愛から始まる物語


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馬鹿は死んでも治らない!?02



   *   *


「蓮から聞いたけど、文緒が期末テストで十位以内に入らないとおまえら別れるんだって?」

 月曜日の朝、会社に行く車を運転している俺の横に座っている兄貴がいきなりそう言ってきた。

「成り行き上、そうなった」

 兄貴は眼鏡をはずして目を細めて俺を見ている。

「ふーん。この土日は本当に勉強を教えていたんだな」

 うっさい。見るんじゃない。

「身体に教えることはまあ、極力控えた方がいいかもな、その勝負がついた後でも」

 兄貴の言葉にハンドル操作を誤りそうになる。そこまで見るな、この変態っ!

「あと……外はやめておけ」

 だああああ!

「どこまで見てるんだ! この変態!」

 このまま目の前の車に突っ込むぞ! この土日で目の前に文緒がいても突っ込めてないんだからな! ……って俺、もうどれだけ飢えてるんだよ。

「いやぁ、つい興味本位で」

 これだから見える人って嫌だわ。
 俺はため息をついて、運転に専念することにした。

   *   *

 仕事中にも関わらず、蓮さんはことあるごとにそのあたりのことをしきりに言ってくるし。兄貴は兄貴で俺をこき使いまくるし。
 俺だってこの慣れない環境に覚えなくてはいけないことにとストレスはたまる一方。せめてだな、文緒相手に吐き出させてくれよ!文緒と約束した手前、セルフもできないし……。
 お屋敷には寝に帰るだけの状態。
 朝だって佳山家に行くには行くけど文緒が起きて来る前には兄貴にせかされて会社に向かっている状態。あああ、ヘタレニートな獣医に戻りたい。
 いくら文緒との将来のため、と言ったってその前段階でこんなだったら、将来もなにもないよ。
 泣きごとを言いたかったけど、それはきっと文緒も同じことだと思ったから……俺は我慢した。
 なにより救いなのは、土日はしっかり休ませてもらえること。愛する文緒が目の前にいながらキスもできないのはつらいけど、それでもまだ一緒にいることができる、ということだけでもありがたい。
 それに、身体のつながりだけではなく、心の絆を深めろ、という蓮さんのいつもの説教の一環、なんだよな。
 確かに俺、文緒とひとつになってからはそれはもう猿のように……って年甲斐もなく恥ずかしくなってきた。怒られても仕方がなかったよな、あれは。俺は反省した。



 ……反省してもキスさえできないんだけどな!

   *   *

 勉強の合間の気分転換に俺と文緒は今、本来は兄貴と智鶴さんしか入れない庭に来ていた。
 なんで入れるかって?
 兄貴夫婦と佳山家はまったくの赤の他人であるけど、兄貴の持つその
「特殊能力」
を知りながら態度を変えなかった奈津美さんと蓮さんのことを大切に思い
「家族」
の一員として、兄貴がこの庭をふたりのために解放した。本来なら俺は入ってはいけないんだけど……。
 兄貴は口ではあんなひどいことを言っているけど、俺のこともきちんと
「家族」
として認めてはくれているらしい。入ったことに対して言われたことはない。
 特にこの庭になにか秘密があるとかではないんだけど、一応家族のプライベートガーデンという位置づけであるからむやみやたらと人が入るのは好まない、だけの話らしいんだけどね。
 外でするな、というのは……これ以上は言わないぞ、察しろ。
 あああ、なんかそのことを思い出したらむらむらしてきた! 蛇の生殺し、とはこのことを言うんだな。
 来てすぐなのに俺が部屋に戻ろうとしたのを見て、文緒はあわてる。

「もう帰るの?」

 むらむらしてきたから帰る、とはさすがに言えなくて、引きとめられて俺は部屋に戻るのは諦めた。
 三十すぎたおっさんのクセに、なんで下半身は中高生並みの反応しかできないんだ。びしばし叩いてやりたい。
 ……いや、やめておこう。余計に反応してしまう。

「ねぇ、むっちゃん」

 文緒はそう言ってあ、と口に手を当てた。無意識に口をついて出たらしい。だけど今は謹慎期間でペナルティのキスさえも禁止。ちらり、と文緒は俺を見ている。

「謹慎期間中はペナルティも謹慎中です」

 我ながら意味の分からない日本語だと思いながらも文緒に告げる。つまらなそうな顔をしていたけど、その顔もかわいい。
 ああ、食べちゃいたい。



 ……おっさん思考で嫌になる。


「早く期末試験、来ないかな」

 それは激しく同意。

「十位以内に入れる自信はある?」
「うーん。だけど睦貴が教えてくれてるから、大丈夫だよ」

 とは言うけど。高校を卒業して何年経つんだろう。考えたら憂鬱になってきたのでやめた。正直、自信はない。
 奈津美さんは女子短大卒業らしいけど、他の人はみんな揃って某国立大学卒。
 蓮さんに至っては飛び級で大学院まで出てるし、子育てで休学しつつも智鶴さんも同じく飛び級で大学院を出たらしい。兄貴も深町さんも同じ大学卒。深町さんなんて兄貴の秘書を勤めながら大学に通っていたらしいから、すごすぎる。俺もまあ、同じくその某国立大学卒ではある。

