【番外編】『真理と摂理』《5.真理は語る》
奈津美と蓮ふたりを食事に招待してみた。あのふたりのことだから来るだろう、と予想して。
「ようこそ」
予想通り、ふたりはかなり嫌な顔をしながらも来てくれた。
「わたしの招待に応えてくれるとは思わなかったよ」
来ない可能性もある、とは思っていたので素直にそうふたりに告げた。きっと食事をしないで帰る、というだろうと思っていたら。
「話に来ただけですから。すぐに帰らせてもらいます」
予想通りの回答にわたしは面白くなり、目を細める。
「わたしがおとなしく帰らせるとでも思っていた?」
「思っていませんが、帰ります」
どうあっても帰る、ということか。嫌がられて逃げられるのはもう懲りていたので、今日は素直に帰そう、と決める。
「わたしに対してそういう態度をとるのは、深町と秋孝くらいだよ……。本当に面白い」
素直な感想を蓮に伝えると、鳶色の瞳に不快の色を浮かべ、
「面白いのを知っているのはオレだけで充分です」
と返してきた。
そんなに嫌わなくてもいいのに。
「きみたちは深町は受け入れているのに、わたしのことを嫌うのがよくわからないね」
わたしと摂理の差、わたしと深町の差。
どこに差があるのか、わたしにはまったくわからない。その差がどこにあるのか、知りたかった。
しかし、ここで仲良く雑談をしている場合ではないのだ。
「わたしは別にきみたちと仲良しこよししたくて呼んだわけではない」
そう、わたしはどうあってもこのふたりを手に入れたい。ともに仕事ができたら、毎日が充実して面白いと思うのだが。
「もう一度聞く。わたしとともに働く気はないか?」
「ありません。お断りします」
問いに対して、奈津美は脊髄反射のごとくの回答をよこす。
「少しでも考えてくれればいいのに。相変わらず冷たい人だ」
焦げ茶色の瞳に射るような強い光を宿してわたしを見ている。
「何度聞かれても同じ答えしかお返しできませんから。話はそれだけですか? 帰ります」
奈津美はソファから立ち上がり、応接室の扉へ向かって歩き始めた。
わたしはあせった。さすがにこのまま帰ってもらうのはよろしくない。
「せっかく来てもらっておもてなしもしないまま帰すなんて、できませんよ。高屋のお屋敷のシェフたちに劣らぬ料理を楽しんで帰っていただきますよ」
シェフにお願いして、すばらしい料理を用意してもらっているというのに。食べてもらえないで帰すのは、いろんな意味でもったいない。
「料理になにか仕込んだり……してないのなら」
「そんな料理に対して失礼なことはしませんよ」
シェフが心をこめて作ってくれた料理にそんなことできるわけがない。
「あなたたちふたりを無理やり手に入れることなど、いくらでもできます。だけど……心のないあなたたちなら、わたしは要りませんから」
人形ならいくらでもいる。見た目だけの美しいモノなら……わたしはいくらでも手に入れることができる。中身も伴ったものが、ほしいのだ。
「わかりました。食事をいただいて帰ります」
奈津美はわたしを正面から見据え、凛とした声で宣言してきた。その言葉に、蓮は信じられなかったようで奈津美の肩を掴んで首を振っている。
「蓮、ここまで来たのなら同じじゃない。真理は私たちをきちんとお屋敷に帰してくれるよ。『毒を食らわば皿まで』というじゃない」
本当にこの奈津美という女性は面白い。本人を目の前に堂々と悪口を言ってくるとは……。
「わたしは毒ですか」
「薬にはならないでしょう、どう考えても」
あまりにも正論すぎて、わたしは思わず声をあげて笑ってしまった。ああ、本当にこの女性はわたしを楽しませてくれる。側にいてくれるだけでいいのに。側にいて、そうやっていつも笑わせてくれるだけで……満足だというのに。どうしてそんな些細な願いさえも、叶えられないのだろう。
わたしは……なんでも手に入れてきた。だけど、人の心だけはどうしても手に入れることができない。望んでも、いくら渇望しても、人の心を手に入れることができない。秋孝はあんなにも簡単に人の心を手に入れているというのに。
わたしになにが足りないというのだろう。
奈津美と蓮とともに食事をしながら、ふたりがぽつりぽつりと交わしている会話をぼんやりと聞きながら思いをはせる。
摂理にあって、わたしにないもの。
深町にあって、わたしにないもの。
秋孝にあって、わたしにないもの。
……考えても分からなかった。
今日の食事はいつも以上に楽しく、そして美味しかった。わたしはとても機嫌がよかった。
「気が変わったらいつでもここに連絡してほしい。待っている」
どうあってもふたりとのつながりがほしくて、わたしは自分のプライベート用の携帯電話の番号を渡した。奈津美は首を振ってカードを返そうとしていたが、
「今日、わたしがあなたたちになにもしないで帰すのだから、これくらいは受け取りなさい」
これだけはどうしても譲れず、強い口調でカードを差し出した。奈津美はしぶしぶといった感じで受け取っていた。奈津美はたぶん、このカードを捨てたりはしないだろう。連絡してくるかどうかは別として、受け取ってもらえただけでもわたしはうれしかった。
「あなたたちが連絡してくるのを、心待ちにしていますよ」
約束通り、奈津美と蓮を帰すことにした。かなり名残惜しかったが、約束したものは仕方がない。ふたりの乗った車が見えなくなるまでわたしはずっと、見送った。
