愛から始まる物語


<<トップへ戻る

<<前話*     #次話>>

愛から始まる物語03




「じゃあ、文緒がむっちゃんのお嫁さんになってあげる」

 お屋敷について、ブレーキをかけた瞬間に文緒がとんでもないことを言った。

「…………は?」
「むっちゃん、わたしのこと、嫌い?」

 泣きそうな瞳で、文緒は俺のことを見ている。
 嫌いなわけない。むしろ好きだ。
 だけどその「好き」は父親が娘に対して持つ「好き」となんら変わりなく。好きと言うよりは家族に対する愛、の方が近いかもしれない。

「文緒、俺のこと、からかってるのか?」

 車内はしんと静まり返っている。

「俺はおまえを取り上げたし、おむつも替えた。娘としてしか見られないよ」

 俺の言葉に文緒はじわりと涙をあふれさせ、乱暴に車のドアを開けて出て行ってしまった。

「あ、文緒。待てよ!」

 泣かせるつもりはなかったのに。
 追いかけようにも車をこのままにもしておけないから、俺は車を発進させて、駐車場に入れた。

  *  *

 佳山家の鍵は、俺も預かっているので開けて中に入る。文緒の部屋の前に立ち、ドアをノックしたけど返事がない。中からすすり泣く声が聞こえた。

「文緒」

 名前を呼び掛けたけど、返事はない。俺はしばらくそのまま待っていたけど、泣きやむ気配もなく、そして中から出てくる様子もなく、あきらめて自室に戻った。
 娘だと思っていた文緒から告白されてしまった。奈津美さんと蓮さんにどう顔向けすればいいんだろう。蓮さん、文緒を溺愛してるからなぁ。文彰もすごいシスコンだし。あああ、怖い。
 さらに兄貴の子どもの柊哉も昔から文緒と結婚するんだ、と公言しているしなぁ。
 こんなおじさんでうだつのあがらないヘタレなニートのどこがいいんだか。
 俺は食堂に電話をして、今日は部屋で食べることを伝えた。
 朝はそれぞれの部屋で食事をするのだが、夕方は兄貴たちの家族と佳山家の人たちと俺とで食堂で夕食をとるのが習慣になっていた。今日はあの人たちに顔を合わせたくなかった。
 特に兄貴。
 最初、兄貴の特殊能力を知った時は驚いたけど、母が毛嫌いするほどのものではないと思っていたので普段はそれほど気にはしていない。だけど今日みたいな日はやっぱり、顔は合わせたくない。なにを言われるのか、わかったものじゃない。そう考えて、先ほどの文緒の告白はかなりのダメージだったことを知った。弱っていたところに予想していなかった文緒からの告白。
 娘としか見ていなかったのに。文緒は俺のことを男として見ていた、ということか。まいったな、と頭を抱えてため息をついた。
 前述のとおり、俺はそれなりに女の人とお付き合いをしてきた。そして、いらぬお節介をする母も山のような見合い話を持ってきていた。だけどひとりを除いて「睦貴」を見てくれる人はいなかった。俺を通してだれもが『高屋』を見ていた。兄貴は俺以上にそのつらい思いをしてきたはずだ。
 だけど今はそんな兄貴も智鶴さんという最良の伴侶を得て、幸せに生きている。兄貴と智鶴さんの出会いは、件の真理のせいだったらしい。だけど今にして思えば、出会うべくして出会ったんだよな、と思う。兄貴は智鶴さんに一目ぼれして、猛アタックした末に結婚した、という話を聞いた時、すごくうらやましかった。その年の差、十歳。最初聞いた時は驚きで言葉が出なかったけど、俺と文緒の年齢差を考えればまだかわいいものだよな、と今になってみれば思える。
 俺もいつかそんな人に出会える、と思ってきたけれど、どうやらそんな運命的な出会いは俺には存在していないらしい。と思っていたけど。まさか文緒が……ねぇ。
 先ほど車の中で見た文緒の泣き顔を思い出し、俺の心はずきりと痛んだ。

