愛から始まる物語


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馬鹿は死んでも治らない!?05



 ほどなくして屋上に到着した。屋上へと続く扉に手をかけ、開けようとした。
 が。鍵がかかっているようで、開かない。
 俺はノブのところについている鍵をひねって開け、扉を押した。なのに扉は開かない。
 押すのではなくて引くのか? 引いてみたけど開かない。
 扉をよく見る。やっぱりこの扉、押してあけるらしい。ぐぐ、とさっきより力を入れてみるけど、開かない。
 向こうで押さえている?
 そのことに気がつき、全身の血がさーっと引く音がした。
 まさか……!
 俺は手に持っていた文緒のかばんを床に置き、扉を必死に押す。
 がん、がんと金属音が響く。やっぱりだれかがなにかを置くかして開かないようにしているらしい。俺は力いっぱい扉を押し、向こう側のなにかを押しのける。
 ゆっくり、だけど確実に扉が開いてきて……。屋上が少し見えた。だけどその先にはなにも見えない。

「いるのか?」

 いる、いないはともかく、俺は屋上に向かって声をかけた。向こうに人がいるのは確かなようで、気配を感じる。俺はもっと力を入れて扉を開き、ようやくひとり通れるくらいに開いたところを無理やり身体をねじ入れ、屋上に出る。
 屋上に出て、俺は驚いた。そこには、明らかに堅気ではなさそうな方々に囲まれた文緒がいたからだ。
 えーっと、もしもし?
 なにこれ。
 文緒は瞳いっぱいに涙をためて、それでもうつむかずに顔をあげてひとりの女を睨みつけていた。

「この人たちは……お友だち?」

 なわけないよな、どう見ても。

「あーら、王子さまのご登場?」

 今まで俺に背中を向けていた文緒がにらんでいる女がこちらを向いた。えーっと、どこかで見た顔なんだけど……?

「睦貴さん、ごきげんよう」

 ねばっこくまとわりつくような声と視線に俺はようやく思い出す。深町さんのパーティで見た顔だ。あの時の衣装と化粧とはまったく違っていて分からなかった。しかし、名前が思い出せない。俺、秘書として失格かも。

「どちらさまでしたか?」

 こういう場面で相手を怒らせてはいけない、というのが分からないわけではなかったのだが、ついつい素でボケてしまった。
 ここのところこういう危ない場面がなかったから、平和ボケしていたらしい、俺の頭。
 昔は『高屋』ということでいろいろとこういう危ない場面には何度も遭遇していたのだが、そういえば真理と対立が深くなってからはなくなっていたな、とふとそんなことを思い出した。
 もしかして、真理がこういう輩を排除してくれて、いた?
 ──なんてことを考えて、俺はその考えを否定した。
 まさか、な。

「今日はあなたの大切なものにあいさつよ」

 女は嫌な笑みを浮かべ、文緒を見た。

「あなたがこんな小娘が好きだなんて──結構な趣味ですこと」

 待て。何度も言うが、俺は決して「ロリコン」ではない!文緒だから、なんだ!

「特定の人を作らなかったあなたが固執するくらいだからどんな子か期待してたのに……残念だわ」

 なにがどう『残念』なのか五十文字以上二百文字以内で教えてほしい。……なんてことを言ったらどうなるのかな。最近、文緒のそういう問題ばかり一緒になって解いていたからついそんなことを考えてしまった。
 しかし、こういう場面でも馬鹿なことしか考えられない俺の方が人として『残念』だと思うのだが、間違っているか?

「あいさつだけなら、その子を早く返してくれないか」

 俺は文緒に向かって手を伸ばした。文緒は俺に向かって一歩足を踏み出したけど、周りの堅気ではない方たちも一緒になって動いたため、そのまま動けなくなった。俺ひとりならどうにかなるんだけど……文緒がいる、となるとなぁ。
 だけど文緒もこういう場面に遭遇した時のために蓮さんに護身術を教えてもらっていたはずだから……多少の無理もきくのは分かっているんだけど、ちょっと今の状況は明らかに不利だ。
 こちらが下手に動かない限りは今日は向こうもなにもしてこなさそうな気配ではある。
 さて──どうでるか。

