《三十二話》レッツ! クッキング!
ある材料でクッキーを作るとなると、とあたしはキッチンをがさごそと漁ってみた。
出てきたのはチョコチップ。
サラダ油もあるから……。
「簡単に出来るドロップクッキーを作りましょうか」
これならば混ぜてスプーンですくって鉄板に乗せて焼くだけ。
試しに作るにはちょうどいいのではないかな。
「じゃあ早速。小麦粉をはかってください」
「……? はかる?」
……へっ?
ちょっと待って?
「あのぉ、圭季さま。つかぬことをお伺いしますが」
嫌な予感しかしない。
「クッキーを作るとき、どうしてました?」
「どうって言われても。書いてある通りに」
「スケール使ってはかりました?」
あたしの質問に圭季の視線が泳いだ。
……失敗の原因はそこか。
「お菓子作りは料理と違って、正しい分量で作らないといけないんです」
圭季相手にレクチャーするのは変な感じ。しかもあたし、なんだかすごく偉そうだ。
内心では冷や冷やしながらあたしは続ける。
「スケール……いわゆる秤ですね」
といいながら、あたしは引き出しからキッチンスケールを取り出した。
平べったい形のどこにでもあるデジタル式の白いキッチンスケール。一グラム単位でしか測れないけど、お菓子作りにはこれで充分だ。
「これを平らなところに置いて、材料を入れるボウルなどを乗せます」
台が濡れてないことを確認してからあたしはキッチンスケールを置き、さらにボウルを乗せた。
それを見て、圭季はなにか気になったことがあったらしく口を開いた。
「チョコ、電源が入ってないぞ」
うん、いい質問です。
圭季がそう突っ込みしてくれたことがうれしくて、あたしは思わず笑みを浮かべた。
「はい。電源を入れる前に乗せるのが正解なんです」
「……どうしてだ?」
不思議そうに圭季は首を傾げた。
「こういうデジタルのキッチンスケールは、電源を入れたときに風袋……ようするにボウルなどの入れ物ですね、これの重さを測ってゼロに調整してくれるのです」
あたしの説明の仕方が下手だからか、圭季はさらに首を傾げた。
「やってみると分かります。圭季、ここを押して電源を入れてください」
圭季は素直にあたしの指示通りに電源に触れた。
キッチンスケールに電源が入り、数字が現れる部分にゼロが四つ並んだ。
「今、ボウルの重さを量ってるところです」
少ししてから数字はゼロ一つになった。
「これで準備は出来ました」
「…………? ゼロになっているけど?」
「はい。試しにボウルを持ってみてください」
圭季はひょいっとボウルを持ち上げて、お、と声を上げた。
「マイナス表示……?」
「はい、スケールがボウルの重さを引いてくれて、ゼロにしてくれるんですよ。こうすればボウルの重さを自分で計算して引く必要がないですよね」
「なるほどねえ」
圭季はボウルをスケールの上に戻し、ゼロになったのをもう一度、確認していた。
「ここに小麦粉を入れます」
ボウルに小麦粉を入れた後、その前にやらなくてはいけない作業を思い出した。
「……と、その前にですね、余熱をしておかなくてはいけませんでした」
「余熱?」
「レシピ本にも書いてなかったですか、余熱」
「……あったかもしれない」
あの黒こげの正体、見たり……!
「お菓子は基本、オーブンを指定された温度まで上げておいてから焼き始めるんです」
「ほう」
オーブンを百八十度に設定して、余熱、と。
「指定温度まで上がったらアラームが鳴るので、それまでにクッキーの種を準備します」
「なるほど、そうすると時間のロスがないな」
「はい」
バターがないので、今日はサラダ油を使ったレシピにしてみた。卵と砂糖とサラダ油を混ぜ合わせ、量っておいた小麦粉をふるいに掛けながらさっくりと混ぜ合わせていく。さらにチョコチップを投下して種の出来上がりだ。
ここまではあたしが指示をして、圭季に作業をしてもらった。さすがに手慣れていて危なげない。
混ざったところでオーブンシートを敷いた鉄板の上にスプーンで適当な大きさにして落としていく。
ドロップクッキーと名付けられたゆえんだ。
準備が出来たタイミングでアラームが鳴り、鉄板を入れて焼くのをスタートさせた。
「焼けるのを待つ間に片付けをします」
「……簡単だったな」
「そうですね。バターを使うと美味しいですけど、ちょっと行程が増えるし、混ぜる作業が大変ですから」
なんとなく今回の行程はお菓子作りと言うよりは料理するのに近いかもしれない。だから圭季もそれほど抵抗を覚えなかったんじゃないかなと勝手に想像。
「ありがとう、チョコ。少し自信が付いたよ」
そう言って清々しく笑う圭季を見て、あたしはどきりとした。
だってね! 笑顔が! 圭季の笑顔がですね、あたしにとっては凶器ですよ! 眩しいです、笑顔!
だけどその笑顔にはお菓子に対しての苦手意識は少しも感じられなくて、安堵した。
圭季と一緒に後片づけをしていると、キッチンにいい匂いが漂ってきた。少し小腹が空いていたので思わずお腹がぐぅと鳴った。
「…………!」
い……今の、聞こえたっ?
恐る恐る目の端で圭季を確認すると、必死で笑いをかみ殺している姿が目に映った。
「……いい匂いだな」
「はい。つい、お腹が」
あたしの返事に圭季は喉の奥でくくくっと笑った。笑いを提供できて良かった……ということにしておく。
だって、言い訳をさせてもらうけどっ! おやつにありつけると思っていたら物体Xだったのよ? その上、那津の妨害も入ったわけだし。
だけどどうにか形にすることは出来たみたいで良かった。……いえ、まだ焼き上がってないけど。
すでにほとんど片付けは終わっていたので手持ちぶさただ。
「紅茶を入れて、焼き上がりを待ちましょうか」
とあたしが提案するまでもなく、圭季はすでにお茶の用意を始めてくれていた。
うん、さすがです。
だからあたしはカップを出したり、クッキーを入れるお皿を準備したりした。
そうこうしているとアラームが鳴って、クッキーが焼けたことを知らせてくれた。
わくわくしながらオーブンに近寄ると、圭季はひどく難しい表情をしてオーブンの扉をにらみつけていた。
「……圭季?」
あたしが声を掛けると圭季ははっとした表情を浮かべ、弾けたように顔を上げた。
「ああ……」
まるで夢から醒めたかのようだった。
……もしも声を掛けなかったらどうなっていたのだろう。
「それで」
圭季の声にあたしは小首を傾げ、見上げた。
「…………っ!」
圭季は真っ赤な顔をしたかと思うと大きな手を顔に当て横を向いた。耳まで赤くなっている。
「つっ、次はどうすればいい?」
そっぽを向き、顔を手に当てているから圭季の声がくぐもって聞こえる。
どうして突然、真っ赤になって顔を反らせたのか疑問に思いつつあたしは答えた。
「オーブンを開けて、焼き上がりを確認しましょう」
「……分かった」
さっきまで耳まで真っ赤だったのにあっという間に色が引き、心なしか顔色が悪いような。
「……大丈夫?」
もしかして熱でもある?
四月に入ってから朝は早く、帰りは遅い。土日も満足に休めてないし、疲れが出てきたのかしら?
「いや……大丈夫だ」
と返事は返ってきたけど、随分と精彩に欠けていた。
「せっかくなので圭季が開けてください」
あたしのその一言に、圭季の顔色はさらに悪くなった。
【つづく】