  *  *

 夕飯を部屋で食べ、お風呂に入ってゆっくりしていたら、珍しくだれかがドアをノックした。だれかと思ったら、兄貴だった。

「今、いいか?」

 一番会いたくない人が来た、と思ったけど、特に断る理由がないから招き入れた。

「相変わらず殺風景だな」

 室内に入って兄貴はそういう。
 広い部屋にベッドと机と壁一面に備え付けの本棚。以上が俺の部屋の中。

「食堂で夕食が食べられないほど忙しそうには見えないけど」

 兄貴は意地悪そうな表情で俺を見る。もう見えてるんだろう、今日の出来事。
 兄貴は、他人が見た過去が見える、という特殊能力を持っていた。母が忌み嫌ったもの。見てきたものをずばずばと当てて、よく気持ち悪がられた、と兄貴はひどく傷ついた目をしてそう俺に語ってくれた。話を聞いた時、確かに驚いたけど、気持ちが悪いとは思わなかった。よほど母が俺に向けているあの異常な愛情の方が気持ちが悪い。そして昔はやたらになんでも見えていたらしいんだけど、智鶴さんのアドバイスで訓練して、今では自分が見たいものを見ることができるようになったらしい。年をとって少し能力が衰えた、とは言っていたけど、それでも見えるというのはすごい。俺にはまったくそんなものがないから、どういう風に見えるのかわからない。
 この能力のせいで実の母からはうとまれ、大変な人生を歩んできたんだよな、智鶴さんに逢うまでは孤独だったんだよな、と思うといたたまれなくなる。
 だけど今では智鶴さんと子どもとかけがえのない人たちに囲まれて幸せそうだ。
 こんなヘタレな俺は母親の異常なほどの愛情を一身に受けてきた。その愛情の一部を少し分けてあげたいくらいだ。

「文緒から告白された」

 隠したところで仕方がなかったので、素直に話した。

「で、おまえは文緒を泣かした、と」

 事実を告げられ、俺は言葉を詰まらせる。

「文緒も夕食の席にこなかったな。蓮と奈津美が心配していたぞ」

 ああああ、奈津美さんと蓮さんが……怖い!
 文緒が夕食に現れないのは分かっていたけど、それでも何食わぬ顔をして食堂に行くほど俺は神経が図太くない。

「で、睦貴。おまえは文緒のことをどう思ってるんだ?」

 兄貴の意外な質問に、俺は意図をはかりかねた。

「文緒のことは好きだけど、娘としてしか見られない、と答えた」
「答えは分かった。で、睦貴の本心は?」

 俺の本心?

「おまえが何人もの女とお付き合いをしてきたのは知っている。だけどだれとも本気になれなかったのはなんでだ?」

 兄貴は俺が過去に付き合った女たちを見ているのか。普段はかけている眼鏡をはずして手に持ち、目を細めて俺を見ている。
 過去に一人だけ、結婚してもいいかもしれないと思った女がいたには、いた。だけど結婚に至らなかったのは、俺のせいだ。
 その時、どう断った?
 だれかの面影が俺によぎったからではないのか?
 認めたくない事実に、首を振った。

「文緒は娘なんだ」

 兄貴はさらに目を細め、獰猛な光を瞳に宿した。

「本当にそれはおまえの本心なのか?」

 俺はうなずいた。

「文緒とは血のつながりがないんだぞ? おまえは文緒がほかの男にとられてもいい、というんだな」

 いいわけ、ない。だけどその感情は……父親が娘に感じる感情と一緒だ。

「俺と文緒の年齢は倍も違うんだ。文緒には俺なんかよりもっとふさわしい男がいるはずだ」

 兄貴は俺に近づいてきて、胸倉をつかんだ。

「本当にいいんだな?」

 瞳をのぞきこまれ、確認された。
 よくない。
 よくないけど──。
 自分に自信がない俺は、文緒を幸せにしてあげる自信がなかった。それにやっぱり、娘としか思えない。

「おまえは自分自身に生涯、嘘をつきとおして生きていく自信があるんだな」

 その言葉に目を見開く。

「文緒を悲しませて、おまえはそれでいい、というんだな」

 良くない。文緒を悲しませたくはない。だけど。
 口を開こうとしたら、左の頬に痛みが走った。

「っ!」
「文緒の心の痛みだ」

 兄貴は掴んでいた胸倉を離し、俺は床に投げ出された。そして無言で兄貴は部屋を出て行った。
 待てよ。なんで兄貴に殴られないといけないんだ? 反論しようにも、すでにその殴った本人は部屋にいなくなっていた。
 はれてきた頬を冷やすために俺は食堂へと向かう。食堂にはまだ片づけている従業員がいて、氷を用意してもらった。

「派手に殴られましたね」

 最近入ったばかりというコック見習いの男の子に笑われた。この顔を見て殴られたと一発であてるってことは、相当こいつはけんか慣れしているのか? そんな風に見えないから意外だった。

「おまえ、睦貴さまになんて口をきいてるんだっ」

 コック長に見習いくんは殴られていた。

「ここにくるまでこいつ、相当悪いことしてましてね。年上を年上と思ってないような行儀のなってないやつで。すみません、睦貴さま」

 コック長は恐縮して見習いくんの頭を無理やり掴んで謝らせている。

「いや、この顔を見てすぐに殴られたってわかったのがすごいなと感心してました。謝る必要、ないですよ。本当に殴られたんだし」

 用意してもらった氷で顔を冷やしながら、俺は笑う。俺なんかより修羅場をたくさん経験してきたんだろうな。
 反骨精神でこの厳しいコック長から技をたくさん盗んで、俺たちに美味しい料理を作ってほしい。そんなことを見習いくんに言って、俺は食堂を後にした。







webclap 拍手返信

<<トップへ戻る

<<前話*     #次話>>