「文緒はどこの大学を志望してるんだ?」
「睦貴と同じところ」

 文緒なら無理ではなさそうだ。
 蓮さんが
「ひどかった」
といった中間試験を見せてもらったけど、そんなにひどいとは思わなかった。だけど今までのことを聞くと……いつもよりは悪かった、というだけなんだけどな。蓮さん、厳しいよな。あの人は人にも自分にも厳しすぎだ。もう少し手を抜けばいいのに、と見ていていつも思う。

「文緒は将来、なにになりたい?」
「睦貴のお嫁さん」

 いや、そんなかわいらしいことを聞きたかったわけではなくてだな。抱きしめてキスができないこのもどかしさ! あああ、ストレスがたまる!

「まさか夢は専業主婦、とか言わないよな?」

 それは悪夢すぎる。文緒は絶望的なまで不器用なのだ。専業主婦なんてやめてくれ。

「専業主婦にはあこがれないなぁ。だって私のまわり、だれひとりとして専業主婦なんていないから、想像もつかないよ」

 そうだよな。
 智鶴さんもモデル兼会計士みたいなことやってるし、奈津美さんなんてブライダル関係の会社の社長だし、深町さんの奥さんの彼方さんだってなにか仕事をしていたはずだ。

「睦貴のお仕事の手伝いがしたくて獣医になろうと思ったんだけど……」

 文緒が獣医? 絶望的不器用な奴が獣医とか、勘弁してくれ。

「私、不器用だから……」

 自覚はあるらしい。ほっとした。

「だったらもうちょっと融通が利く秘書課かなぁ」

 秘書の仕事ってそれはそれはもう、縁の下の力持ちどころの話ではない。深町さん、よくもまああんな大変な仕事をやっていたな、と兄貴の秘書をやっていて思う。蓮さんに言わせれば兄貴が型破りすぎるから大変なだけだ、というけど。俺は他の人の秘書なんてしたことがないからあれが
「普通」
と思っている。
 ようやく兄貴の
「秘書」
という仕事に慣れてきて、あとは兄貴の扱いにも慣れてきて少し余裕が出てきているのは確かだけど。
 深町さんには
『Mなあなたには秋孝の秘書はぴったりですよ』
 と言われた。
 だけど俺、なんだか兄貴の秘書になったことで別の扉を開ける境地に立ってしまったよ。
 このままいけば俺、Sにもなれそうだ。意外にわがままな兄貴の言われるがままに仕事をやっていたらとんでもないことになる、と気がついたので、ある程度俺が兄貴をコントロールしなくてはならない、ということが分かってきた。兄貴を御しながら周りも納得させなくてはならないし、かなり神経がすり減るんだよな。
 そんな仕事を文緒にさせるのかぁ。俺は思わず遠い目をして文緒を見てしまった。

「睦貴?」
「ん? 秘書の仕事、大変だよ?」
「アキさん相手だからでしょ?」

 蓮さんは家で愚痴でも言ってるんだろうか?

「睦貴を見てたらなんとなくアキさんが分かるから」

 ということは……俺を相手にするのも大変、ということか? 俺……そんなにわがままか?

「俺、わがまま?」
「わがままではないけど、なんていうかなぁ」

 文緒は上を向いて言葉を選んでいるようだ。いや、思ったことを正直に言ってくれて全然いいんだけど。

「たまに突拍子もないことしてくれるから、フォローに困る」

 言われて、悩む。……突拍子もないこと?

「この間の土下座なんて、どうしろと言うのよ」

 え? あれってそんなに困るもの?

「あれは土下座するしかないだろう」
「おかしいでしょう? 別に睦貴が悪いわけじゃないんだから」

 なんだか文緒に説教されているのが俺、気持ちがいい。ああ、もっと言葉でいたぶって!
 思わずうっとりして文緒を見つめたら、なんだか汚いものでも見るかのような表情で俺を見ている。

「睦貴、なんか変なこと考えてるでしょう?」

 な、なんでばれたんだ?

「そういうところがねぇ……」

 やばい、今すぐここで抱きしめて押し倒したい!
 ううう、奴らはブラックホールに吸い込まれてくれなかったのかよ!? 欲望と下心が今日はジェンカを踊りながら近づいてくる。頼むから来るな! 俺は頭を抱えてしゃがみこむ。

「睦貴? 気分でも悪い?」

 急にしゃがみこんだ俺を心配して、文緒が駆け寄ってきてくれた。ふわり、と文緒のいいにおいがして、ジェンカのスピードが百倍くらい速くなった。
 もう……勘弁して。

「いや。大丈夫」

 本当はまったく大丈夫じゃない、我慢の限界だ。ものすごい泣きごと言いたい。
 文緒を抱いてひとつになりたいんだああああ!
 ……おっさん、と言うな。



 結局俺は『我慢する』という選択肢しか選べなかった。
 ヘタレはどこまで行ってもヘタレでしかないのだ。


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