愛から始まる物語12
「むーつーきー、起きてっ!」
耳元で怒鳴られ、俺は重い瞼を開ける。目の前には、文緒の顔があった。あれ? なんで文緒が俺の部屋にいるんだっけ? 思い出せず、文緒の肩をつかみ、キスをする。
「睦貴、寝ぼけてないで起きてっ!」
目をこすり、壁にかかっている時計に目をやる。
九時。
うん、九時。
……九時?
事実を知り、飛び起きる。
「やべっ」
起き上がって、自分が裸のままだったのを思い出す。そして、昨日の出来事を一気に思い出す。
うわー、まじかよ? あのまま寝るなんて、最低な男だな、俺。
「文緒、ごめん」
一番やってはいけないことをやっちゃったような気がする。裸のままで土下座しそうな勢いに、文緒は明らかに引いている。
「とにかく、早くシャワー浴びて着替えて!」
言われるがまま、そのままお風呂場へ直行する。文緒はとっくの昔に着替えているようで、昨日とは違う服を着ていた。
「蓮から伝言ー」
うわ、一番聞きたくない伝言かも。
「『仕事から帰ってきたら覚悟しておけ』だって」
文緒は無邪気に蓮さんからの伝言を俺に伝えてくれた。朝から顔合わせしなくて済んだのはいいんだけど、避けて通れない道なんだよな。うぅ、すでに俺、くじけそうです。
軽くシャワーを浴びて、だいぶ頭がしゃきっとした。
「ご飯は蓮が用意してくれてるって。冷蔵庫見ればわかるって言ってた」
佳山家に赴き、言われたとおりに冷蔵庫をのぞくと二人分の朝食がきちんと用意されていた。できすぎな蓮さんに俺は目からなにか出そうだよ。
温めて文緒と一緒に朝食をとる。
「睦貴の今日の予定は?」
と聞かれたので、昨日の片付けがあるというと、
「私も手伝う!」
と手伝いを買ってくれた。
「文緒は奈津美さんと蓮さんに会ったのか?」
「うん。先に目が覚めたから一度家に帰った。なっちゃんによかったね、って言われたよ」
なんだその『よかったね』ってのはっ? もう筒抜けかよ!
「あと、アキさんにもぽんぽん、って頭なでられた」
ぐわっ! よりによって兄貴にまで知られてしまったのか! ここにはプライバシーというやつはないのかっ!
「お母さんには『おめでとう、お赤飯ね』って言われた」
ぐわあああああ! 絶対あいつら、俺で遊んでいる! もうやだ、こんなとこ。
「好きな人とひとつになれるって、幸せなことなんだね。睦貴、ありがとう」
と臆面もなく言われて、俺は顔から火が出た。朝からなんてことを言うんだ、この娘っ!
だけど、その言葉に俺は安堵する。あれだけしつこいほど確認したけど、はっきりいって全然自信がなかったのだ。自分の欲望のままに文緒を抱いて、文緒に一生忘れられない傷をつけてしまったのではないか、と心配していた。だけど今の表情と言葉を見る限り、それはないのが分かって──俺はとにかく安心した。
「もう、怖くないから」
その言葉に、俺は思わず目を細めた。女ってのは、強いな。
「柊哉も、赦してあげる。睦貴が赦してくれたんだもん、私も赦すよ」
なんで俺が赦せばいいんだ? おまえの意見はどこに消えた?
「俺の意見じゃなくて、文緒の意見は?」
「睦貴と一緒だよ。睦貴が赦さない、っていうなら私も赦さない」
「俺のことはいいから」
「分かってもらえないかなぁ。私、睦貴がいながら柊哉についていったんだよ? 一番悪いのは、なにかされるかもしれないのが分かっていながらついていった私。その私を責めることなく、睦貴は柊哉を赦してあげろ、って言ったから。私が柊哉を赦さないのはお門違いじゃない」
そうなのか?
まあ、ほいほいとついていった文緒も悪いといえば悪い。柊哉が文緒のことをどう思っているのか知っているのに、な。
それに、あいつは俺と文緒が付き合い始めたということをきちんと知っていたのだから。
だけど未遂に終わったのを知った俺は、からかいの種ができたとニヤニヤしていたのも事実。
俺に勝とうなんて、あと十五年早いな。
自分の年齢にプラス十五をして、五十近いことを知ってショックを覚えたのは内緒だ。
「改めて聞くけど、文緒はこんなおっさんで本当にいいのか?」
今更聞くのもなんだけど、と思いながら、聞きたくなった純な男心を察してくれ。
「睦貴がおっさんって思ったこと、一度もないよ」
それはありがたい。
「年齢が近い子たちって子どもなのよねぇ」
言われて思い当たる節があり、ずきりと痛む。
「蓮となっちゃんは蓮の方が年下だけど、全然そうは見えないからなぁ。そういう人がいればいいけど、私の周りにはいないんだもん」
文緒はおっさん好み、ということでFA(ファイナル・アンサー)?
