馬鹿は死んでも治らない!?08
* *
「いつ、文緒に言うんだ?」
とうとう約束の日が近づいてきてしまった。文緒も最近、俺の異変に気がつき始めてしまった。そろそろ言わないとな。
「今日、言うよ」
先延ばしにしたって仕方がない。文緒の泣き顔は見たくなかったけど、言わないで消えるのはフェアじゃないよな。気が進まないけど、夕食の後に俺から話を切り出した。
「文緒、話があるんだ」
文緒はずっと感じていたらしく、泣きそうな顔をして俺の顔を見上げてくる。この表情を見たら俺、なにも言えないよ。キスをしてこのままベッドに押し倒したい衝動を押さえ、俺は重い口を開く。
「ずっと……考えていたんだ」
文緒はこれから告げられる言葉を知っているのか、俺の腕をギュッと握りしめてくる。
「文緒……今まで俺のこと好きでいてくれて、ありがとう」
突然の俺の言葉に、文緒は大きな瞳をひときわ見開き、大きな涙をこぼした。それはあの日の真理とかぶって……俺は胸が痛んだ。
だけどあの時の真理の涙は手に入れた満足感にあふれていたけど……文緒の涙はその逆で、失ってしまうことによる涙だ。俺なんかのために泣かないでほしい。これから告げる自分勝手なひどい話を告げることなくこのまま別れることができればいいのに、とひどいことを考えながら、それでも文緒に俺の気持ちを伝える。
「期末試験が終わった日からずっと……考えていたんだ。俺は……このまま文緒と付き合っていたら、いつしか文緒自身を失ってしまうんじゃないかって」
文緒は涙をぬぐうことなく、俺を見つめている。俺は唇で涙を吸い取り、そのまま唇に口づけをする。
「文緒が嫌って俺から離れたり、だれかに奪われたり……それなら耐えられると思ったんだ、文緒さえ生きていてくれればいいって」
あのとき感じた恐怖。文緒が、この世から永遠に姿を消してしまうかもしれない、という恐怖。
「俺の目の前にいなくても……生きてくれていればいい、と思った。このまま文緒と付き合っていたら……もしかしたら文緒がこの世からいなくなってしまうかもしれない、それだけは耐えられないと思った」
文緒は首を振る。
「いなくならないよ! それに私はなにがあったって睦貴の前から消えたりしないから!」
「いや。今までならそう言っていられた。だけど……いろんな事情がまた変わって、今度は俺がターゲットになっている。必然的に近くにいる文緒を排除しようと、いろいろな奴が動いている」
こんなヘタレなんかどうしようもないだろう、『大人の思惑』ってやつはよくわからん。
確かに兄貴のやり方はかなり強引なところもあったりする。
反発する奴が出てくるのは分かっているけど、長い目で見ればきちんと結果が出ている。もうちょっとどうにかならないのかよ、といつも言っているけど、それでは駄目なんだ、といわれる。
俺と兄貴が反目し始めるのもそんなに遠い将来じゃないな、と最近思い始めていたりする。
兄貴がそういう風に持っていこう、としているのが見えて……だけど俺にはどうすることができないでいる。思いっきり反発すればいいんだろうけど、そうすることは兄貴にとっても兄貴反対派にとっても都合がいいみたいで、俺はそれをすることができないでいる。
そして。俺はそれからも逃げようとしている。そう、これは逃げているのだ。問題を解決する前向きなものではなく、後ろ向きな解決方法。
だけど、こうすることで、文緒を守ることができる。
「俺、もう少ししたらアメリカに行くよ」
「え、ウソ。なにそれ」
後ろ向きかつそれなりに前向きな解決方法。アメリカにあるTAKAYAグループの立て直し。この不況下でえらいあおりを受けて風前のともしび、らしい。
俺は兄貴にあの日、『高屋』を捨てる、と宣言した。だけど兄貴はそれは許してくれなかった。そして、本当に捨てる覚悟はあるのか、と問われ……ヘタレな俺に捨て去る覚悟なんてあるわけない。
だけど俺が『高屋睦貴』である間、あの日のような奴らは次から次へと現れ、文緒をずたずたにしていくのは間違いない。心も身体も傷つけられ、再起不能になってしまう文緒なんて見たくない。
それなら俺が『高屋』であることが文緒を苦しめる一因であるのなら、そして文緒を手離すことができないのなら、こんな『高屋』なんて捨ててやる、と兄貴に申し出た。
そんな理由で『高屋』を捨てるのなら許さない、と兄貴に言われ。兄貴はそれではこうすればよい、と……提案してきたのがアメリカのグループの立て直し。
兄貴は言う。向こうで俺の力量をはかることができるし、反対派も俺がアメリカに行くことで押さえることができる。そして、今やっている無茶な改革もやめることができる。
本当に兄貴は馬鹿だ。どうあっても俺にトップの仕事をさせたいらしい。
『俺は黒幕役がいいの』
と言い張っても
『おまえは蓮とは違う。あいつはサポート役だが、おまえなんかそんな枠におさまるようなおとなしい男ではない。どうせ駄目になるのならアメリカのグループをぎったぎったに叩き壊してこい』
いろんな意味でひどいことを言われた。
おいおい、あそこで働いている奴らの保証はどうするんだよ?
『それを考えるのがトップの人間の仕事だろう。俺に甘えるな』
言ってることがむちゃくちゃですよ、おっさん。
「分かった」
文緒はかなり長い沈黙の後、そう一言つぶやいた。
「睦貴の馬鹿!」
いきなり立ち上がって、かばんを掴むと俺の頭を思い切り殴って部屋を出て行った。
文緒さまー、今の素敵。お願い、もう一度ぶって……!
追うべきか、追わないべきか。家には蓮さんと奈津美さんがいるからフォローはふたりに任せよう。
あーあ、話をする前にエッチしておけばよかった。この間のでやりおさめかよ。
……俺の下半身、どこまで最低なんだ。