『チョコレートケーキ、できました?』


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《九話》話してほしい



 楓家に招き入れられたあたしは、中に入って呆然とした。
 想像以上に中は広く、しかもお手伝いさんらしき人がいたのだ。那津って実はお坊ちゃまだったの?

「……那津?」

 思わずうわずった声で名前を呼ぶと、不思議そうな表情を返された。

「那津の家って、圭季の家と同じくらい大きいのね」

 なにか他に言おうと思ったのに、口から出た言葉はそれだった。

「不必要なくらいね」

 那津らしくない皮肉な口調に言ったらいけないことを口にしちゃったかな……なんて落ち込む結果になってしまった。あたしはそれっきりうつむいてじっと床に敷き詰められたえんじ色のカーペットに視線を落としていた。

「ワタシ、夕食食べてくるね。遅くなると太るから!」

 それだけ言うと、梨奈はまるでこの嫌な空気から逃げるように廊下を走って去ってしまった。
 あたしは那津と二人っきりにされてしまった。
 成り行きでここに来たけど、那津と梨奈に迷惑だったよね。

「あの……那津。あたし、やっぱり、帰る」

 家に帰ると圭季がいると思ったら気が重くなったけど、でも、だからってここにいていいわけがない。それにあたしは身一つで家を飛び出してきてしまったのだ。いくらなんでも圭季と父が心配をしているはずだ。

「ふーん、帰るんだ」

 那津は意地悪な表情を浮かべ、あたしを見下ろしている。
 那津、身長が伸びたなとは思ってたけど……こんなに背が高かった?

「きっとチョコちゃんのことだから、オレたちに迷惑がかかるって思ってるんだろ?」

 ずばりと言われ、あたしはうつむいた。

「はー」

 那津は大きなため息をわざとらしく吐き、あたしに視線を定めた。

「あのさ、前に言ったよね? 覚えてる?」

 あたしは那津に言われた言葉を思い出して、うなずいた。

「言ってくれない方が、迷惑なんだよ?」

 はっきりと言われると、やっぱり痛い。

「オレの部屋に……と言いたいところだけど、圭季と梨奈にあらぬ疑いを掛けられるのもイヤだから、応接室に行こう」

 そんなことを言われると、意識しないようにしていたのにどきどきしてしまう。
 あーもう、やだやだ! なんなの、那津のこの妙なフェロモンはっ!
 圭季もオトナの色香ってやつを漂わせてるけど、那津はまたそれとは違うものを醸し出している。なんというか、色っぽい?
 あたしは妄想の世界に突入してしまいそうになったけど、那津のここだよという声で我に返った。
 ふぅ、危ない、危ない。

「梨奈もそろそろ食べ終わった頃だと思うから呼んでくる」

 そういうと那津は応接室からでていった。一人にされると部屋の広さがますます気になる。
 落ち着かないので部屋の中を観察してみることにした。
 天井を見ると、煌びやかなシャンデリアの付いた明かり。絨毯は足首が隠れてしまうのではないかってくらいふわふわだ。真ん中に置かれたソファセットは見るからに高そうだし、なんだかすごいという感想しかない。それに暖炉まであるのには驚いた。
 煉瓦で組まれた暖炉の上には、梨奈がもらったらしいトロフィーが所狭しと並べられている。壁もよく見るとメダルがたくさんある。
 出入口側の壁には立派な額縁に入れられた写真が飾られていた。

「あ、これ」

 梨奈が両親と並んで写っている写真。これ、梨奈が中学を卒業した時のヤツだ。
 そういえばあたし、卒業式当日に熱を出したんだよなぁ。
 写真を見て、なんだか無性に悲しくなってきた。
 圭季と二人っきりの卒業式をしたけど、やっぱりみんなと一緒にやりたかった。
 思わず大きなため息がこぼれる。

