『消滅の楔』


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【一章】迷惑な居候≪十一≫


     § § § § §

 彩名は鴉の気配が部屋の前から消えたのを確認して、そっと扉を開けた。

(あいつ、あんなことを言ってたけど……本気?)

 彩名は鴉が現れるまで、自分の小指の先から伸びている赤い糸について、あまり考えたことがなかった。
 時が来れば自ずから相手と出逢い、疑問を持つことなく結ばれると思っていた。
 しかし……。

(よりによって、なんであんなヤツなのよっ!)

 彩名がそう思うのは、果たして何度目だろう。
 そう思ったところで今のままではどう転んでも覆されることはないのだが、彩名は気がついたら鴉と繋がっている赤い糸のことを考えてしまっている。

(同じ人外だっていうのなら、まだ、犬や猫と赤い糸が結ばれていた方が遙かにマシだったわ!)

 それはそれでどうなのかと思うのだが、今の彩名は本気でそう思っている。

(わたしが一体、なにをやったらあんなヤツと……! おじいちゃんがよく言っている、『因果応報』ってヤツなの?)

 もしもそうならば、悪い因果を断ち切るために秀道と同じように出家をして、この寺を継ごうかなんて彩名は本気で考え始めていた。

(広明おじさんがいるけど、このお寺を継ぐ気はなさそうだし、もしもこのまま赤い糸が結ばれたままなら嫌でもあいつと添い遂げることになるけど……あいつが住職だなんてあり得ない!)

 そうなると、必然的に彩名がこの寺を継ぐしかなくなる。

(大学はどこにしようか迷っていたけど、わたしが寺を継ぐとなると、選択肢は一つしかないじゃない)

 そこまで考えて、彩名はぼんやりと赤い糸の先にいると思っていた人物像が分かってきた。

(わたし……無意識のうちに、このお寺を継いでくれるような人がこの先にいるって思っていたのかも)

 思ってたというより、それは願望に近い。

(だから、鴉と結ばれてるって知った時、ものすごく反発した……のかな)

 そう考えると、彩名が鴉に対して素直になれなかったり、どうしても認められないと感じてしまうのは、仕方がないのかもしれない。

(そっか……)

 そう気がついてしまえば、解決したわけではないけれど、すっきりした。
 彩名は部屋の扉を閉め、中へ入った。

「あっ、宿題!」

 出されていたことを思い出し、彩名は慌てて机に向かった。
 ここのところ鴉に気を取られていて勉強に身が入らなかったが、ようやく気持ちの整理が出来たことでいつも通りに集中して取り組むことが出来た。

     § § § § §

 そして今日は、金曜日。鴉が東青寺に来てから四日目。
 朝食の準備が出来てから、彩名は鴉を呼びに行く。
 修行僧は大部屋に雑魚寝だが、今はだれもいないから物置部屋になっている。たとえ大部屋が空いていたとしても、今の鴉は彩名がなんと思おうと、一応は客人だ。だから鴉は、客用の一部屋が宛がわれている。
 あんまり話をしたくないなと思いつつ、彩名は鴉がいる部屋の前に立った。
 昨日はノックをする前に扉が開いたかと思うと鴉が飛び出してきて、彩名を見ることなく一目散に庫裏へと向かっていったのだが……。
 今日もそうなのかなと思って彩名は扉から身体をずらして立っていたのだが、鴉が出てくる様子がない。
 まだ寝ているのかなと思いつつ、彩名は扉を叩いたが、まったく反応がない。
 彩名は強めにもう一度扉を叩き、声を掛けた。

「鴉、おはよう。朝ごはん、出来てるよ」

 彩名のかけ声にも、反応がない。
 扉を開けてまで起こした方がいいのかなと思いつつ、彩名はもう一度だけ、先ほどより強く扉を叩いた。

「って……あれ?」

 扉がきちんと閉まっていなかったのか、彩名が強めに扉を叩いたことで少し隙間ができた。彩名はそっと、そこから中を覗き込んだ。
 部屋は電気が付いていないから暗かったが、廊下からの明かりが入り、薄ぼんやりと様子を浮かび上がらせた。
 畳の上にはたたまれた布団。

「……鴉?」

 もう起きているのだろうか。いや、起きているのなら、明かりが付いていてもおかしくない。それに、中に人がいる気配も感じられない。
 彩名は扉を開き、中を確認した。

「いない……?」

 部屋の中は人がいた気配がまったくなく、ヒンヤリと冷たかった。
 もしかして、鴉は東青寺ここ から出て行った……?
 もしもそれが事実なら、なんと喜ばしいことなんだろう!
 彩名はそんなことを思いながら扉を閉め、庫裏まで弾む足取りで向かった。……までは良かったのだ。

「よ、遅かったな」

 彩名が庫裏へと足を踏み入れた途端、当たり前のように秀道の横に座り、ご飯茶碗を手に握ったままの鴉が声を掛けてきた。

「ちょ……!」

 彩名が食卓に用意していたおかずはすでに半分以上がなくなっていて、身体がわなないた。

「ああ、彩名。おはよう。食べようか」

 ようやく戻ってきた彩名に対して、秀道はそう声を掛けてきた。彩名は秀道を見た時、自分のこめかみがぴくぴくとしているのに気がついた。

「や……た、食べようかって! おかず、もう半分もないじゃない!」
「わしも止めたんだが、鴉が死にそうなくらいお腹が空いたというもんで」

 のんびりとした秀道の返しに、彩名は握りしめた拳が震えた。

「なっ、なにが死にそうですかっ! そもそも! ご飯を食べなくったって問題ないヤツが、死にそうなくらいお腹が空くはずないでしょう!」
「まあ、いいじゃないか。彩名の作った物を喜んで食べてくれるんだから」
「おじーちゃん! そういう問題じゃあ……!」
「お、彩名。ご飯、お代わり!」
「あんたねっ! ただ飯食いのくせにっ!」
「……悪かったな。自分でよそうよ」

 鴉はぬっと立ち上がり、炊飯器へと向かっている。それを見て、彩名は叫んだ。

「鴉の、馬鹿ー!」

 彩名は手元にあった布巾を掴むと、振り向いた鴉の顔に投げつけ、庫裏を飛び出した。

「え……、あ、おいっ! 朝ごはん食べていかないと、腹、減るぞ?」

 鴉のずれた呼び止める声に、秀道は苦笑を浮かべた。

     § § § § §

 彩名は部屋に戻ると鞄を掴み、眉間にしわを寄せた。昨日、学校から帰ってきたとき、いつもの癖で庫裏に靴を脱いでいたことを思い出したのだ。先ほど飛び出してきて気まずかったが、戻るしかなかった。
 足音荒く廊下を歩き、肩を怒らせて庫裏へと入り、無言で弁当を掴むと「行ってきます」も言わず、彩名は飛び出した。

「……なんであいつ、あんなに怒ってるんだ?」

 彩名がなにに対して怒っているのかさっぱり分からない鴉は、マイペースに朝食を食べていた。

「それはおぬしが一番よく知っているはずだ」

 秀道はそれだけ言うと、手を合わせていただきますと呟き、黙々と箸をすすめ始めた。

「よく知ってるって言うけどよぉ」

 鴉は彩名が怒っている原因がまったく分からず、首を傾げるだけだ。
 鴉は食べる手を止めて少し考えてみたのだが、やはり分からず。

「……ま、いいか」

 それよりも、目の前の美味しいご飯を食べてしまおう。
 鴉は結局、色気より食い気を選択したようだった。





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