『チョコレートケーキ、できました?』


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《十三話》アルバイト先、決定!



 午後の授業も一人で受けて、夕方にはびくびくしながら家路についた。
 今日はあの変な人と遭遇することがなくて助かった。
 家に帰ってお弁当箱を洗い、夕食の準備をする。
 今日はなににしようかなぁと考えながら帰ってきたのでメニューに悩むことはない。
 そうだ。朱里にアルバイトの話をしようと思っていたのに、すっかり忘れていた。後でメールをしておこう。
 夕食を作り、一人で食べる。
 今日も父と圭季、遅いんだろうな。
 そういえば父に圭季を支えるようにって言われたのに、圭季の負担を増やしただけだった。
 あーあ、あたしってほんと、ダメだなぁ。
 一度、落ち込み始めたら際限なく落ちていく。どうにかして浮上しなきゃと思うけど、あがけばあがくほど深みにはまっていく。
 とりあえずお風呂に入ってスッキリしよう!
 夕飯を作りながら湯船を張っていたので、身体を沈めてゆっくりとした。お腹も満たされたし身体も温まったからか、少しだけど浮上できたような気がする。
 朱里にアルバイトが決まりそうだということだけメールしておいた。詳しい話は会った時にしよう。朱里は今日もアルバイト。忙しそうだけど充実しているのを見ると羨ましい。
 朱里に言わせれば将来を約束した人がいる方がずっと羨ましいらしいけど、そうなのかなあ。
 ……一日遅れの卒業式の時、あたしと圭季の心はぴったりと重なったと思ったのに、どこかでずれてしまったのだろうか。
 それとも重なったと思っていた気持ちは、上からは重なって見えても、横から見たらすでにずれていたのかな?
 どちらにしても、あたしと圭季は過ごした時間も会話も圧倒的に足りていない。どこかで時間を作ってもう少し自分の考えを圭季に伝えたい。
 あたしはそんなことを考えながら、眠りについた。

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 朝早くに、あたしの部屋を遠慮がちにノックする音がした。眠たいと思いながらもノックの音に気がついてしまったからもぞもぞと寝ぼけたまま布団から抜け出し、ドアを開けた。

「チョコ、おはよう。まだ寝ているところにごめん」

 スーツを着てすっかり出かける準備が出来た圭季がドアの向こうに立っていた。
 あたしは驚きと緊張で一気に目が覚めた。

「おっ、おはようございます」

 あたしは無防備にパジャマで出てしまったことを後悔して、ドアに隠れるようにして廊下に顔を出した。それを見て圭季は少しだけ苦笑をしていた。

「この間言っていたアルバイトの件」
「あ……」

 圭季が手配するっていっていたのを思い出した。圭季はきちんとやってくれたようだ。

「後出しでいいから、履歴書を書いて、店長に形だけでも提出しておいて」
「……え?」
「『シトラス』って知ってる?」

 シトラスって、朱里と下見に行ったところ……?

「あの、白とオレンジ色のストライプのケーキのお店?」
「そう、そこだよ。さすがお菓子好きのチョコ。知っていたのなら話が早い」

 アルバイトをそこでしたいと思っていたけど……どうして?

「同じ歳の女の子もたくさんアルバイトしているし、店長も気さくな女性だから、男が苦手なチョコでも気楽に働けるんじゃないかな」

 圭季はあたしのことを考えてくれている。それなのに……。
 あたしは圭季に対して思った不信感を恥ずかしく思った。
 圭季はいつだってあたしを一番に考えてくれている。それなのにあたしは。

「場所が分からなかったらいけないと思って地図を用意したけど、要らない?」
「えっ、用意してくれていたのなら、もらいますっ!」

 差し出したあたしの手のひらに、圭季はぎゅっと紙を乗せてきた。

「店長の名前は根元珠美ねもと たまみ。若いけど勤務歴は長くて頼りになる女性だよ。地図の端に名前を書いてあるから」

 圭季はあたしの手を上下で挟み、じっと顔を見つめている。

「それじゃあ、オレは仕事に行ってくる」
「……ありがとう。行ってらっしゃい」

 圭季はあたしのおでこに軽く口づけをして、もう一度ぎゅっと手を握るとスーツを翻して玄関へと向かっていった。あたしはその後ろについていってお見送りをしないといけないんだろうけど、パジャマだし、そっ、それに! 今のおでこにキスをされたのがすっごく恥ずかしくて! 動けないでいた。
 眠かったあたしはそれですっかり目が覚めてしまった。
 今日は一時限目がないからゆっくり出来たのに、二度寝なんてしていられない気分だ。
 あたしは頭を冷やすために、シャワーを浴びることにした。

