《十話》あたしの想い
あたしは引っかかりながらだけど、夕飯の時の圭季とのやり取りを話した。
話し終え、室内に沈黙が落ちる。ずっと憤慨していたような梨奈は、いらだちを隠すことなく口を開いた。
「はー。あの人、何様なのっ?」
相変わらずそういうところはきっついなぁと思わず苦笑してしまう。
「『女は黙って家を守ればいい』って、どんだけ旧時代の遺物な訳ッ?」
梨奈の怒りはあたしには痛いほどよく分かる。あたしも圭季に対してこれだけしっかりと怒ることが出来たら良かったのかな……?
あれだけ好きだったのに、なんだか今回の出来事で熱が急激に冷めてきたって感じがしないでもない。
あたしは圭季のどこを見ていたんだろう。
あたしは本当に圭季のことが好きなんだろうか。
近くにいてあたしのことを見ていてくれるから、好きって錯覚しているのではないだろうか。
そんな疑問が胸の奥からむくむくとわき上がってきて、あたしはそのもやっとした気持ちをどうすればいいのか分からず、ぎゅっと手のひらを握りしめた。
那津は無言であたしの空になったカップにぬるくなったルイボスティを入れてくれた。ありがたくカップを手に取り一気に飲み干すと、那津はまた入れてくれた。
「圭季の気持ちも、オレは分からないでもないかな」
「はあ? なに言ってんの」
梨奈は眉をキッと上げ、那津を睨み付けている。
かわいい子はこういう表情をしてもかわいいんだなぁ……なんて感想しか今のあたしには浮かばなかった。
「チョコちゃんは梨奈と違って、庇護欲をそそられるというか……」
「ちょっと那津! どーゆーことよっ!」
梨奈はさらに怖い顔をして那津に迫っている。だけど端から見るとじゃれついているようにしか見えない。
というか、ちょっと待って。なにその、庇護欲ってっ!
「那津っ!」
あたしも思わず梨奈に加勢してしまう。
「なに? あたしがドジでおっちょこちょいだから?」
自分で言っておいてなんだけど、落ち込んでいる今、かなりダメージが来る。
うん、間違いない。あたしはドジでおっちょこちょいだ。一人ではなんにも出来なくて、周りの人に迷惑を掛けて……。
「はーい、ストップ。チョコちゃん、そこで落ち込まない」
勢い付いて梨奈と一緒に怒ったけど、結局自分の言葉に傷ついて思わずうつむいてしまった。それに那津はすぐに気がついた。
「はー、そういうところだよ」
那津は困ったように額に手を当て、ため息を思いっきり吐く。
「梨奈みたいに『なんでよっ! 悪いのはあんたでしょ!』くらい責任転嫁できるのなら」
「って、那津っ! なにそれ、失礼ね! ワタシがいつ責任転嫁」
梨奈の言葉の途中で、梨奈の口を大きな手のひらで覆った。
「むごっ、ぐがっ」
「いいから」
那津はそのまま梨奈の頭を抱え込み、胸にぎゅっと梨奈を抱きしめた。梨奈は苦しいのか、那津の腕の中でじたばたと暴れているが那津は涼しい顔であたしに視線を向けてくる。
「オレとしては、おっちょこちょいのチョコちゃんのこと好きだけど」
「むぐーっ!」
梨奈が暴れている。那津は梨奈の頭を抱え直し、さらに続けた。
「高校と大学は少し離れすぎてるし、いつまでもオレがチョコちゃんを守っていたんじゃあ意味がないと思うんだ。梨奈も嫉妬するだろうし」
那津は少し力を緩めたのか、那津の肩に手を掛けて顔を上げた。
「あっ、あんたなんかに嫉妬なんて、してやんないんだからっ!」
といいつつ、梨奈の顔は真っ赤だ。おお、これは見事なツンデレ。……なんてのんきなことは思っていられなくて。
「オレは圭季との付き合いが長いから、いいところも悪いところも知ってる。圭季なら言いそうなセリフだなって思って聞いてた」
梨奈は那津から離れるとルイボスティの入ったポットを手に取り、自らマグカップに注いでいた。那津はそれを横目で見ながらさらに続ける。
「こういったらなんだけど、圭季は両親がそろっている。オレたちと違って片親じゃないから、そういう苦労は知らないんだと思う」
言われてみればそうだ。
