愛から始まる物語


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愛から始まる物語09



 文緒にはお風呂に入るように伝える。
 文緒がお風呂に入っている間に佳山家に内線をかける。今日、文緒は俺のところに泊らせることを伝えた。受話機の向こうで蓮さんがものすごい怒鳴っていたけど、それは無視しておく。たぶん兄貴がすでに話をしに行っていると思うので、大丈夫だろう。すぐそこなので、よほどだったら怒鳴りこんでくるだろう、とのんきに構えていた。
 激しいノックに思わず苦笑する。
 ……やっぱり来たか。
 しぶしぶドアを開けた。ドアの隙間から腕が差し入れられた。その手には、かばんが握られていた。

「文緒の着替え」

 むっとした蓮さんの声に俺は苦笑した。

「兄貴から話は……?」
「聞いた」

 蓮さんはドアの向こうにいて、こちらに顔を出してこない。なんだか珍しいものが見られて、ちょっとおかしくなった。あの蓮さんがねぇ。

「文緒はオレたちではなくておまえに助けを求めた、というのは覆せない事実だからな。少しだけ認めてやる」

 蓮さんのその言葉が俺にはものすごくうれしかった。

「ありがとう」

 俺の素直な礼の言葉に、

「おまえのためじゃないからな! 文緒のためなんだ」

 ……蓮さんもツンデレ属性だったのか?

「もし万が一なことがあって、文緒を泣かせたら死んでも地獄の底まで追いかけてやるからな」

 それが冗談に聞こえないから、蓮さんは怖いんだよ。

「泣かせるより泣かされる方が」
「おまえの性癖なんぞ聞きたくないわっ!」

 おでこにパンチを食らい、蓮さんはそのまま乱暴にドアを閉めて去って行った。
 結局、蓮さんの顔、見なかったな。どんな顔してたんだろう。泣いてたのかな?

 後日、この日のことを奈津美さんが話してくれた。
『蓮ったら、今まで見たことないくらい動揺しておろおろしていたのよ』
 見てみたかった……!

 お風呂場まで行き、蓮さんが着替えを持ってきてくれたことを伝えて扉の前に置いておいた。しかし蓮さん、気がきくよなぁ。見習わなくては。
 文緒はお風呂に入ってだいぶ落ち着いたようだった。
 俺も入れ替わり、お風呂に入る。文緒の後かぁ、悪くないな。ニヤニヤしている俺、発想がおっさんだよな。年をとるとどうしてこうなっちゃうんだろうな。
 今日は花火大会で走り回ってかなり汗をかいていたので、お風呂に入ってさっぱりした。お風呂からあがると、文緒は俺の机に座ってぼんやりとしていた。
 冷蔵庫から水を取り出し、文緒と自分用にグラスに注いで文緒に渡す。

「ありがとう」

 文緒は小さくつぶやいて、お水を飲んでいる。その姿がいつもより小さく見えて、俺は思わず不安になる。目の前にいるはずなのに、すぐにでも消えていなくなってしまいそうで。水を飲み干し、グラスを机に置いて文緒を抱きしめる。文緒からは俺と同じシャンプーの香りがした。いつも文緒からする香りとは違うけどかぎ慣れたにおいに、俺はくらくらした。

「むっちゃん、今日はありがとう」

 文緒が微笑んで俺を見上げた。むっちゃん、って……ペナルティっていつものようにキスしてもいいのか?
 わざとなのか無意識なのか判断がつかず、俺が迷っていると文緒の方からキスをしてきた。まさかしてくるとは思わなかったので、たじろいだ。

「ペナルティ、でしょ?」

 いたずらっぽく笑うしぐさが妙に色っぽくて、箱に入れて理性の鎖でぐるぐる巻きにしていたはずの下心がコサックダンスを軽やかに踊っていた。いや、実際コサックダンスをしろ、と言われたらハイレベルすぎてできないんだけどな。
 コサックダンスを知らない、だって? ぐぐれ。
 