「その辺、睦貴ってストライクゾーンなんだよねぇ」
と饒舌に文緒に説明をされて、喜んでいいのか嘆いていいのか分からなくなった。おっさんとしては、複雑な心境ですよ。年頃の娘さんの年上男性へのあこがれなのか、もともと年上が好きなのか判別がつかなくて。
俺は別に年下好みなわけではない。年上のおねぇさまにも魅力があるし。二・三年下くらいがちょうどいいんだけどなぁ。文緒と同じく、残念ながらそういう人が周りにいないこの不幸よ。
これはどうあっても文緒と結ばれて生涯の伴侶にしろ、というなにか大きな力が働いたせいだな。それなら受け入れようじゃないか、男らしく。
だけどここで声を大きくして叫びたい!
俺は決して、
ロ リ コ ン
ではないっ! 断じて違う! ましてや幼児性愛者ではないぞ! 深町さんに誤解されそうだったけど、違うからな!
だれに力説してるんだ、俺。
朝ごはんを食べ、花火大会の片づけを午前中かけてする。文緒が手伝ってくれたから、思ったより早く終わった。
午後からはそれまで中断していた夏休みの宿題の手伝いをすることにした。京佳も俺の部屋に呼び、それまでどおりに時間が過ぎる。
ふたりとも俺が花火大会の準備をしている間もまじめにやっていたらしく、ほぼ終わりに近づいていた。
「宿題多すぎだよねー。これだけまじめにしても終わらないって、どういうことよ」
文緒が文句を言っている。確かに、これは量が多すぎだと俺でも思う。先生はまじめにこの終わった宿題たちを見るのかな? たぶん、見ないだろう。
今日もやっぱり鳴らない電話の番をして、俺は一日が終わった。
しかし。文緒との将来をまじめに考えたら、そろそろ開店休業中の仕事もやり始めないといけないよなぁ。ヘタレでニートなポジションは返上しないといけないかな。だけど、そうすると文緒のお迎えはだれがするんだ?
長年に渡る真理との対立を解消させることを前向きに考えないといけない頃に来ているのかもしれない。
だれもが思って、だれもが避けてきたこと。
請われている人たちが犠牲になれば、確かにこの対立に終止符を打つことになる。だけど、それはだれかの犠牲の上に成り立っている。それがしたくなくて、あえて『避ける』という消極的な態度をずっととってきているのを、俺はここの人たちと付き合うようになってから知った。
高屋と辰己、お互いが対立していがみあっているのを、知っていた。だけどそれは昔からのことで、俺がどうこうしたところで解消されるものではないのも知っていた。きっとこの対立だって、ものすごくどうでもいい些細なことから発展していたことなのだろう。まったく、社会的地位のある人間同士が大人げないよな。対立している、という割には兄貴と深町さんはものすごく仲がいいし、京佳だってここにきて楽しんでいる。
今の最大の問題は真理だけ、ってことになる。だけどこちらから真理にコンタクトを取るのは不可能だ。不可能なわけではないけど、コンタクトしたからどうなるんだ、となる。
それでも、この対立を終わらせることができるのは、俺だけしかいないような気がしてきた。
第三者よりは当事者たちに近い。まったくの無関係者でもない。複雑な事情に対して、複雑な立場の俺が一番の適任者のような気がする。
だけどどうすればいいのかわからない。
最近ずっと、そのことばかり考えている。
向こうからなにかアクションがあるまで待つ、か。真理も馬鹿じゃない。きちんと俺のことを駒の一部と考えているだろう。あいつのことだから最適なタイミングをはかっているのだろう。それがいつか、はあいつの胸の内だ。そうなれば乗っかってやろうじゃないか、その誘いに。俺は対立を深めたいわけではない、終わらせたいのだ。こんななにも産まない、不毛な対立は終わりにしよう。ゆがんだ関係、俺が終わりにしてやる。それがたとえ、文緒と別れることになっても、だ。
いや、俺は絶対なにがあっても文緒と別れない。それが執着心で文緒から気持ちが悪いといわれても、だ。もちろん、好きな人に嫌がられるのなら、俺は身を引くけど……想うだけならいいよな?
その想いに至り、真理がずっと独身主義を貫きとおしている気持ちを少しだけ知る。
智鶴さんの両親を殺してしまいたいほど愛していたんだ、真理は。
智鶴さんの両親は、真理の策略の火事にのまれて死んでしまったらしい。その火事が原因で兄貴と智鶴さんは出会った。
真理は、いろんな人の人生を狂わせた。
それは結果、幸せになったとしても、真理がかかわったことで狂ってしまった。
本来の人生がどうだった、なんて知らない。もともとそうなるものだったのかもしれないけど、真理はとにかく、いろんな人の人生に色濃く影を残した。
本人も本望だろう、そこまでいろんな人の人生に影響したんだから。
俺がここでこうして文緒と出会ったのも、真理の影響なのだ。
俺は俺の人生の中でそれほど他人に影響を与えたことがあるか? そう問われると、
「NO」
と答えるほかない。
だけど真理、あんたはそれだけ影響力があったのに、孤独だったんだよな。
ほしいものをほしいと言って駄々をこねても、手に入らなかったんだもんな。
こんな俺から同情されるような奴じゃないだろうけど、だれかひとりでも真理の孤独を知っておいてやらないとなんとなくつらいかな、と思って。