馬鹿は死んでも治らない!?06
* *
お屋敷に帰り着いたのは、夕方を過ぎてからだった。
まっすぐに俺の部屋に行き、ようやくふたりきりになった部屋で思い切り文緒を抱きしめる。久しぶりの甘いにおいに、俺の下半身はすぐに反応した。キスをしながらぐいぐい、とわざと文緒に押し付ける。文緒は照れくさそうに俺を触ってくる。我慢しすぎて痛いです、文緒さん。
文緒の服を脱がすのももどかしくていきなりスカートをめくってパンツだけ脱がすという暴挙にでたことを許してほしい。ベッドにうつ伏せにもたれかからせ、前戯なしで入れたことを怒られても土下座して謝るつもりでいた。もちろん、つけるものはつけたぞ! これでできちゃったら蓮さんに殺される。父親のいない子どもはかわいそうだからな。
久しぶりできつかったけど、思ったよりはスムーズに入り……文緒もがまんしてたんだ、と思って俺はうれしかった。ごめん、男の勝手で一方的な思いで。
久しぶりですぐに到達してしまい……俺は自分のしょぼさにがっかりした。なんだよ、柊哉をこれじゃあ笑えないじゃないか。
だけどそれでおさまるほど俺もまだ衰えていなかったようで、すぐに復活してきた。
もう、なんなのこの下半身。いい年なんだからさ、落ちつけよ。ほんと、いい大人のする行動じゃないよ、今のも。
いくら久しぶりだからっていきなり入れて速攻でイクのって男として最低じゃないか?
「ごめん、文緒」
俺は文緒を抱きしめながら謝った。なんか俺、文緒に謝ってばかりいるような気がする。本当にどうしようもないヘタレだな。
だけど今のでだいぶ落ち着いた俺は、今度はたっぷりと文緒に愛をこめてご奉仕させていただきました。
さっきの行為が帳消しになるくらいは頑張った……と思う。文緒の大切なところはさっきゴムをつけたものを入れたばかりだったからゴム臭がしてかなり罪悪感にかられた。あああ、もう俺、ほんっと最低。
久しぶりに聞く文緒の甘い声に、俺はだんだん溺れていく。このまま溺れ死んだら、幸せかな。そんなことがちらりと頭を横切る。
新鮮な空気を求めるようにあえいでいる文緒の唇をふさぎ、舌をからめとる。文緒を手離すなんて……できない。
だけど──。
なにかを捨てなくては、文緒を手に入れることができないことが分かった。俺には……それができるのか。文緒を抱きながら、俺は思い悩む。
人間、望めば大抵のものは手に入れられるらしい。だけど、それを手のひらからこぼさずにずっと持ち続けることは……どうやらできないらしい。
すべてを手に入れようとして、すべてが指の間からこぼれおちることだってあるのだ。
だけど、真理はそれをすべて手に入れ、手中におさめた。そこは度量の違いというか器の大きさの違いだったのだろう。俺なんて小物にはもちろん小さな器しかなくて、しかもその器には穴があいているのだ。
穴ならまだしも、俺の場合はどうやらざるのようだ。大きなものしか俺の手の中には残らないらしい。それなら、身の丈にあったものを取捨選択して手のひらに残さないと、本当にすべてを失ってしまうことになる。
何度目か頂点に達し──それは文緒とはからずとも同時だった──またもや俺は男としてやってはいけない最低な行為……先に寝てしまう、という暴挙にまた出てしまった。
もうやだ、この本能丸出しの俺の欲望。
* *
朝、目が覚めたら……枕元に死神のような顔をした兄貴が立っていた。
ぎゃぁぁぁあああ!