「あたしにキスをして」

 女は唐突にそう言うと、俺の目の前に立った。

「今日の条件よ。あなたがあたしにキスをすれば、今日はおとなしくあなたたちを帰してあげる」

 なんだ、そのむちゃくちゃな交換条件は。
 ……正直なこと、言っていいか?
 昔の俺なら躊躇なくキスをして、さらにその場に人がいるにも関わらずことに及ぶ自信がある! それだけ今の俺は理性ぎりぎりの状態でいる、というのは確かだ。俺がどれだけがまんしてきたと思ってるんだ! こんな場面でなければ文緒を抱きしめてキスしてあまつさえ××で×××……。
 あまりにも卑猥過ぎて伏字にされてしまうくらいのことを簡単にやってしまいそうなのだ。
 下心と欲望が俺の周りでぐるぐると手を取り合ってフォークダンスをしているんだ、分かってくれ。ついでに下半身もつられて踊りそうです。

「キスのひとつやふたつ、減るもんじゃないでしょ? さ、早く」

 女は顔をあげ、瞳を閉じてキスをねだってくる。
 しかし。俺は女にそう言われても、動けないでいた。気持ちが拒否している。
 自分の視界に文緒しか入れたくないくらいなのに。文緒が泣きそうな表情で俺を見ているのが痛いほど分かる。
 文緒を無事に救出するにはそれが一番の近道なのは分かっている。だけど、文緒の目の前でそんなことができるわけ……ないだろう。文緒を救うためにした行動で、文緒を傷つけることになる。そんなの、本末転倒じゃないか。

「無理だ。俺にはできない」

 俺の言葉に女は息をのんだ。

「あなた……自分の立場が分かって言ってるの?」
「分かっているから言っている。好きな女を傷つけるようなこと、できるわけないだろう」

 俺、今かっこいいこと言った? 文緒、俺のこと惚れ直してもいいから!
 ちらり、と文緒の顔を見たら、俺の心は見透かされているようで、あきれた表情をしている。あれ、駄目だった?

「馬鹿睦貴! 早く助けてよ」

 文緒の叫びに俺は目の前の女の腕を素早くつかみ、後ろ手にひねり上げる。文緒はそのすきを見て男たちの合間をぬって俺のところまで駆けてきた。不器用だけど運動神経はよいみたいで、そこはよかった。

「さーてと、形勢逆転」

 俺は男たちに向かってにやりと笑ってやった。
 ……なんか俺、正義の味方より悪役の方が似合っているような気がしてきた。

「このまま職員室までご同行願いましょうか?」

 俺の言葉に女は息をのむ。

「不法侵入の上に誘拐未遂、とはいい罪ですねぇ」
「あ、あんただって不法侵入でしょう!?」

 女は負けじと叫んでくる。

「残念、俺は保護者として迎えに来たからそれは適用されないよ」

 本当かよ、と思いつつも強がってみる。
 女はその言葉に黙った。
 俺は男たちに扉の前に積み上げられた邪魔なものをどかすように指示を出し、女を連れて職員室まで行く。
 文緒には扉の前に置いたかばんを持ってくるように指示をした。
 テストが終わったからか、職員室には必死になって採点をしている先生方が予想以上に残っていた。

「不法侵入の上に誘拐未遂の女を捕まえたんだが、警察に通報してくれない?」

 思った以上に職員室に声が響いて、自分でも驚いた。俺の放った言葉の異常さに気がついた職員があわてたように受話器を取り上げ、電話をかける。
 文緒の通っている学校はそれなりの家の子がたくさん通っているとは聞いていたけど、こういうことはたまにあるらしい。ざわめいているけど、思ったよりは落ち着いているし慣れている。……しかし、こういうことに慣れるな、と。仕方がないか、物騒な世の中ですし。
 俺は近くにいた体育教師と思われる男に女を引き渡し、俺は文緒を連れて裏口から学校の外に出る。
 事情聴取とかめんどくさい。用があるなら向こうから来るだろう。
 今日はとにかく、一刻も早く帰って文緒とゆっくりしたい。そのために兄貴も俺を早くに帰してくれたのだろう。
 まさか、こんな状況を想定していた、なんてことはないよな?
 でもなあ、妙にあの兄貴、察しがいいっていうかなんというか。

「けがはない?」

 助手席にちょこんと座っている文緒に今すぐにでもキスをしたい衝動をおさえつつ、俺は尋ねる。

「大丈夫。怖かっただけ」

 文緒は力なく俺に笑顔を向ける。またこの表情をさせてしまった。俺は……文緒の彼氏として失格だ。今日だって俺のせいで怖い目にあわせてしまったわけだし。

「文緒、ごめん」

 俺は泣きそうだった、あまりにも自分が不甲斐なさ過ぎて。
 だけど泣いたところで解決になるわけでもなく、今日のところは文緒は無事だった、ということでいいじゃないか。

