【番外編】『真理と摂理』《4.真理は語る》
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『ちょっと! うちのガラスとフローリング、きちんと弁償してよっ! 請求書、あんたの名前にしておくから!』
深町から急に電話がかかってきたと思ったら、聞いたことのない女の声がそう言ってきた。ああ、この声は……奈津美の声か。そう思い当たり、面白くなって声をあげて笑った。こんなに笑ったのは、久しぶりかもしれない。そう思うと……ますます奈津美を手に入れたくなった。
「あははははは、支払うから請求書、こっちに回しておいて」
なんだか妙に気分がよかった。深町はぐちぐちと文句を言ってきているが、今日はそんなこと気にならないくらい軽くて穏やかな気持ちになった。
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奈津美と蓮が会社を辞める、という話を知り、わたしはふたりに少しあいさつをしたのだが警戒されてしまい、手を出しにくくなってしまった。少し遊びが過ぎたようだ。またしてもよりによって秋孝に奪われてしまった。
そして、会社を辞めるという最終日。これを逃すと秋孝の保護の元、なかなか会うことができなくなるのが分かっていたのでわたしは少し危険を冒してふたりに会いに行くことにした。
会社へは堂々と正面から入り込んだ。特にとがめられることなく、内部には簡単に入り込むことができた。そして、ふたりが働くフロアに行くと、ちょうど奈津美ひとりが歩いていた。
奈津美はわたしの顔を見るなりぎくりと身体をこわばらせ、こちらを見ていた。深町はますます父の摂理に見た目が似てきていたし、摂理に似てきた、ということはわたしにも似ているということだ。
「わたしのことが分かるのなら……少しおとなしくついてきてほしい」
わたしの言葉に奈津美は首を横に振り、
「嫌です」
とはっきりと拒否の言葉を吐いた。
わたしは拒否されたというのにうれしくて、自然に笑みが漏れているのを自覚した。
「この間の修理代を払いに来た」
ちらりと見るとちょうど非常階段への扉が見え、そちらに向かった。奈津美は無言でついてきているようだった。
「意外に行動的なんですね」
奈津美の嫌味の言葉に頬はますます緩む。
とそこへ、扉が開いてひとりの男が現れた。男はわたしの姿を見て、
「ご本人さまが堂々と登場ですか」
蓮だった。奈津美は蓮を見て明らかにほっとした表情をしていた。
「蓮っ!」
奈津美の言葉に蓮も少し安堵しているようだった。ふたりの絆の強さを知り、嫉妬に似た気持ちを抱いた。何者にも入ることができない強い絆。このふたりの
「愛」
を手に入れることができれば??。
「これを逃すとしばらくあなたたちに会えないと思いまして、少し危険を冒して会いに来た甲斐がありました」
蓮は奈津美のもとまで歩いて行き、その後ろにかばう。
「なんですか? わたしがなにかすると思いました?」
その様子がおかしくて、笑う。
懐から封筒を取り出し、ふたりに差し出した。
「今日は挨拶とお詫びです。この間はうちの部下が手荒なことをしたようでして。修理代です、受け取ってください」
修理代を出す、とは言っていたが一向に回ってこない請求書が気になっていた。払うと言ったからにはきちんと払いたい。いくらかかるのか知らないが、適当な金額を包んでおいた。奈津美は蓮の後ろから出てきて、わたしの手から封筒を奪うようにして持っていった。
「ありがたくもらっておく」
「奈津美!?」
蓮はあせっているようだった。
「私はあの修理費、自費で出すのは嫌だからね!」
どうやらまだ、支払っていなかったらしい。それなら好都合だった、来た甲斐があった。
「あんたのせいで、私と蓮の平穏な日々がなくなったのよ。返してよ!」
直接文句を言ってくると思っていなかったので、意外に思い奈津美を見た。
「私がなにをしたっていうのよ」
泣きそうな瞳で奈津美はわたしを見ている。
この瞳を手に入れることができれば??。
「そうですね。あえていえば……わたしがあなたたちを気に入った、ということでしょうか」
「あんたなんかに気に入ってほしくないわよ!」
泣きそうな瞳をしながらも強気の発言。わたしからそらそうとしない瞳。唯花にはなかった強さに、わたしはますます心惹かれた。
「わたしは秋孝のことは嫌いですが、あいつの人を見る目は一目置いていましてね」
本当にあいつはいい『目』を持っている。高屋の人間ということが悔やまれて仕方がない。
「あなたたちふたりに興味を持っているのを知って調べたら……なかなか面白そうじゃないですか。秋孝なんて馬鹿の元で働かず、深町と一緒にわたしの元にきて働きませんか? 待遇は秋孝が提示したものより上の条件でいいですよ」
このふたりは金で動かないことは分かっていた。しかし、わたしにはそれ以外、どうやって心をつかめばいいのか分からなかった。
「お金の問題じゃないのよ。だれと一緒に、どんな仕事をするのか、が重要なの! あなたとなんて一緒に働きたくない!」
予想通りの答えに、愉快になる。
「わたしも嫌われたものですね。まあ、いいでしょう。秋孝が嫌になったら、いつでもわたしのところに来てください。わたしはいつまでも待っていますから」
唯花にも言った同じセリフを口にして、わたしは自分の言葉におかしくなる。
「冗談じゃないわよ! 絶対にあんたのところになんか行くもんですか!」
拒否の言葉にわたしは楽しくて喉の奥で笑った。本当に面白い。
わたしの周りにいる人間のように口では
「はい」
といいつつ、瞳に憎悪の炎を燃やしている人間なんかよりよほどいい。
「そう拒否されると、ますますどうやって手に入れようか……征服欲に火が付きますね。気に入りました、奈津美さん。あなたが無理でも……あなたの子どもでもいいのですよ」
本人が駄目ならば、その子どもでも……。軽い気持ちで言ったのだが、その言葉はタブーだったのか、奈津美はひどく傷ついた瞳をわたしに向けた。
「こ、子どもができても絶対にあんたのこと、子どもも好きになんてならないわよ!」
強い拒否の言葉に私の心は切り裂かれたが、先ほどわたしが放ったなにげない一言で奈津美の心を傷つけたことを思えば、なんてことはないのだろう。
「それは分かりませんよ……?」
奈津美は少し動揺しているようだった。
「おや、就業時間が終わりましたね。わたしもおいとまさせてもらいますよ。また会いましょう。その時は……よいお返事をいただけると信じていますよ」
にやりと口角をあげて笑い、右手をあげてふたりを見つめつつ非常階段を降りた。無理を押してここに来た甲斐があった。奈津美と蓮のふたりと直接会話をすることができ、私は満足していた。