『チョコレートケーキ、できました?』


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《三十三話》あま~いクッキー



 圭季は顔全体を覆っていた手を額に当て、薄く口を開いてすぅっと息を吸った。
 どこからどう見ても大丈夫そうに見えません!
 あたしは棚からグラスを取り出し、水を注いでから圭季に差し出した。

「あの……水を」

 なんと声を掛ければいいのか分からず、それだけしか言うことが出来なかった。
 圭季は顔に当てていた手を外し、グラスを受け取るとゆるゆると顔を上げ、力ない笑みを浮かべてあたしを見た。
 はーっと大きく息を吸い出すと、水を一気に呷った。それで少しは顔色が戻ってきたみたいで安心した。

「……カッコ悪いよな、おれ」
「えっと……」

 そんなこと思いもしなかったので返答に困ってしまう。

「那津から聞いたかもしれないけど、製菓会社の跡取りのくせに、お菓子をまったく受け付けないんだ」
「でも……!」
「食べていたっていいたいんだろう?」
「はい」
「チョコが作ったものなら、という条件付きで大丈夫なんだ」

 那津に聞いていたとはいえ、本人の口から改めて言われるとどういう表情をすればいいのかまったく分からない。

「だけど、これでも少しはマシになったんだぜ?」

 圭季は努めて明るい声でそう言っているけど、だからなのか、余計になんと言えばいいのかますます分からなくなる。
 あたしは足下をじっと見つめ、一つの決断を下した。
 圭季を支えてほしいと父が言っていたけど、このことも含んでなのだろう。
 それにあたしでも力になれるのなら喜んで協力したい。

「……それじゃあ」

 あたしは出来るだけ笑みを浮かべて、顔を上げた。
 悲痛な表情はあたしには似合わないのだ!

「今日は、あたしが喜んで開けさせていただきますっ!」

 にこにこ、というよりはどちらかというとにやにやだったかもしれない。

「次は、圭季が開けてね?」

 あたしの宣言とともに、なぜか圭季は素早くオーブンから離れていった。
 ……うん、なんだろう。
 この中には実はゲテモノでも詰まっているのだろうか。
 開けなければ中になにが入っているのか分からないのは確かだけど、クッキーを焼いているはずなのにそれ以外の物が出てきたら、あたしか圭季が魔法使いってことになる。それとも錬金術師の方がより現代っぽいかしら?
 ……なんて馬鹿なことを考えてる場合ではなくて。

「それでは、開けますっ!」

 宣言するなり、思いっきりオーブンを開け放った。
 途端。
 クッキーのいい匂いがふわんと漂ってきた。焦げている様子もなさそうだ。
 あたしはわくわくとミトンをはめると天板を引っ張り出し、コンロの上へ置いた。

「おおお、いい感じに焼けてますっ!」

 形はさすがという感じでそろっているし、生焼け部分もなさそうだ。本当にお菓子が苦手なんだろうかって疑いたくなるくらい。
 だけどさきほどの圭季の様子は偽っている様子もなかったから……。
 強制的にするのは余計に嫌いになるだろうから、今日はこれくらいでいいのかも。
 あたしは用意しておいたお皿にクッキーを次々に入れ、流し台にそっと置いた。
 それからクッキーを背中に隠すようにして、圭季に顔を向けた。

「……食べますか?」

 そっと窺うと、圭季は眉間にふかーい皺を寄せ、かなり悩んでいた。

「……匂いだけでお腹いっぱいだから、今日はいいや」

 お菓子作りのなにが楽しいって、出来上がりを一番に食べられること。お行儀が悪いのは分かり切ってるけど、まだ鉄板からお皿に移していなかったクッキーをつまんで、ぽいっと口に入れた。
 これは味見なのよっ!