「むっちゃん」

 もう我慢できなくて、俺は文緒の腕を掴んで引き寄せ、今までのがまんを吐き出すかの如く激しいキスをする。
 文緒との久しぶりのキスは、思っていた以上に甘くて、甘美で身体が痺れてきた。
 ずっと甘くしびれていた疼きは大きな波となって俺を襲ってくる。
 欲望と下心がその波に乗って上手にサーフィンしてるよ。『ひゃっふー』なんて声が聞こえてきそうだ。
 文緒も同じように思ってくれているのか、腕を俺の首に巻きつけて俺の気持ちに応えてくれる。
 もう少しでここがどこか忘れそうだった。動いたときにごつん、とハンドルに腕が当たり、俺は正気に戻った。危ない。このままこんな見晴らしのよいしかも監視カメラがついてる場所でことに及ぶところだった。監視カメラの向こうの奴らを喜ばすところだった。
 俺は文緒を名残惜しく思いつつも離し、エンジンをかけてアクセルを踏む。
 お屋敷に着くまで、車内はエンジンの音しかしなかった。
 たまに文緒を見ると、寝ているわけでなく外を物思いに耽りながら眺めているだけだった。その瞳がいつしか少女から大人のものになっていて……俺はドキドキと心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。
『むっちゃん、おもらししちゃった』
 と泣きながら俺に訴えてきていた文緒。今度は違うものをもらしてやる……って俺、どれだけ欲求不満なんだよ。
 つい最近まで子どもだと思っていたのに、気がついたら身体は立派な大人のそれになっていた。
 だけど……。文緒は俺と付き合うことで、危険にさらしてしまうことになったようだ。真理の脅威がなくなったとほっとしていたのに。これならまだ、真理の方がはるかにましだ。あいつだったら文緒には危害は加えない。真理……なんで死んだんだよ。
 数か月前に見た、骨と皮だけになったよぼよぼの老人を思い出し、俺は悪態をつく。
 あいつは、文緒の愛を持って、死んでしまった。人間なんて死んでしまったらそこで終わりなんだ。天国だの地獄だの……それは生きた人間の願望だ。死後の世界なんてあるわけないじゃないか。そんな腹の足しにもならないもの、くそ食らえ、だ。
 どうして文緒だったんだろう。俺はしばらくそのことを考えた。そして、ひとつの仮定に思い至った。
 真理は、深町さんと奈津美さんと蓮さんを欲した。結局、三人を手に入れることはできなかった。だけど……その三人に愛されて育った文緒の愛を手に入れることで……それが満たされた、としたら?
 正確には深町さんの愛ではなく智鶴さんの、なんだが。智鶴さんは深町さんに愛されている。間接的だけど、深町さんの愛を受けていることになる。強引だけど、そう考えないと最期に見せたあの涙の説明がつかない。
 あとは、智鶴さんは摂理と唯花さんの子どもだから……。
 結局、真理はすべてを手に入れたんじゃないか。俺はそれが激しくうらやましいと思った。
 手に入らない、と駄々をこねた末に──結局すべてを手に入れた。
 深町さんは真理が死んだ後、結局は辰己の家を継ぐことになったわけだし。
 ひどくうらやましくなった、真理が。
 それまでいろんな葛藤があっただろう。だけど、最終的に手に入れることができたじゃないか、真理は。
 その一方で俺は。『高屋』の名が、俺を縛っている。もし、俺が『高屋睦貴』ではなかったら……文緒をこんな怖い目に遭わせなくて済んだはずだ。『高屋』の名が、俺にすべてを失わしている。地位はもとからどうでもいい、そんなもの、こちらからお断りだ。だけど、本当にほしいものは……このままでは俺は手に入れることができないかもしれない。
 真理はほしいものはすべて手に入れた、ひとつも捨てることなく。
 だけど俺は……。すべてを手に入れることはできない。なにかを捨てなければ、手に入れることができない。どうやら俺にはそれほどの度量はないらしい。
 真理の偉大さを改めて知り、俺は後悔した。
 もっと早くに分かりあう努力をしていれば……。
 だけど真理がそれに応えてくれたのか、それは分からない。
 真理は『高屋』を嫌っていた。散々俺のことを『馬鹿』と言っていたもんな。馬鹿は本当だから否定はしない。
 本当に……残念だ。俺は、後悔するばかりだ。これから後悔しない人生を送りたい。



 その思いは──俺にとっても文緒にとっても大きな節目となることになる。

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