愛から始まる物語06
なんだか我ながら付き合ってるのか付き合ってないのかわからない関係だよな、と助手席に乗っている文緒を見ながらふと思った。
文緒の告白を聞き、その想いに答えたあの日からしばらくたったある日。明日から夏休み、と文緒は助手席ではしゃいでいた。
「ねーねー、睦貴。せっかく夏休みなんだから、どこか連れて行ってよ」
「宿題済んだらな。大量に出てるんだろう?」
「せっかくの楽しい気持ちに水を差すようなこと、言わないでよ」
頬を膨らませてすねる文緒がかわいくて、俺は自然と頬が緩む。やっぱり俺、文緒が娘って気持ち、完全には抜け出せてないみたいだ。
そう思われ続けているのが一番の苦痛なのが分かっているから極力そう思わないようにしていたけど、十六年ずっと思ってきた気持ちを切り替えるのは思っている以上に難しい。
「宿題、わからないところは教えてやるよ」
俺の言葉に文緒は笑顔を見せた。
「睦貴の部屋、入っていいの?」
別に今まで禁止にしていたわけではないのだが、なんとなく恥ずかしくていつも佳山家に行っていた。
「資料なら俺の部屋にいくらでもあるからな」
そんな話はもう文緒は聞いてないらしい。
どんな部屋なの、と聞いてくる。
「見ればわかるだろう」
そんなに楽しいものではないのに、なにをわくわくしてるんだろう。
お屋敷に帰ると、先客がいた。玄関前に黒塗りのベンツと濃いグリーンの国産車が止まっていた。
「柊哉(とうや)と鈴菜(すずな)が帰ってきてるんだ! あ、あっちのベンツは京佳(きょうか)もいるの?」
京佳がいる、ということは深町(ふかまち)さんも来ている、ということか。今日はにぎやかだな。
柊哉、というのは兄貴のところの長男、年は十七歳。鈴菜というのは柊哉の妹で十五歳。柊哉と鈴菜はそれぞれ全寮制の学校に
「修業」
という名目で入れられている。そこでいろいろ学んで来い、ということらしい。
確かにずっとこのお屋敷に住んでいたら世間と離れた認識を持ちそうだ。いい判断だ、と思う。
明日から夏休みだから、帰ってきているらしい。
そして、京佳というのは深町さんの娘。文緒と同じ年で十六歳。中学は一緒だったけど、高校で進路が違ったために普段は交流が少なくなってしまったけど、たまに電話をしたりする仲ではあるらしい。
玄関を入ると、深町さんと京佳がいた。
「京佳!」
文緒は京佳を見るなり、うれしそうに抱きついている。京佳ははにかんだほほ笑みを見せている。
「お久しぶりです、深町さん」
俺を見て、深町さんは柔らかな笑みを浮かべた。
「睦貴、文緒と付き合ってるんですか?」
その柔らかな笑みからそのセリフが吐き出されるとは思っていなかったので、俺は思わず噴き出した。相変わらずのサディスティックさに俺はため息しか出ない。
「秋孝が嘆いてましたよ。文緒は男を見る目がないって」
それは自分でも思っている。改めて傷口をえぐるようなことを言ってくれるな。
「ひと夏の間違い防止に、京佳を置いていきます」
どこまでこの人は……!
深町さんは俺の肩に手を置いて、
「まあ、やりたければどこででもできますからね」
と耳元で不穏なことを囁く。
「ただし、うちの娘に手を出したら、わかってますね?」
にっこりとほほ笑まれた。間違ってもそんなことしないよ、俺。
「先に断わっておく。俺はロリコンではない」
ささやかな抵抗をしてみる。
「ロリコンではない、ということは、ペドフィ……」
「なんてことを言うんですかっ!」
俺はあわてて深町さんの口を手でふさいだ。
「違いましたか。あなたにとって文緒は娘だと思っていると思っていましたから」
俺だってそう思っていたよ、文緒から告白されるまでずっと。
「文緒の胸がいつまでもまな板なのは、奈津美さん譲りですか」
このおっさんもひどいことを言う。本人聞いたら泣くぞ、気にしてるのに。
深町さんはその後も散々暴言を吐いて、京佳を置いて帰って行った。あれは真理並みにひどい。
だけどなんで真理はあそこまで嫌われて、深町さんはここの人たちに受け入れられているんだろう。激しく疑問に思う。もしかしたら、真理は俺たちが思っているほどひどい奴ではないのかもしれない。よほど俺の周りにいる奴らの方がひどいような気がする。少し同情の余地があるな、と思ったけど、こんな俺に同情されるほど真理も堕ちてないよな。
──まさか真理と直接対決するとは、この時の俺はまったく思ってもいなかった。
* *
深町さんの予告通り、京佳は夏休み中、このお屋敷にいるようだった。深町さんも奥さんの彼方(かなた)さんも仕事であちこち飛び回って忙しいし、家に京佳ひとりにするのは心配なのだろう。文緒も喜んでいることだし。
京佳はこのお屋敷内に専用の部屋を持っていて、そこで寝泊まりしている。
ご飯は朝は佳山家、昼は俺の部屋で文緒と京佳と一緒にとり、夜は食堂でみんなと一緒にという形だった。
朝ごはんの後は冷房のきいた俺の部屋で文緒と京佳は勉強している。わからないことがあれば聞いてくれ、と言って俺は固定電話の番をする。まあ、鳴るわけないのだが。
机にさまざまな資料を置いて、俺はぼんやりと読む。
こうして夏休みが半分過ぎた頃。ひとつの間違いが起こってしまった。その間違いは、文緒を深く傷つけ、俺の心にも一生忘れられない傷をつけていった。