愛から始まる物語


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馬鹿は死んでも治らない!?09



   *   *

 それから文緒には思いっきり避けられている。
 そうだよなぁ。俺が一方的に考えて、文緒の気持ちなんてこれっぽっちも考えないで俺から勝手に別れを切り出したんだもんな。男ってほんと、どこまでも勝手な生き物だよな。
 だけどこれで、文緒には身の危険が降りかかる心配はなくなった。あとは出発までやり残したことをやるまでだ。
 兄貴の秘書は、奈津美さんと蓮さんのふたりがすることになった。奈津美さんはなぜか総帥補佐、というポジションで、蓮さんがふたりの秘書をやる、と。
 かなりその人事には文句が出たけど、あのふたりはその逆境をばねに深町さんや俺以上に周りを納得させることをしてくれるだろう。
 そうそう、兄貴の馬鹿、ひどい改革をしてくれていたのは全部俺のせいにしてくれた。
 グッジョブ、兄貴!
 ……っていうかよ! 馬鹿兄貴、人に罪をなすりつけるな!
 それで俺はアメリカのグループに左遷、という形にされたけど。おーい、なんなのこの踏んだり蹴ったりの待遇は。
 さらに。あれだけ見事に避けまくってくれていた文緒が部屋にやってきて、いきなり

「結婚してください」

 とすでに承認入りの婚姻届を持ってきやがった。

「文緒、俺の話、聞いてたよな?」

 それに蓮さん、大学卒業するまで結婚はお預け、と言ってたよな?
 だけど届け出用紙にはしっかり蓮さんの字で署名捺印がされていた。
 あー、それで最近、蓮さんが仕事で冷たいのか。分かりやすいなぁ、あの人。
 俺は思い出して思わずくすくす笑ってしまった。

「アキさんから聞いたよ、『高屋』を捨てたいって」

 確かに言った。今でも思っているくらい。だけどきっぱり『高屋』を捨て切れるかというと……それは無理だ。三十三年間(こっそり誕生日が来て三十三になったんだよ! おめでとう、俺!)ずっと『高屋』で来たし、まさか捨てたいと思うとは思っていなかった俺は、そこまで覚悟がきめられるか、という話だ。

「われながら頭いい、と思ったんだけど」

 文緒、その前置きは要らない。おまえが頭がいいのは知っている。極端に不器用なのも知っている。

「睦貴の話を聞いて、すごい悩んだの。でね、こうするのが一番の近道だって」

 そうして、婚姻届の左側の真ん中のあたりを指さしている。そこを見て、俺は脱力した。
 『婚姻後の夫婦の氏・新しい本籍』の夫婦の氏、のところに……『妻の氏』にチェックが入っていた。
 いやだから、なんでそうなってるわけ?

「『高屋』の名を捨てる手っとり早い方法でしょ、これ?」

 いたずらが成功した時の子どものような笑顔を見て、これを抱きしめずにいられるか!

「蓮もなっちゃんも同意してくれたし、アキさんもお母さんも署名してくれたよ。戸籍も取り寄せてもらったよ」

 なんだよ、あいつらみんなして俺に黙っていたのかよ! みんな人が悪いなあ。

「はい、こことここに署名捺印して」

 ボールペンを渡されたけど、

「文緒、いいのか?」
「なにが?」

 きょとんと俺の顔を見ている。

「俺、もうすぐアメリカに行くんだぞ。それでも結婚、いいのか?」
「うん、いいよ。だって……なにか証がほしかったんだよ」

 俺は大きくため息をつき、文緒を見た。

「そんなもの、要らないだろう? 俺は今もこれから先も文緒ただひとりしか愛さない。それとも……言葉だけじゃ、駄目か?」

 文緒は目をうるうるさせて俺を見ている。

「駄目。だって、むっちゃんはアメリカに行っちゃうんだよ。その言葉がほしい時に、すぐに聞けないじゃない」

 文緒の頭をぽんぽん、と軽くたたき、ペナルティのキスをする。どこまでも甘いキス。

「大学卒業してから、と約束したのに。約束を反故したな」
「蓮がいいと言ったんだから、いいじゃない」
「まあ、なにかすごい脅し文句を使って泣き落ししたのは分かった」

 ぎくり、と身体をこわばらせていたから、どうやらあたりのようだ。
 ったく、文緒のお願いに甘い父親だな! また説教か……気持ちいいぜ。
 そうか、アメリカに行ったらその説教もきけなくなるのか。残念だな。

「文緒は後悔しない? まだ十六なのに、こんな大切な将来、ここで決めていいの?」
「いいに決まってるじゃない! 睦貴じゃないと駄目なの!」

 いつか聞いた言葉に俺は苦笑してボールペンを手にする。こんな紙切れ一枚で俺と文緒が赤の他人から夫婦になるなんてなぁ。署名しながら、パスポートだとかその他もろもろの事務手続き、どうすればいいんだろうと頭を悩ませる。蓮さんに聞こう。あの人のことだから用意してくれている。と甘えてみる。

「出発ぎりぎりに言ってきて。手続きでばたばたするじゃないか」

 とりあえず文句を言ってみた。

「ごめんね。蓮の説得に時間取られちゃって」

 蓮さんもぎりぎりまで粘ったな。もう、意地悪なんだから!机からハンコを取り出し、押印する。

「とっとと出しに行くか」

 俺は婚姻届と戸籍謄本を持ち、部屋を出る。文緒はあわててついてきた。そのまままっすぐ玄関に進み、俺たちは役所に向かった。

   *   *

 なんだかあっさり望んだことが手に入ってしまった。
 『高屋睦貴』から『佳山睦貴』か。……悪くないな。
 あんなに『高屋』を捨てることを躊躇していたはずなのに、文緒に望まれたのなら……こんなにあっさり手離すことができるとは思わなかった。
 これならアメリカに行かなくてもいいんじゃないかと思ったけど、そうもいかない。
 どれくらいかかるのか知らないけど、行ってくる。
 とんでもない手続きの嵐に翻弄され、なんだか感慨もへったくれもないまま、俺はアメリカへ出発となった。さすが俺。こんなもんだよな。

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