「YouTube」
に素晴らしいコサックダンスが投稿されていたぞ。
「ソ連兵による革命的コサックダンス」
というタイトルの五分近い動画なんだが、あまりにも素晴らしくて全部見てしまった。一見の価値はある、是非見ろ。……横道にそれてしまった。
 どうあってもこの下心は出てきたいらしいのだが、今日、文緒が遭ったことを考えるとやみくもに欲望のままに文緒を抱くのはよくない。……そうやって我慢した結果、文緒を傷つけることになったかもしれない、というのは分からないでもないけど。深町さんなら躊躇せずこういうときでも抱くんだろうな、あの人鬼畜だし。
 だけど俺は臆病でヘタレだ。キスまでで許していただきたい。
 文緒の中で今日の恐怖が薄れるまで、俺は待つつもりでいた。

「睦貴は私のことが嫌いなの?」

 涙目で聞かれてしまった。

「なんでいきなりそう思った?」

 いきなりすぎてついていけない。文緒はもじもじして言いにくそうにしていたけど、意を決して口を開いたみたいだ。

「だって睦貴、キスしかしないし、好きって言ってくれない」

 確かに俺は文緒に対して『好き』だとか『愛している』という言葉を口にしていないような気がする。照れくさいし、なによりも言わなくても通じている、と思っていたんだが。それはどうやら俺の一方的な思いこみだったようだ。
『気持ちを言葉にしてくれない人は嫌いです』
 といつぞやそういう理由で振られたのを思い出した。その時はどうでもいいと思っていたから聞き流していたけど、文緒に言われてようやくその意味が分かった。俺ってにぶい奴だったんだな、今初めて知った。

「俺は、文緒のことを愛してるよ」

 不安な気持ちが今日の出来事につながっていたのかもしれない、と思うと本当に自分はどうしようもない不甲斐ない人間なのを思い知った。

「愛しているけど、やっぱりまだ娘という気持ちが抜けきってないのも事実なんだ……」

 十六年の思いというのは思っていた以上に厄介だった。
 どこかでずっと文緒に惹かれてはだめだ、と言い聞かせて文緒のことを娘と思いこむようにしていた節が無意識のうちにあったようで……。その無意識な意識を切り替えるにはもうちょっと時間が必要だ。ショック療法という手もあるけど、なによりも文緒をそれで傷つける結果になってしまったら取り返しがつかない。文緒は目を伏せてじっと俺の話を聞いてくれている。

「柊哉は正面から好きって言ってくれた」

 情熱的だねぇ、柊哉は。若いっていいわー、ってどこのおばさんだよ、俺。だけど柊哉は兄貴ってより智鶴さん……というより真理か深町さんか……に性格は近いってことか。
 兄貴と俺は見た目は似てないけど、性格はどことなく似通っている部分もあるからなぁ、残念ながら。……ということは、やっぱり俺も変態、ということか。覆せない事実を知り、変態にのしをつけて兄貴にあげたい、と心の底から思った。こんなの要らない、迷惑だ。

「俺がきちんと言わなかったことで文緒に不安な気持ちにさせたのなら、謝る。ごめんなさい」
「謝罪の言葉なんて聞きたくないの」

 文緒は立ちあがって俺にしがみついてきた。怖いのか、不安なのか。文緒の細い肩は震えている。壊れものを扱うように文緒をそっと抱きしめる。

「怖かったの」

 文緒は俺の胸に顔をうずめて震えている。泣いているのか。

「睦貴、忘れさせてよ」

 見上げてきた瞳には涙はなかったが、泣きそうな表情をしていた。俺の下心は欲望とタッグを組んで華麗にコサックダンスをやっぱり踊っている。やばい、最強コンビだな。その激しい踊りに理性の鎖が引きちぎられそうだ。

「睦貴は私のことが嫌いなの?」

 文緒のその一言がとどめだった。ケンシロウの服よろしく状態で理性の鎖は粉々に砕け、下心は箱を燃やして欲望と一緒に俺の中をぐるぐる回っている。
 上等じゃないか。こうなったらダメンズとヘタレもセットにしてやろうじゃないか。と思ったら、下心と欲望の最強コンビにタッグを組まれてギブアップしていた。
 あ、いらない? しかしやっぱり駄目だな、ダメンズとヘタレコンビ。





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