「それに一年、一緒に暮らしたと言っても、圧倒的にチョコちゃんと圭季は会話が少なかったと思うんだ。お互いを知る時間が少なかった。だからこれからお互いを知っていくいい機会だと思うよ」
那津の言うことはもっともだ。あたしと圭季は側にいたということに安心して、そこで満足してしまっていた。これから先、結婚をして人生をともに歩んで行こうとしているのなら、それではいけないのだ。
……と考えて、あたしは恥ずかしくなって真っ赤になってしまった。
「あ、チョコちゃんが妄想してる」
「やらしいなぁ」
「やっ、違うって!」
と否定しても説得力がなさ過ぎる。
「そこで、だ。チョコちゃんはどうしたい?」
どうしたい……か。
改めてそう聞かれて、あたしは途方に暮れた。
火照った頬に手をあてて考える。
大学生になったんだから、父に依存しっぱなしなこの状況はさすがに心苦しい。高校生の頃はアルバイトと言っても限られていたし、不器用なあたしがアルバイトに家のことに学校にと出来るとは思えなかった。だから部活動もしなかった。
だけど圭季と知り合って、それだけではダメだって気がつかされた。
「……家にこもって、圭季を待つのは辛い」
最初に思ったのは、この感情。今までだれかを待ち続けるってことをしてこなかったから、それはとても辛いのだ。
圭季と知り合う前、父が仕事から帰ってくるのを家で待っていたけど、仕事で帰りが遅くなることもあったし、あたしの中ではそれほど父が帰ってくるのを心待ちにしているって感じでもなかった。いなければそれはそれでいいやというのが正しい心情だ。
だけど圭季と一緒に暮らすようになって、あたしの感情は一変した。
圭季と離れるのはとても切ない気持ちにさせられたし、帰ってこないのを待つのも苦しい。ただ待つことがこんなに辛いなんて、あたしは知らなかった。
「それに、せっかく大学生になったんだから、少し外の世界を覗いてみたいって思ったの」
あたしのその言葉に那津は目を細めた。
「チョコちゃん、成長したね」
那津は年下のくせにそんな偉そうなことを言って、あたしの頭をさっと撫でた。
「那津っ!」
梨奈の抗議の声に那津はまた梨奈の頭を抱き寄せ、荒々しく頭をかき回した。
「馬鹿那津っ! なにすんのよっ!」
「なにって、愛情表現?」
……もう、なにこの馬鹿っぷる。落ち込んでいるあたしの前でいちゃいちゃするんじゃないっ!
梨奈は必死で那津の腕から逃れ、ぐちゃぐちゃにされた髪を整えた。
「ったく、さっきから黙って聞いていれば那津。ずいぶんと偉そうよね」
「オレ、偉いし?」
「きぃぃっ! 学年一番の成績の人にそう言われると、反論できないいいっ!」
梨奈に激しく同意だわ。
那津はさらに偉そうに腕を組んで、あたしに質問を投げかけた。
「家で待っているのが辛いってのなら、どうすればいいと思う?」
「あたし……アルバイトをしようかと思うの」
「アルバイトか。いいんじゃない? オレは賛成だけどね」
那津はあっさりと同意してくれた。
「あたし……大学生になって、自分一人ではなんにも出来ないんだってことを痛感したの」
那津はなにも言わずうなずいてくれた。梨奈は無言でお茶を飲んでいる。
「今までなにも出来ない『コドモ』って立場に甘えていた。守ってもらうのが当たり前だって思っていた」
喉の渇きを覚えてお茶を口にして続ける。
「だけど『コドモ』のままでいられないってことに気がついた。いつまでも甘えていられない。それに圭季は将来、橘製菓を継ぐんでしょう? そうなると色々と大変だと思うの」
圭季のお母さまである綾子さんを見ていると、このままの自分ではダメだって痛いほど分かった。綾子さんも圭季もとても優しくしてくれるけど、それに甘えていてはいけない。
「あたし、少しでも圭季の支えになりたい。守られているだけじゃ圭季の苦労は分からないから」
あたしの決意に那津はとろけそうな笑みを浮かべた。
「と、チョコちゃんは言ってるよ、圭季?」
……えっ?
【つづく】