愛から始まる物語


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【番外編】『真理と摂理』《1.真理は語る》



 わたしは辰己真理(たつみ しんり)。記録的な雷雨の晩、わたしは双子の摂理(せつり)とともにこの世に生を受けた。
 辰己の家は昔からの旧家で、男子誕生に喜び沸いたと言う。しかし、家を継ぐのは最初に生まれた長男ただひとり。わたしは先にこの世に生を受けた、というだけで──生まれながらに辰己の家を継ぐ運命を背負わされた。
 弟の摂理は一卵性ということもあり、姿形はそっくりだったが、家を継ぐという重荷がないからか、ずいぶんと奔放に育っていた。わたしはそれがとてもうらやましく思っていた。

「よう、真理」

 朽葉色の髪に鶯茶色の瞳。同じ見た目の摂理は産まれたときから決められていた婚約者の真家花梨(まや かりん)とともにわたしの部屋へとやってきた。

「なにか用か?」

 わたしは勉強を中断させられたところを少しムッとしながら摂理の訪問を迎え入れた。

「唯花(ゆいか)を最近、相手してないそうじゃないか。花梨から話を聞いたぞ」

 わたしにも摂理と同じように産まれたときから決められた婚約者がいた。
 名は直見唯花(なおみ ゆいか)。彼女はすでに女優という仕事をしていて、『稀代の名女優』と呼ばれていた。濡羽色のつややかで美しい髪に黒茶色の理知的な瞳。けがれを知らないその瞳は、今のわたしにはつらすぎた。

「唯花はわたしのことを嫌っているらしいからな。それに今、試験前で忙しい。彼女も仕事が大変そうじゃないか」

 わたしの言葉に普段はおとなしく摂理の横で微笑んでいるしかない花梨が口を開こうとした。しかし、摂理は花梨が口を開くのを止めた。

「唯花が嫌がっているのなら、婚約解消……」

 摂理がそこまで言ったところでわたしは摂理を睨みつけた。

「それは絶対にしない。唯花はわたしのことを嫌っているが、わたしは彼女のことを愛している」

 花梨はその言葉にはっと息を飲み、両手で口を押さえた。そしてその色素の薄い砂色の瞳にみるみるうちに涙をため、泣き始めてしまった。摂理はわたしを睨みつけ、泣いている花梨を抱き寄せ、錫色の髪をやさしくなでた。

「愛しているのならもう少し唯花のこ……」

 摂理はわたしの冷たい視線に気がつき、口を閉じた。

「人の心配をするくらいなら、自分たちの将来を考えたらどうだ、摂理?」

 花梨の大きく膨らんだおなかを見て、摂理を見た。
 わたしと摂理はまだ大学生だった。摂理は学生の身分でありながら、花梨を妊娠させていた。

「早く入籍でもしてけじめをつけるのが男としての役割だと思うのだが」

 花梨はそろそろ臨月を迎える。それなのに摂理はまだ籍を入れていないようだった。

「わたしに遠慮でもしているのか? それとも世間体か? そんな腹の足しにもならないものを気にするくらいなら、早く入籍して花梨を安心させてやれ」

 わたしはもう摂理と会話をしたくなくて、机の上に開いたままのテキストに視線を落とした。摂理はそれを察して、泣き止まない花梨を抱きかかえるようにして部屋を出て行った。