* *
わたしは先の事件でつかまり、早々に社長の座からおろされていた。自分に乗せられていた荷物がひとつ減り、ほっとしていた。
「タツミホールディングス」
は辰己の親戚が社長を引き継いでくれた。前々から社長業というものは向かないと思っていたので、気持ちがずいぶんと楽になった。
摂理が生きていたら、次の社長は摂理だったのだろうな。そう考えると胸の奥でなにかがちくちくと疼いた。その感情がなんと呼ばれているのか、わたしは知らなかった。
この事件のことは……もうこれ以上思い出したくもないので、語るのはやめよう。
* *
それからのわたしは、ぼんやりと日々を送っているような状態であった。なにをするにも気持ちがついていかず、中途半端な状態。たまに深町が嫌な顔をしながら食事を付き合ってくれたり、奈津美と蓮もほんのたまに付き合ってくれる時は心が安らいでいた。
しかし、奈津美と蓮に子どもができてからは……子育てと仕事が大変なようで、そういった交流は途絶えてしまった。
仕事をしなくても生きてはいけたが、さすがに死ぬまで無為に過ごすのもと思い、新事業を立ち上げたりしてみた。そこそこ順調で、安堵した。
仕事は順調だが、プライベートはさみしいものだった。だれひとりとしてわたしのことは相手せず、腫れものに触るかのような扱い。陰ではいろいろ悪く言われているらしく、ますますだれも近寄ってくることがなかった。
さみしかったが、それでいい。見知らぬ人間の負の感情はどうでもいいのだ。身近な人間から向けられる『嫌悪』の感情にもう触れたくなかった。自分のことを怖がって、嫌って逃げられるのはもうごめんだ。
どうして自分がこうも嫌われるのか??まったくもって分からなかった。
* *
周囲はわたしが妻をめとらないことをとがめ、いろいろな人間を連れて来るが、わたしは一向に興味を持てないでいた。唯花以上に愛せる人間がいないのだ。父もやはり、わたしと同じ気持ちだったのだろうか。
わたしは結局、唯花に触れることができなかった。それなのに摂理は……わたしのできなかったことをいとも簡単にやってのけてくれた。
わたしは、不器用なのだろうか。
『女なんて適当に遊べばいいんだよ』
昔、摂理はそんなことを言っていた。適当に、と言われてもそんなこと、できやしない。
学生の頃、摂理は確かに適当に遊んでいた。だけど、花梨のことは大切にしていたのは知っている。そんな器用な真似はできなかった。唯花しか、愛することができなかった。
そのわたしの想いは……唯花には重荷になったのだろうか。
もう少し摂理のように器用だったら、唯花は逃げなかったのだろうか。
問いかけても記憶の中の唯花は??わたしから視線をそらしたまま、答えをくれない。
唯花、どうして摂理をそんなに切ない瞳で見ているのだ。
わたしと摂理、どこが違うと言うのだ。
同じ時間、母のお腹の中で育ち、わたしが先に産まれてきたというだけで??。
それ以外、なにがどう違ったというのだ。
わたしと摂理。見た目はまったく一緒だった。
鏡を見る。しわも増え、白髪も出てきた。摂理も生きていれば、鏡の向こうの自分と同じ見た目だったのだろうか。
鏡の向こうのわたしは、ずいぶんと老けていた。鏡に向かってこぶしを振り上げ、鏡をたたき割った。にぶい音がして、鏡は割れた。割れた鏡が手を切り裂いた。赤い血が壁を伝って床を濡らしていく。
「ふふふふ……」
わたしにもきちんと赤い血が流れているではないか。なにが……違うというのだ??!
* *
わたしは病の床に伏していた。この世から去るのも時間の問題と言われていた。枝のようにやせ細った腕には幾本もの管がつながれ、それが生命を維持していた。
わたしは自分の命が終わりを告げるのを知り、かねてから気になっていた高屋睦貴をここに呼ぶことにした。睦貴なら??手に入れることができなかったこの『想い』を形にしてくれるような気がしていた。
『はい』
警戒したような声が受話器の向こうにした。これが……睦貴の声か。
「睦貴、か」
荒い息の下、ようやく発した声は思った以上にかすれていた。
『おまえ、真理か? なんの用だ。というかだ、この電話の番号、よくわかったな』
わたしは睦貴を驚かせることができ、満足した。
「文緒(ふみお)とふたり、なんだろう?」
文緒??佳山文緒(かやま ふみお)、奈津美と蓮の娘。睦貴と付き合い始めたのを知った時、わたしは驚いた。自分の父ほどではないが、それでも年齢差は十六ほどあったような気がする。それに、睦貴は文緒を取り上げ、娘のように可愛がっていたはずだ。なにがどうなってそういう関係になったのか、わたしにはまったくもって理解不能だった。
『一緒だよ。なに、ようやくご招待してくれるのか?』
その言葉を聞き、睦貴は誘いを心待ちにしていたことを知る。もう少し早くに誘えばよかったのだろうか。そうすれば彼は、わたしの要請にこたえてくれただろうか。ふと後悔に似た気持ちが心によぎる。
「話が早いな。今からそちらに迎えをやる。お屋敷から目が届かない場所で待っていろ」
睦貴は前もって考えていたらしい場所を提案してきた。詳しく聞き、電話を切った。人を呼び、睦貴に指定された場所に車をやるように指示をした。
睦貴が来るまで少し眠ろう。そう思い、瞳を閉じた。