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 洗濯物もそれほどあるわけでもないし、家にいても仕方がないから、あたしは早めに学校へと向かった。今日は朱里も一時限目がなかったはずだ。彼女は少し早めに出て、カフェテラスでいい男を探すんだって昨日のメールに書いてあったことを思いだした。朱里は王子さま捜しに余念がないようだ。
 だからあたしはカフェテラスに向かおうとした。……のよ。
 ううう、カフェテラスの入口に、あの変な人がいる。あたしは怖くて近寄れない。
 朱里が中にいるのか確認出来ないけど、とりあえずメールをしてみよう。
『カフェテラスの近くにいるんだけど、変な人がいて入れない』
 前に朱里にあの変な人から助けてもらったことがあるし、たぶん覚えてくれていると思う。朱里からすぐに返事が来た。
『変な人って、ヘンタイ椿?』
 その返事に思わずくすりと笑ってしまった。そうだと返すと朱里からカフェテラスを出るから待っていてというメールが来た。
 あたしはそういえば掲示板を確認していなかったと思い出し、朱里にメールした。
 一時限目の授業が行われている時間。人通りは少ないけど、あたしのように授業がないと思われる学生がちらほらと構内に入ってくるのが見える。その人たちは掲示板を確認して、思い思いの場所へと消えていく。
 あたしも今日と直近の日付の授業の情報を確認した。特に休講はないようだ、残念。

「チョコっ」

 朱里の声にあたしは振り返った。

「なぁに、アルバイトが決まりそうなんだって?」

 朱里のうれしそうな声に、あたしは強ばっていた顔が緩むのを感じた。

「あのね、決まったみたいなの」
「ほんとっ? で、どこっ?」

 朱里とともにあたしたちは掲示板から遠ざかり、ベンチに腰を掛けた。

「あのね、この間、下見に行った『シトラス』」
「ほんとっ? チョコすごいじゃん!」
「ううん、圭季のおかげ……かな」

 あたしのその一言に、朱里はそっかあとぽつりとつぶやいた。

「『シトラス』って橘製菓系列なんだよね」
「……え? そうだったの?」

 あたしは驚いて朱里を見た。

「うん、そうだよ。だからチョコにはいいアルバイト場所だと思ったし、圭季さんも反対しないかなって」

 知らなかった……!
 もしかして最初から『シトラス』でアルバイトをしたいって話をしていたら、こじれなかったのかな?
 あたしは本当になにも知らない。世間知らずもいいところだ。
 朱里はあたしが落ち込んでしまったことに気がついたようだ。

「まあこれで圭季さんも心配が少なくなったことだし、いいじゃんチョコ、あそこでアルバイトしてみたかったんでしょ?」
「……うん」

 もしもあたしがあそこが橘製菓系列だって知っていたら……。ううん、今更そんなことを言ったって仕方がない。
 圭季があたしを束縛したがっているのは遅かれ早かれ知ることになっただろうし、むしろ今回の件で早く知ることが出来たんだから良かったんだ。
 そう思わないとさらに気持ちが沈んでしまいそうだった。

「で、いつから行くの?」

 わくわくとした朱里の言葉にあたしはそういえばと思い出した。

「いつからとか言われなかったけど」
「それならさ、この間、メモしてたじゃない? 電話してお礼を述べて、いつ行けばいいのか直接聞いてみたら?」
「え……?」

 そんなこと考えもしなかった。

「圭季さんに頼るのもいいけど、自分で出来るところはやらなきゃね」
「……うん!」

 そうだ。圭季の手をあんまり煩わしたらダメだ。それじゃあアルバイトをしようと思った意味がない。

「朱里、ありがとう!」

 朱里もあたしのことを考えてくれている。それがとってもうれしい。

「どういたしましてっ。チョコ、初めて入ったアルバイト代でケーキでもおごってねっ」
「そうだね」
「おー、チョコったら、太っ腹! 『シトラス』で一番高いケーキを注文しちゃお!」

 朱里の明るい声にあたしは笑った。
 沈みそうになっていたあたしの心はそのおかげで少しだけ浮上した。

【つづく】






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