   *   *

 摂理は花梨の出産直前にようやく籍を入れたようだった。見た目はまったく一緒なのに、性格は真反対なのが面白い。それはわたしが辰己の家を継がなくてはならない、という長男としての自覚ゆえなのか、もともと持って生まれた性格の差なのかは分からない。しかしふたりがきちんと籍を入れたことにわたしは安堵をおぼえていた。
 産まれた子は男だった。摂理は『深町(ふかまち)』と名付け、大切に育てていた。
 わたしが深町に近づくことを許さず、わたしは深町が産まれてから一度もこの腕に彼を抱くことがなかった。
 辰己の家のルールにのっとり、深町がわたしの次にこの家を継ぐのは明白だった。一番最初に生まれた子が男子だった場合、兄弟関係なくその子が家を継ぐ。
 この場合、摂理は弟だがわたしには子がいないため、必然的に深町が辰己の家を継ぐことになるのだ。
 わたしはある意味、安堵した。自分の子にこの辰己の家を継ぐ、という重役を与えたくなかった、という親の勝手なエゴではあるが、心の片隅でそう思っていた。
 摂理と花梨、深町はそれは幸せそうな家族だった。実際、とても幸せだったのだろう。遠目から見ているといつも三人は笑顔だった。わたしにはない幸せに──心がじりじりと焼けるような思いを抱いていた。
 唯花は仕事が忙しいと言って、わたしを避けていた。そうすれば婚約を解消してもらえるとでも思っていたのだろうか。避けられる度にわたしは唯花を欲し、ますます心から手に入れたいと思った。身体だけではなく、その心もほしい。はかなげでいて凛とした芯の強さを持った女。つややかな濡羽色の髪に触れ、鮮やかな紅色の唇に口づけ、黒茶色のその瞳でわたしだけを見つめていてほしい。そう願っても、いくら願っても──唯花はただの一度もかなえてくれなかった。

「あなたは、私の中にあなたの母を重ねて見ているだけです。あなたは私を見ていない」

 そう冷たく言い放つ唯花に、わたしは心が震えた。
 わたしたちの母・実弥は、わたしたちを産んで二年で屋敷の使用人とともに駆け落ちしたらしい。写真でしか知らない母は樺茶色の癖のある柔らかい髪を垂らし、はかなげな風貌に似合わない強い光をハシバミ色の瞳に宿し、カメラを睨みつけるように映っていた。その瞳が唯花の黒茶色の意思の強い瞳に重なり……唯花に母の面影を追っていたのは確かである。しかしそれも最初の頃だけで、唯花は母とは違うのは分かっていた。
 わたしは唯花本人をきちんと愛していた。唯花は最初に母と重ねて見られていたことを不愉快に思っていたらしく、それ以来、わたしのことを嫌っていた。
 そして、唯花は弟の摂理を愛していた。それが叶わぬ恋だと知っていながら、見た目だけはそっくりなわたしにますます嫌悪を抱いていた。

「あなたではなくて摂理だったらどれだけよかったか」

 その言葉はわたしの心を切り裂いた。

「あなたのことは大嫌いです」

 真正面から強い意志を宿した瞳でにらまれ、どうすることもできなかった。

「わたしのことを嫌いでも、あなたはわたしの妻になり、子どもを産んでもらわなくては困る」
「妻になるのは産まれたときから決められたことですし、大嫌いなあなたがこんな私でもいいというのならそこは我慢しましょう。しかし、あなたには指一本、私に触れてほしくありません」

 唯花の言葉にわたしは動けなくなる。
 その髪に触れたい。
 その唇に口づけをしたい。
 その瞳でわたしだけを見つめてほしい。
 ──わたしがどれだけそれを切望しても、叶えられない願いのようだ。
 それでも、唯花がただ側にいてくれるだけで今のわたしには充分だった。

「──わかった」

 わたしの小さなつぶやきに唯花は身体をびくりと震わせた。

「あなたがいいと言うまで、わたしはあなたに指一本ふれないでいましょう」

 唯花は軽蔑したような視線を向ける。

「男として恥ずかしくないの? この甲斐性なし!」

 唯花の言葉はわたしの心に刃となって襲いかかってくる。
 嫌われているのなら、仕方がないこと。その痛みに耐えることで側にいてくれるのなら、いくらでも我慢しよう。

「無理やり手に入れたところで、お互いがむなしいだけでしょう。わたしは、あなたが振り向いてくれるまで、いつまでも待ちます」
「──っ! そんな日、一生来るわけないでしょうっ!?」

 語気を荒げ、唯花はわたしに言葉を投げる。

「待ちますから」

 唯花はなぜか傷ついたような光を瞳に宿し、わたしを見ることなく部屋を出て行った。
 どうしてそこまでわたしのことを嫌うのか……。心は傷ついていた。

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