《十二話》大学生活
家を飛び出したのは土曜日の夕方。楓家から帰宅したのはかなり遅い時間だったから、もしかしたら日付が変わっていたかもしれない。
心の余裕がないあたしはなにも考えたくなくて、服も着替えずそのまま布団に潜り込んだ。
一刻も早く夢の世界に逃避したかったのに、目を閉じても神経が高ぶりすぎてなかなか眠りにつけなかった。考えたくないのにさっきのやりとりを思い出してしまう。
アルバイトは渋々といった感じで了承してくれたけど、結局は自分の目が届く範囲だ。
圭季はどうしてあたしを束縛したがるのだろうか。それが嫌で嫌で仕方がない。
鬱々と考えながら寝たせいか、夢見が悪くて何度も目が覚めてしまった。夢の内容は覚えてないけれど、なんとも嫌な感じだけが感覚として残っている。
そうして日が昇り始めた頃にようやく眠ることが出来て、目が覚めたのは夜だった。
疲れがたまっていたのもあるけど、これはちょっと寝過ぎじゃない?
髪はぼさぼさになっていたので手櫛で直し、服もよれているのを引っ張って直し、そっと部屋の外を見る。
廊下にもキッチンにも明かりがついている様子はない。
反対側に視線を向けると、隣の圭季の部屋からは明かりが洩れていない。日曜日なのに仕事なのだろうか。
いないことに妙な安堵を覚え、あたしはそろりとキッチンへと向かった。
ずっと寝ていて喉も渇いていたし、お腹も空いていた。
冷蔵庫の中には昨日のカレーの残り。コンロに掛けて、冷凍のご飯を温めて一人で食べた。
父はどうしているのだろうかと思ってそっと部屋へ行ったらいびきが聞こえてきた。ずっと寝ていたか、今寝付いたばかりかの判断がつかなくて、そっとしておくことにした。
キッチンを片付けて、脱衣所に行く。洗濯物は父と圭季が着ていたものが籠に入っていた。あたしは脱いだ服を籠に入れて、お風呂に入った。
すっきりさっぱりして、少しだけ前向きに考えられるようになった気がする。
明日からまた学校だ。準備をして、あたしは布団に潜り込んだ。
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目覚まし時計の音に、あたしは驚いて目が覚めた。
昨日、あんなに寝たのに、またもやあっさりと眠ったようだ。自分でも驚きだ。
着替えてぼさぼさ頭を直してキッチンへ。
いつもと変わらぬ朝。
冷蔵庫を開けると圭季が準備してくれている朝食が入っていた。ラップにメモが貼り付けてあった。
『チョコ、おはよう。
今日からお弁当を作ったから持っていって。
圭季』
ふと見ると、テーブルの上にかわいらしい花柄模様の袋がちょこんと置かれていた。これがもしかしてお弁当?
なんだかよく分からないけど涙があふれて来た。
あたしはにじみ出てくる涙を拭いながら朝食を温め、もそもそと食べた。
食べ終わったお皿を洗い、圭季が作ってくれたお弁当を持って大学へ。
今日は朝から夕方までみっちりと授業がある。掲示板を見て休講情報が出ていないことを確認して、一時限目の授業のある教室へ。
大学は高校と違ってクラス単位での授業ではないけど、一般教養は全員が取らないといけないので必然的に同じ学部の人間と一緒になる。それ以外の専門科目は設定された単位数さえ超してしまえば各自が好きに取っていい。一年と二年の間はほとんどが座学だ。それがちょっとつまらない。
今日の一時限目は一般教養。ようするに英語だとか国語だとかそういったもの。英語は必修。大学でまで英語をやるとは思わなかった。
それにしてもこの先生、英語の発音が悪いなぁ。だからってあたしの発音がいいかというと……聞かないで。
あんなに大学受験で必死になって覚えたのに、終わった途端に脳みそからとろけちゃってるあたりどうかと思うわ、あたしの脳みそ。
先生は淡々とテキストを読み、重要そうな表現のみ黒板に書き、後は適当に訳してる。周りを見るとケータイをいじっている人もいれば堂々と机に突っ伏して寝ている人もいる。出欠確認は毎回すると言っていたけどこれでいいのだろうか。
なんて思っているうちに九十分の授業は終わってしまった。
次は……と。
うわっ! ここから遠いじゃん、次の教室!
あたしは慌てて片付けてかばんを抱えて走る。同じ方向に向かっている人たちもいるところを見るときっと同じ学部の人なのだろう。
ぜえはあと肩で息を吐きながら教室に入る。
……仕方がないんだろうけど、もう少し考えて時間割を作ってほしいものだわ。
次も座学だけど、栄養学について。選択制だけどほぼ必修と言っていい内容なので、学部の人たち全員が教室にみっしりと詰まっている。
ぐるりと見回すと七割くらいが女子。三割の男子は肩身が狭そうに端に固まっている。
朱里が言っていたけど、確かに見た目はいい男が多いような気がする。
授業が始まるとあたしは授業に夢中になった。この教授、話が面白い。
なんでも栄養学についての本もたくさん出しているという。指定されたテキストはこの人が書いた物だ。中身をちょっとだけ読んだけどなかなか面白かった。
後期もこの教授の授業があったら取ろうとあたしは心に決めた。
授業終了のチャイムが鳴り、あたしは名残惜しく教室を出た。何人かの学生は教授に群がり楽しそうに会話をしていた。話も面白いし、見た目もなかなかいい教授なのよね。人気があるのも分かるわ。
あたしはかばんの中から携帯電話を取りだした。メールが何件か入っていて、そのうちの一つはつい先ほど朱里から来たメールだった。
『カフェテラスにいるからチョコもおいでよ』
あたしはすぐに行くとメールを返してカフェテラスへと向かった。
お昼時ということもあり、カフェテラスは学生でごった返していた。おろおろとしていると朱里があたしに気がついてくれて手を振ってくれた。ほっとして近寄ると、見知らぬ人が二人ほどいた。
「やっほー、チョコ」
「あ……こ、こんに、ちは」
考えてみれば、社交的な朱里が一人なわけがなく。あたしはびくびくとしながら挨拶をした。
「注文は?」
「うん……今日はお弁当」
あたしは椅子にかばんを置いて、サーバーから冷えた水をもらってきた。かばんからお弁当を取りだし開く。
「この二人は同じ学部の人なの」
あたしは目だけでお辞儀をしてうつむいた。
どこの学部で名前も名乗らなきゃと思うのに、口は貝になったかのように開いてくれない。
こんなんじゃダメなのにって思えば思うほど、あたしのテンションは段々と下がっていく。
朱里の友だちは名乗ってくれたけど、あたしは自己紹介が出来なかった。
あーあ。朱里はきっと呆れてる。あたしが引っ込み思案だからそれを少しでも直そうとしてくれているのが分かっていたのに……。
あたしを除いた三人でわいわいと話をして盛り上がっていた。
あたしは圭季が作ってくれたお弁当を泣きそうな気持ちで食べていた。【つづく】