【一章】迷惑な居候≪十三≫
§ § § § §
秀道の坐禅講座は午前と午後の二回、それぞれ一時間ほど行われる。
秀道は彩名が文句を言う横で粛々と朝食を摂ると、鴉を伴って本堂へと去った。
(おじいちゃん、なにを考えてるのよ! あんな人外に手伝わせるなんてっ!)
彩名は用意した昼を冷蔵庫へとしまい、残っていた朝食を食べて、片付けた。
(人の不幸を喜ぶようなヤツよ? 町の人に被害が出たら、どうするのよ!)
本当なら、彩名も秀道にひっついて鴉が変なことをしないように見張っておきたいのだが、そうは言っていられない。
もしかしたら秀道は、鴉が訪問者にこっそりと黒い糸を結びつけようとしないように監視するつもりで手伝うようにと言ったのかもしれない。
(おじいちゃんのことだから、きっとそうだわ。うん、おじいちゃんを信じよう)
彩名はそう自分に言い聞かせて、自分に割り当てられた仕事をすることにしたのだ。
§ § § § §
一方、秀道と共に本堂へとやってきた鴉。
「じーさん、手伝うってなにすりゃいいんだ?」
秀道は手にホウキを持ち、畳の上を掃いていた。鴉は手伝うことなく、秀道を見ている。
「なにもせんでよい」
てっきり、掃除を手伝えだとかそれとも他の用事を言いつけられると思っていた鴉は、その言葉に拍子抜けした。
「わしの側にいてくれてもいいし、ほれ、そこの梁にのぼって、これから講座を受けに来る人を観察していて欲しい」
梁にのぼれと言われ、ここ数日、鴉が本堂の屋根にいることがばれているのを知った。
「見て……どーすんだ?」
「彩名はあれから、青い糸が視えるとは?」
秀道に聞かれ、鴉は首を傾げ、あのスーパーの出来事からこちらを思い返す。
「……いや、聞いていない」
顔を見合わせれば言い合いになってしまうから、もしかしたら彩名は視ても隠している可能性はある。
「で、おぬしはあれから、視たのか?」
そう問われ、鴉ははーっとため息を吐いた。
「じーさんには負けたよ」
秀道は掃除の手を緩めることなく、鴉に問いかけた。
「視た、のじゃな」
「……ああ。視た」
鴉は彩名が学校に行っている間、この小さな町をふらふらと回ってみた。
と言ってもあまり目立った行動を取ってはまずいと思ったため、屋根から屋根へ飛んで移動をしてみた。
結果、上空から視ると、面白いくらいにあちこちに青い糸が散らばっていたのだ。
「人通りが多い道から、あんまり人がいないような道まで、あちこちに青い糸が散らばっているのが視えた」
「ふむ……」
秀道は鴉の答えが予想通りだったようで、掃除の手を止め、あごに手を当てた。
「青い糸が散らばっていたにもかかわらず、彩名が視たと報告してこないということは?」
鴉はその質問に、チッと舌打ちをした。
「おぬし、悪ぶっておる割りには、なかなかいいことをしておるではないか」
「…………」
ほっほっほと笑う秀道に、鴉は言い訳をした。
「大半の青い糸はしばらくしたら消えるんだよ。だけどなんだ……よくわかんねーけど、いつまでもしつこく残ってるのもあってな。また、前みたいにあいつが取り除こうとして……その」
しどろもどろと言う鴉に対して、秀道はまた、笑った。
「よいよい。御仏さまはおぬしのやっていることを見ていてくださる」
「けっ、じょーだんじゃねー」
鴉はふんっとそっぽを向き、どかっと秀道が掃除したばかりの畳の上に寝転がった。
「彩名は幼い頃から視えるがゆえに、巻き込まれんでもいいことに巻き込まれてきた」
秀道は止めていた手を動かしながら、話を続けた。
「あれも難儀な性格をしておって、放っておけばよいのにな……」
視えてしまうから、関わってしまう。
「彩名以外には赤い糸も、青い糸も視えぬ。しかも、青い糸は悪縁を与える相手に繋がっているという」
「……みたいだな」
「しかし、今回の件は人と人を結びつけているはずの青い糸が、どうしてそこかしこにひっついておるのじゃろうな?」
秀道に指摘をされるまでもなく鴉は気がついていたのだが、無言でいた。
「おはようございます」
言葉が途切れたタイミングで本堂にだれかが来たようだ。
鴉は寝転がったまま、声がした方向に顔を向けた。
本堂の上がり口は開けられているが、賽銭箱があるためにこちらから向こう側を寝転がったまま見ることは出来ない。
「よっと」
さすがに人が来たのなら、寝転がっていたままではまずいと思ったのか、鴉は腹筋を使って一気に起き上がった。
賽銭箱の向こうには、短めの固そうな黒髪に、茶色の瞳の男が立っていた。
鴉はその男を見て、なんとなく不愉快な気持ちになった。
「秀道和尚、彩名は?」
「毎週、すまないね。彩名ならいつものところにいると思うよ」
「分かりました。では、行ってきます」
「よろしくな」
「はいっ!」
男は快活に返事をすると、本堂の階段を駆け下りていった。
「……あいつはだれだ?」
鴉の質問に、秀道は片眉を上げた。
「なにか視えた……のか?」
秀道の質問に、鴉は伸びをした。
「いや、なんも」
よく分からないが、鴉は先ほどの男が気になって仕方がなかったのだ。
「あやつは彩名の幼なじみで、佐屋野貴之という名前だ」
(幼なじみ……?)
今まで男の気配がまったくないと鴉は思っていたのだが、そんな近くに幼なじみとやらがいるのなら、鴉との赤い糸を断ち切った後に無理矢理にでもあの男と繋げればいいではないか。
……と思ったのだが、やはり、どうにもいらいらという気持ちがこみ上げてくる。
「なんだ? 貴之をライバルだと思っているのか?」
「……んなことはないけど」
「少なくとも、彩名のことは意識しておるということか」
その指摘に、鴉は秀道を睨み付けた。
「な……んで、俺が」
自覚はあったが、指摘されてしまうということは相当だということだろうか。
「運命に抗うのもまた、人生」
「…………」
「すべては御仏さまの意のままに」
二言目には『御仏さま』という秀道に、鴉はあきれ果てた。
「そんなに気になるのなら、彩名のところに行けばいい」
「……いや」
確かに気になるが、今のままだと貴之と彩名が結ばれる可能性はゼロだ。
(……ってなんで俺、あんなクソガキと張り合ってるんだ?)
この気持ちがもし、赤い糸のせいならば……。
(赤い糸ってのは、えらくひどい呪いだな)
本人たちの意思を無視して、結びつける、強力な呪い。
(十四年前も、この間も……彩名を助けたのはこの赤い糸のせいならば、やはり俺はどうあっても断ち切りたい!)
こんな訳の分からないものに振り回されるのは、まっぴらごめんだ。
もしも赤い糸が切れても彩名のことを今と同じように愛おしいと思えるのなら……。
(そのときは──色々と考えてやってもいいぜ)
鴉は忌々しい赤い糸をちらりと視た。
(こんなもの、絶対に断ち切ってやる!)
鴉は思いを新たにして、拳を握りしめた。