愛から始まる物語


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【番外編】『真理と摂理』《2.真理は語る》



 深町が産まれて六年経ったある日、父である一伸が急逝した。就寝中に襲われた心臓発作にだれも気がつかず、朝、なかなか起きてこない父を起こしに行ったメイドによって発見された。
 わたしと摂理はとうの昔に大学を卒業していて、父の事業の手伝いをしていたところであった。
 いきなり辰己の家を継ぐことになり、先延ばしになっていた唯花と籍を入れることになった。唯花は泣き叫び、わたしに手当たり次第、物を投げつけた。

「あなたなんて大嫌い! わたしに触らないで! 近寄らないでよっ!」

 唯花の両親が説得する、と言われ、わたしはそのまま唯花の家を辞去した。それがわたしが最後に見た、唯花の姿だった。

   *   *

 唯花の元に訪れた次の日、花梨が血相を変えて執務室に飛び込んできた。

「摂理を……摂理を返して!」

 青ざめた頬に泣きはらした顔。腕には栗色の柔らかな髪をした深町を抱き、花梨はその場に泣き崩れた。

「花梨、落ち着いて」

 わたしは花梨に近寄ることもできず、そのまま椅子に座ったままでいた。
 花梨の腕の中にいる深町は、母に似た薄茶色の瞳でわたしを睨みつけている。
 深町は、摂理にとても似ていた。ひいてはわたしにも似ている、ということになる。

「摂理がどうしたのですか?」

 取り乱す花梨をいぶかしく思い、そう聞いた。

「父は僕たちを捨てて家を出ました」

 母の花梨に代わり、口を開いた深町の言葉に、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
 あれほど仲の良かったこの家族を捨てて……? 摂理が家を出た?

「どうして??」

 ようやくそれだけを絞り出し、問った。

「父は、唯花さんとともに??カケオチしました」

 深町の言葉に、思考は停止した。
 駆け落ち……だって?

「摂理を返してよ!」

 花梨は床の上に打ちひしがれ、泣き叫んでいる。深町はそんな母を見つめ、なだめるかのように背中をやさしくなでている。
 わたしはあまりのことに、いすにぐったりと全身を預けていた。
??摂理が、唯花と逃げた。
 それはとても信じられないことで、そしてわたしはどれだけ唯花を追い詰めていたのかを初めて知った。
 わたしは……唯花のことを愛していた。いや、今も愛している。しかしそのわたしの
「愛」
は、唯花にとって逃げなくてはいけないほどのものだったのだろうか。わたしの
「愛」
は、唯花には重すぎたのだろうか。
 執務室の天井を仰ぎ見た。
 花梨は変わらず床にうつぶせになったまま、泣いている。深町は子どもらしからぬ光を宿した瞳で母を慰めている。
 わたしの
「愛」
は??間違っていたのだろうか?
 わたしの問いかけに、だれひとり答えてくれるものはいなかった。

   *   *

 わたしは摂理と唯花を探した。ようやく見つけた、と思ってもするりとふたりはわたしをあざ笑うかのように逃げていく。追いかけても追いかけてもつかめないふたりに??わたしはいつからか憎しみに似た愛情を持つようになっても仕方がなかったのかもしれない。
 殺してしまいたいほどの愛を持ったとしても??きっとだれにもわたしのことを責められないだろう。逃げるのなら、わたしのことをそこまで嫌って憎むのなら……。わたしがこの手で殺してしまいたい。
 そして、ふたりの間に子どもが生まれたこともわたしは知っていた。
 智鶴(ちづる)という名で、唯花によく似た風貌。それがわたしの憎しみをさらに増幅させた。
 幸せな三人を殺してしまいたい??。殺して、自分の手中におさめてしまいたい。
 ようやく見つけた時は、智鶴の十六の誕生日のその日だった。
 実行するのなら今日しかない。深町もこの三人を見つけ出し、智鶴の十六の誕生日を待って辰己の屋敷に迎え入れるつもりでいるようだ。そんなこと、このわたしが許しはしない。その前に、わたしはこの三人を殺して??。

   *   *

 わたしは今、摂理と唯花と智鶴が住んでいるというアパートが見える森の中にいた。わたしの合図で、アパートに火がつけられた。
 十一月の冷たい雨の中、それでも冬の空気に乾燥していた木造の建物はいい音を立てて燃え盛った。

「おかえり……摂理、唯花」

 炎はわたしの全身を赤く照らす。

「これでおまえたちふたりを一生、手に入れた」

 わたしはあまりの嬉しさに笑いがこみ上げてくることを止めることができなかった。静かな森に、わたしの笑い声が響き渡った。

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