「……美味しいっ!」

 今日のレシピはさくっとしたクッキーが焼ければいいやくらいのつもりでいたし、あたしも同じレシピで作ったことはある。だけどどうしてだろう。同じ分量で同じ行程で作ったはずなのにとても美味しい。
 正直、悔しい。
 だけど悔しいって気持ち以上に、このまま圭季がお菓子嫌いを克服しないのはとてももったいないと思ったのだ。

「圭季はクッキー、食べない?」

 食べないというのなら、残りのクッキーはあたしが独り占めするのだ。
 その確認のつもりであたしは聞いたんだけど。

「!」

 かなり離れた場所に圭季はいたはずなのに、気が付いたら横に来ていてじっとあたしを見つめていた。

「そんなに美味しいのか?」
「え……あ、うん」

 さっきまでかなり青い顔をしていたのに、今は妙なくらいぎらぎらした瞳であたしを見つめている。
 こっ、怖いのですがっ!
 なんだろう、肉食動物に狙われている気分?
 もちろん、そんな経験はないけど。

「け、い……?」

 圭季の名前を呼ぶよりも早く、圭季はあたしの顎を掴むと唇を重ねてきた。しかもそれだけではなくてっ!
 口の中になにかぬるっとしたものがっ!
 ぬるっとしたものがあっ!
 あたしの口の中になにかとてつもなく暴れん坊のぬるっとしたものが縦横無尽に駆け回った。
 それはかなりの厚みを持っていて、とても熱くて、今まで食べたどのお菓子よりも甘かった。
 あたしはどうすればいいのか分からなくて、されるがままになっていた。
 舌を絡め取られ、巻き込まれたところでようやくあたしの口の中に圭季の舌が入っていることが分かった。
 ……って、ちょ、ちょっと待って!
 こ、これっていわゆるそのぉ……。
 う、うん。
 『大人のキス』ってヤツですよね?
 そう認識した途端、ぽーんっと一気に頭が沸騰した。
 しかもどうやって息をすればいいのかも分からず、苦しくなってきた。
 頭に血が上ってきた。
 さらに心臓が百メートル走を全力疾走したときよりもどきどきしている。
 あたし、このままだと死んじゃうっ!
 頭がぼんやりしてきた。
 どうしよう、あたし、このまま死んじゃうのかな。
 ……意識がぼんやりしてきた頃、圭季が離れてくれた。
 急に肺に空気が入り込んできて、げふげふとむせこんでしまった。

「……うん、確かに美味しいな」

 すっかり『大人のキス』で忘れていたけどっ!

「どっ、なっ」
「……ドーナツがどうかしたか? ああ、次はドーナツを作ってみるのもいいかもしれないな。甘くないブランチに食べられるようなヤツ」

 それは素敵かも。
 ……じゃなくて!

「いっ、今のはっ!」
「味見」

 ……はいっ?

「どこがどう……」

 さっぱり意味が分かりませんよ、今のが味見だなんて!

「ほら」

 圭季はあんなに怖がっていたのにクッキーを摘まむとあたしの鼻先に持ってきた。条件反射的に口を開けると、圭季はぽんっとあたしの口の中にクッキーを入れてくれた。
 舌の上に落ちてきた瞬間に口を閉じようとしたらですね!

「ふぐぅ」

 またしても口を塞がれ、舌の上のクッキーを包み込むように舌を押しつけられた。
 唾液を吸いとり、柔らかくなっていくクッキー。
 舌と舌の間でほろほろとほどけていく様子がよく分かる。
 圭季は舌をすり合わせるようにして動かし、あたしの口の中でクッキーを味わっているようだった。

「んん……っ」

 息が苦しいからどうにかして空気を取り入れようとして鼻で息をしようとしたら、妙な音……というか空気が予想外に洩れ、恥ずかしさに頬が熱くなってきた。
 しかも口の中ではクッキーが溶けてきて、どろどろになってきてあふれ出してきそうになってきて、どうすればいいのか分からずに焦ってしまう。

「んっ」

 しかも圭季の手が腰に回ってきて、引き寄せられた。
 なんだか分からないけど、もぞもぞとした感覚。
 あたしはそのよく分からない感覚が怖くて、圭季に抱きついた。
【つづく】






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