてくれた。相変わらず真面目だな、大学の勉強なんて適当にすればいいのに。
朽葉色の髪に鶯茶色の瞳。オレと真理は一卵性双生児だったらしく、見た目はそっくりだ。同じ恰好をして、同じ表情で立っていればどちらがどちらか分からない。
しかし、真理はいつも瞳の奥に不安そうな色を宿していたから、目を見ればすぐに分かる。あいつはなにを不安がっているというのだろう。
「なにか用か?」
その声音に不機嫌の色を感じ取り、少し肩をすくめる。
「唯花(ゆいか)を最近、相手してないそうじゃないか。花梨から話を聞いたぞ」
唯花??直見唯花(なおみ ゆいか)。『稀代の名女優』と言われている美しい女性。濡羽色のつややかで美しい髪に黒茶色の理知的な瞳。オレの婚約者である花梨も美しいが、唯花は美しいを通り越して神々しかった。
真理と唯花が並んでいると実に絵になる。
オレと真理は確かに同じ見た目だが、真理はいつも折り目正しくピンと背を伸ばしていたから唯花と並ぶと本当に絵でも見ているのではないか、と思うほどの美しさだった。
オレは眉を寄せ、ため息をつく。
「唯花はわたしのことを嫌っているらしいからな。それに今、試験前で忙しい。彼女も仕事が大変そうじゃないか」
真理は唯花のことをとても愛しているようなのだが、肝心の唯花は……嫌っている、を通り越して憎んでいるのではないかというくらい真理のことを嫌悪している。どうしてそこまで嫌っているのか唯花に一度、聞いたことがある。
『あなたがそんなことを聞いてくるとは思ってもいませんでした』
唯花はそう言うなり、オレに抱きついてきた。
『真理ではなく、あなたがわたしの婚約者だったらどんなによかったか……』
そう言って泣かれた時は困った。結局、はっきりした答えは聞けなかったのだが……。
真理はオレと違って唯花一筋だ。
オレでさえ女たちからの甘い誘惑がたくさんあるのだから(そして、オレはそれをありがたくちょうだいしている)、真理は辰己の次期当主なのだからそれはそれはたくさんあるはずなんだが。これがまったく相手にしていないらしい。もったいない。
『女なんて適当に遊べばいいんだよ』
真理にそう言ったら、ものすごい嫌な顔をされた。
向こうだって『いい思い出』がほしいからオレのことを誘ってきてるんだろう? それならお互い、いい思いをすればいいだけの話ではないか。
不器用というか真面目というか……本当に困った奴だ。
真理の様子を見かねていつもは黙って様子をみているだけの花梨が口を開きかけた。オレはそれを止め、花梨が言いたいことを代わりに言った。
「唯花が嫌がっているのなら、婚約解消……」
唯花がこの間、花梨に泣いてお願いしたらしい。
産まれながらに決められた、婚約者。小さい頃からいい聞かされて育ってきたから唯花は諦めていたらしい。が。真理は真面目すぎて、オレみたいに手を出してこないという。
『わたしだって人肌が恋しい時があるんです』
そう言って以前、唯花がオレを誘ってきた。もちろん、ありがたくいただきました。
真理の婚約者だと知っているけど、唯花がそう望んだんだ。真理がそうやって愛してあげないのなら、オレが代わりにと思って抱いたのだが、それ以来、唯花からたまに誘ってくる。同じことを真理にすればいいのに、と思ってそう言ったら、
『あの人は……駄目です。結婚してからと言われました』
あーあ、これだから真面目くんは駄目なんだ。
『あなたがわたしの婚約者なら……』
そう言ってオレの腕の中でさめざめと泣く唯花。しかし、残念ながら唯花のことは好きだが、愛しているのは花梨ただひとりだ。
そのことを告げると、唯花は激しく泣き始めた。そうとでも言わないとオレと唯花とのこのいけない関係が続く、さすがのオレでもどこかでキリをつけなければ……と思っていたのだが。
それ以降、唯花はますますオレを求めてきた。どうやら逆効果だったらしい。
そして、花梨にオレとの関係は言わずに婚約を解消したいんだけどどうすればよいか、と相談したらしい。
……あいつもしれっとそういうことを花梨に相談できたよな。
花梨もお人よしだから、親身になって唯花の世話をして、困った挙句、この話をオレのところに持ってきた、というわけなのだ。