「ったく、こんなことだろうと思ったよ」
あきれを通り越した憐みの表情に……俺は墓穴を掘ってそのまま埋まりたくなった。それとも俺は鳥葬の方がいいか? せめて死ぬときくらい、社会に貢献したい。
「ふ、文緒は?」
「さすが若いな。ぴんぴんして学校に行ったぞ」
俺はちらり、と時計を見た。朝の九時はとうに過ぎていて、社会人としてばかりか人間としても失格の烙印をしっかりと押されてしまったような気がした。
「おまえが起きないから、俺も会社に行けないんだけどな」
車を運転できないはずはないのに、なにを言ってるんだ、このおっさんは。
「それにしても、その女は厄介だなぁ」
話さなくていいから便利なんだけど、これはこれでちょっと困る。
シャワーを浴びて来るように言われ、俺は浮気現場を発見された間男よろしくの裸のまま、風呂場に向かう。もうここまでくると開き直るしかないだろう? すべて見られているんだぜ、恥ずかしいものはなにもない!
……こういうとき、この超M気体質が役立つよな、悲しいことに。見られている相手が実の兄、というのはいただけないけど。
シャワーを浴びてすっきりして部屋に戻ると、兄貴が食堂に簡単な食事をお願いしてくれたらしく、サンドイッチとスープが乗ったトレイが机の上に置いてあった。
「今日は午前中、休みにしてあるから心配するな」
俺は兄貴にお礼を言い、髪をタオルドライしながらサンドイッチをほおばる。昨日はお昼を食べて以来、なにも食べてなかった。ほんと、最低だよ俺。文緒の成績が落ちて当たり前だよな、この猿並みの性欲。少し自粛しよう。
……と言っても文緒を前にしたらストッパーなんて簡単にぶっ飛んでしまうんだが。
「そろそろおまえから俺になにか話がある頃かと思って、時間をとった」
察しが良すぎて涙が出る。
美味しいサンドイッチをスープで胃に流し込み、俺はとりあえず人間に戻れた。
冷蔵庫から水を取り出し、そのまま口にする。体内から相当水分が抜けていたらしい、水が美味しい。二リットルのペットボトルの水の半分を飲み干し、ようやく頭が回転を始める。
兄貴は椅子に座って俺が話しだすのを待ってくれている。
「もう少し年齢相応に落ち着くことをすすめるぞ」
言われなくても分かっている、兄貴が落ち着きすぎなんだろう。
俺、自分が兄貴と同じ年齢になった頃、同じように落ち着きがある男になっているかと聞かれたら……なってない、と即答できる。
これはもう、性格の差だ。三つ子の魂百までということわざは侮れないな、と思う。持って生まれてきたものは簡単に変えることはできない。
「昨日はもしかして、と思ったら……案の定だったんだな」
「まったくね。だけどとりあえずは昨日、文緒にはなにごともなくてよかった。……心の傷以外は」
俺の言葉に兄貴はため息をつく。
「俺……どうすればいいんだろうか」
俺が『高屋睦貴』である限り、文緒はことあるごとにこういうことに巻き込まれるだろう。
大半の人間が兄貴がTAKAYAグループの総帥であることに賛成をしているのだが、いまだに根深く反対派が存在しているのは確かなのだ。それには俺たちの実の母が絡んでいるだけに……簡単には排除することができない。そして反対派は……俺をトップに据えたい、らしい。それなのに俺は兄貴の秘書なんてしてるから、兄貴反対派は『俺がいつか寝首をかくつもりで秘書をしている』と思っている節があり、最近、反対派の動きが活発になってきている。
俺にはトップに立つ度量も魅力もスキルもないのに。それは俺自身が一番知っている。
だけど兄貴は
「おまえがトップの方が一番いいんだけどな」
とかとんでもないことを言うから……余計に状況が複雑になるんだろうが、この馬鹿兄貴がっ!