「チョコちゃん、お待たせ」

 那津はワゴンを押して梨奈とともに部屋に入ってきた。

「あ、その写真」

 あたしがじっと見ていたのを知り、梨奈は少し恥ずかしそうな顔をしていた。

「そういえばワタシたち三人って片親なんだよね」

 言われて初めて気がついた。

「そうだね」

 那津はあたしと梨奈にソファに座るようにすすめてきた。そして那津は持ってきたワゴンの上に乗っているティーセットを準備し始めた。

「ねえ、チョコちゃん」

 梨奈は身を乗り出して、あたしに顔を近づけてきた。大きな瞳にじっと見つめられて、妙にドキドキしてきた。

「なにがあったの?」

 大きな瞳はすっと細められ、まるであたしの心の中を探ろうとしている視線に思わず目をそらしたくなる。だけど目の前の梨奈はそれを許してくれそうにない。
 あたしは油断したらまた涙がこぼれてしまいそうな瞳をしっかりと開いて、梨奈をじっと見た。
 室内は那津が動いている音しかしない。食器が触れ合う硬質な音が耳朶を打つ。

「梨奈、とりあえずお茶を飲んでからにしない?」

 いつの間にかソファセットの横に那津が立っていた。洗練された流れるしぐさであたしと梨奈の前にソーサーとカップをセットすると、優雅な動作でポットからお茶を注いでくれた。あたしの鼻腔に柔らかな匂いがしてきた。それはどうやらミルクティのようだ。

「少し甘めにしてあるから、これを飲んで落ち着いて」

 どうぞ、と那津がカップに向かって手のひらを差し出してきたので、あたしは遠慮することなくカップを取り口に運んだ。リムジンの中で散々泣いたから、水分が抜けてしまって喉がからからだったのだ。
 紅茶はちょうどいい温度になっていて、口に含むとすっと身体に染みわたる。紅茶もミルクティにするために少しわざと渋く淹れてあるようだけど、砂糖とミルクと混ざり合っていい感じにアクセントになっている。

「チョコちゃんが焼いたクッキーほどではないけど、梨奈の作ったクッキーもどうぞ」

 かわいい小さな小皿にクッキーが三枚ほど乗せられて、ソーサーの横に置いてくれた。あたしはありがたくそれをつまんで口に入れた。
 ほろりとクッキーが口の中でほどけて、ほっこりと心が温まる。

「梨奈、腕を上げたわね」
「えへへ、チョコちゃんにそう言ってもらえると嬉しい。なんたってワタシの師匠だもんね」

 なんだかそういわれると、すごく照れ臭い。

「チョコちゃん、お代わりいる?」

 あたしがミルクティを飲み干したのを見て、那津が声を掛けてくれた。

「あ、お願いします」

 すると那津はカップとソーサーをワゴンに下げると、別のセットを一客、取り出した。それをあたしの前にセットして、さっきとは別のポットからカップに注いでくれた。紅茶とは違う匂いのお茶に、あたしは首をかしげて那津を見た。

「これはルイボスティだよ。このまま飲んでもいいし、砂糖とミルクを入れて飲んでも美味しいよ」

 湯気の立ち上るカップに手を伸ばし、口元に運ぶ。初めて嗅ぐ匂い。あたしが知っているどのお茶とも違う。
 ふうふうと冷まして、恐る恐る口に運ぶ。
 味も初めてだ。
 あたしは思わず顔をしかめた。
 決してまずいわけではないんだけど、どうにもなじみがなくて戸惑ってしまった。

「あはは、予想通りの反応だ」

 那津はあたしを見て、笑っている。単にあたしをからかいたくてこのお茶をチョイスしたのだろうか。

「那津、ワタシもほしい」

 梨奈もミルクティを飲み終わったらしく、那津におかわりを催促している。那津はマグカップを取り出して梨奈の前に置いて、ルイボスティを注いでいた。

「ワタシも最初に飲んだ時、同じような反応をしたなあ」

 梨奈は面白そうに笑いながら、あたしと同じように冷ましている。
 あたしはクッキーを口に入れて咀嚼して、もう一度ルイボスティを口に含んだ。
 やっぱり慣れない味と匂いだけど、そんなに悪くないかもしれない。
 那津は梨奈と色違いのマグカップにルイボスティを入れて、梨奈の横に座った。

「チョコちゃん、話を聞こうか」

 あたしはルイボスティをカップの半分ほど飲み干してテーブルに置き、ひざの上にこぶしを乗せた。

【つづく】






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