『わたしはあなたと
「結婚」
という確かな証は要らないのです。ただ……ずっと、あなたの側においてください』
そういって涙をためた瞳ですがられて、嫌だ、とは……とてもじゃないけど言えないよな、男として。
オレは花梨のみならず、だれにもこの関係を言わないと約束してくれるのなら、いつまでも側にいてもいい??われながらひどいよな??と唯花に言った。オレとしてはいつでも好きな時に抱ける女が側にいるのは好都合だと思ったからそう言ったのだが……。唯花もそれでいい、という。
『わたしは家庭を持つ気はないのです』
仕事が充実していて、面白いから家庭という枠に縛られたくないらしい。
真理と結婚したら女優業を辞めなくてはならないのは確かだ。それも嫌で真理と結婚するのもかなりしぶっている様子だ。
真理はオレを睨みつけ、
「それは絶対にしない。唯花はわたしのことを嫌っているが、わたしは彼女のことを愛している」
予想通りの言葉が返ってきた。花梨はその言葉にはっと息を飲み、両手で口を押さえた。そしてその色素の薄い砂色の瞳にみるみるうちに涙をため、泣き始めてしまった。ったく、女を泣かせるなよ。オレは真理を睨みつけ、花梨を抱き寄せ、錫色の髪をなでた。
「愛しているのならもう少し唯花のこ……」
真理の冷たい視線に気がつき、オレはそれ以上、言葉を継ぐことができなかった。
真理がこの表情をした時は要注意だ。普段はオレよりは温厚だが、切れるとなにをするかわからない危うさがある。双子のオレでさえ想像もつかないことをやってくれる。
以前、屋敷に子猫が迷い込んできたことがあった。オレと真理は子猫を保護して、育てようという話になった。子猫はじゃれているつもりだったようだがふとした拍子に真理の手を少し引っ掻いた。その途端、この表情をして……子猫をつかみ上げ、その細い首をひねり、殺してしまった。さすがのオレでも……これには引いた。
どうしてそんなことをするんだ! と怒鳴りつけたら、
『わたしのことを傷つけたから』
と鶯茶色の瞳に先ほどと同じ冷たい光を宿してオレを見つめた。
殺される??。
オレはその時、産まれて初めて背筋が凍る思いをした。
同じ双子なのに、こいつはオレにない狂気を隠し持っている。いや、自分が知らないだけでオレにもこんな狂気があるのか???
オレはしばらく悩み、それを忘れるために手当たりしだいの女を抱いた。
そうだ。そんな時、唯花から誘ってきたのだ。真理の代わりに唯花を抱くことで真理の気持ちが分かるかもしれない。そんなことを思ったような気がする。
あれは……オレたちが中学に上がったばかりのことだった。唯花との関係はそんな前からだったのか。
今思えば、唯花のあのセリフもすごい内容だ。中学生が『人肌が恋しい』とか言うのか? ませたガキだ。
昔から大人の世界で仕事をしてきた唯花だ。仕方がないと言えば仕方がないの……か?
そういえば、花梨にはまだ手を出してなかった頃だよな。唯花が初めての相手だったような気もする。
「人の心配をするくらいなら、自分たちの将来を考えたらどうだ、摂理?」
あの猫を殺した日と同じ瞳で真理は花梨を見て、オレを見た。
「早く入籍でもしてけじめをつけるのが男としての役割だと思うのだが」
痛いところを突かれ、オレは真理から目をそらした。
女とは怖い??。この一件でオレは思い知った。
花梨が『今日は大丈夫だから』と言ってそのままオレを迎え入れた。それが花梨の策略だと気がつかず、オレは花梨の言葉を真に受けた。
オレが大学を卒業したら籍を入れよう、と言っていたのに、花梨はなにか証がほしかった、と涙ながらに語っていた。もしかしたら、花梨はオレと唯花の関係をあの時、知ったのかもしれない。唯花への当てつけだったのか?
「わたしに遠慮でもしているのか? それとも世間体か? そんな腹の足しにもならないものを気にするくらいなら、早く入籍して花梨を安心させてやれ」
真理はそれだけ言うと、机の上に視線を戻した。会話を拒否、ということか。
オレは仕方がなく、泣きじゃくっている花梨を抱きかかえるようにして部屋を後にした。