最初は嫌だった秘書という仕事、やってみると案外楽しい。なんとなく黒幕っぽくて俺のヘタレな性格にはあっていたらしい。表立ってなにかやるより、裏から操って牛耳る方が……こんなことを思っているから反対派が活発になるのか。
やっぱり俺、兄貴の秘書はしない方がいいのかもしれない。
だけどそうすると、だ。だれがこの自由奔放な兄貴を御するんだ?奈津美さんと蓮さんは会社があるし。だけど俺以外、となると……あのふたりしか思いつかない。
深町さんがあのまま兄貴の秘書をずっとやっているのが一番よかったのだ。
ああ、真理、やっぱりおまえは死ぬのが早すぎたよ。死んでしまった人間に文句を言っても生き返りはしないけど、文句のひとつくらい言わせてくれよ。
「正直、今回のことで……俺は『高屋睦貴』である自分を、恨んだよ」
今回は本当に何事もなくて済んだからよかったものの、相手がもっとひどい奴だったら文緒は心だけでなく、身体にも傷をつけられていただろう。どちらの傷が痛いか、といわれると……それはどちらも痛いのだが、両方、はさすがにきつい。そしてそれが度重なれば……俺は文緒を失うことになるだろう。
文緒から離れていくのか、考えたくないけどだれかに奪われてしまうか、そして──この世から消え去ってしまうか。
そう考えて、俺はぞっとした。最後のことだけは、考えたくなかった。文緒に二度とふたたび、逢えなくなってしまう。
離れて行かれたりだれかに奪われる方がよほどましだ。まだ生きているのだから。だけど……死んでしまったら、逢えないのだ。
そう、つい先日、亡くなってしまった真理のように。
死後の世界は、生きている人間のエゴなのだ。
死んだらそこにいる──。
違う、人間は死んだらそれまで、なのだ。生きていてくれなくては、意味がないのだ。
もちろん、自分の側で幸せに笑って生きてくれているのが一番だが。それが無理ならせめて……遠くで幸せに生きていてほしい。
俺にとって、真理の「死」は思った以上に影響が大きかったらしい。
弱々しく透明の涙を流していた真理が目に焼き付いて離れない。枝のように細くなった腕を折り、両手を顔にうずめていた真理。すべてを手に入れた瞬間を見た俺は、死んでいった男がひどくうらやましかった。
「おまえは……真理に一番遠いところにいて、一番あいつの気持ちを理解していたのかもしれないな」
俺はその言葉に首を振る。
違う。俺はただ、すべてを手に入れて死んでいった男が、うらやましかったのだ。それには俺がうかがい知ることのない努力と忍耐の末につかみとったものなのは知っていたが……。
俺にはその努力も忍耐もなく。まだ失ってないものを失うかもしれない、と恐れている──ただの子どもでしかないのだ。
「俺は──」
俺は兄貴に自分の嘘いつわりのない気持ちを吐露した。今ここで言わないと、一生後悔してしまいそうで。
「おまえは……本当にそれでいい、と思っているのか?」
俺の言葉に、兄貴は若干戸惑いの色を浮かべている。
「分からない。まだ……迷っている」
「とりあえず、おまえの意向はわかった。ただ……、すぐには無理、なのは」
「それは充分分かっている。俺にももう少し考える時間を、くれないか」
気持ちを口にして、自分の中でだいぶ整理できたけど、まだまだ考える余地がある部分がいくつかある。
「分かった。睦貴の意向を最大限に聞き入れるとなると、半年はみてほしい」
俺は兄貴の言葉にうなずく。
「兄貴は俺には甘いよな」
「そうか?」
「柊哉相手だったら全面的に突っぱねただろう、今の話」
兄貴は苦笑している。どうやらあたり、のようだ。年の離れた弟だからか? 兄貴は俺に関しては甘い。確かにひどいことを言うことは言うけど、それはじゃれているうちに入る。智鶴さんも昔、そういえば兄貴に言っていたな。
『アキの睦貴に対する態度はわたしに対するより甘いわよね』
ちょっとその言い方が嫉妬が含まれていて俺は苦笑してしまったけど、今ならその智鶴さんの気持ちが分かるような気がする。
兄貴が無理やり俺を秘書にしたのだって俺から仕事を奪え、という意味で一番の近くにいさせたのだろうし。本当に……困った兄貴だ。
だけどそれはきちんと俺のことを認めている、ということにも気がつき……俺はうれしくもありこそばゆい気持ちにもなった。本当に困った。
「よし、仕事に行くか」
俺はあわてて着替えて、兄貴の後を追った。