『チョコレートケーキ、できました?』


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《四話》父との話



 あたしと朱里は今、とあるお店の前に立っていた。

「ここよ、ここ!」

 看板に『シトラス』と書かれたケーキと飲み物をイートインと持ち帰りもできるケーキ店。

「昨日、アルバイト前にここを通った時に募集ポスターが貼られていて、お菓子が好きなチョコにぴったりだなと思ったんだけど、どう?」

 白とオレンジ色のさわやかな色使いのストライプが目にまぶしい。窓越しに見える店員さんはオレンジのワンピースに白いフリルのエプロンをつけている。かわいい制服だ。

「チョコ、アルバイトしたいなって言ってたじゃない?」

 入学式の日に確かに言った。

「時給もそこそこいいし、面白そうだよ?」

 朱里は募集ポスターを指さし、あたしに説明してくれる。

「制服貸与、曜日と時間は応相談」

 あたしは慌ててスケジュール帳を取り出してメモをした。

「さっきココア飲んじゃったけど、入ってみようか」
「え……」

 戸惑っているあたしを引っ張り、朱里はお店へ入っていく。

「いらっしゃいませ」

 明るい声に出迎えられたあたしたち。

「店内でお召し上がりですか?」
「はい」

 朱里が受け答えをしてくれている。

「本日のケーキはこちらになります」

 店員に指し示されたショーケースの中には、つやつやと輝く宝石のようなケーキが所狭しと並べられていた。

「うわぁ」

 自分でケーキを作るから買うことは滅多にないんだけど、こんなにたくさんのケーキが並んでいたらテンションが上がってくる。

「どれがいいかなっ」

 朱里のはしゃぐ声にあたしまで楽しくなってくる。
 スタンダードなイチゴのショートケーキに、フルーツがたっぷり乗ったタルト。生クリームがたっぷりなこっちのケーキもいいなあ。あ、チョコレートケーキも美味しそう! モンブランも自分が作るとなったら大変だから、これもいいなあ。
 どれもこれも美味しそうで目移りしてしまう。出来たら一口ずつ味見したいなぁ。

「わたしはこれっ、チョコはどうする?」
「あたしは……」

 右に左にと視線を向けてようやく決定した商品を店員さんに伝えてお会計を済ませ、あたしたちはイートインコーナーの一番奥へ。
 少しして店員さんがワゴンに乗せて品物を運んできた。白いクロスのかかったテーブルに白い陶器に乗ったケーキとカップが置かれた。なんだかわくわくしてきた。

「ご注文のお品物は以上でしょうか」

 あたしと朱里は注文した物が間違いなく来ていることを確認してうなずく。

「ごゆっくりお楽しみください」

 そういって店員さんは去って行った。
 あたしは店員さんの後ろ姿を見送った後、紅茶をポットから注いで芳醇な香りを楽しんだ。
 あー、優雅にお茶をするってなんだか素敵だわ。
 朱里は頼んだエスプレッソを一口飲むと口を開いた。

「どう、チョコ? ここでアルバイトしてみたいって思えた?」

 朱里は興味津々な表情で聞いてきた。あたしは素直に思ったことを伝える。

「うん、やってみたいって思った」

 接客は大変そうだけど、なんだかとっても楽しそう。それにあたしも毎日、あの美味しそうなケーキたちにふれあいたい。

「じゃあアルバイトしたいって言ってきなよ」

 今すぐここでっ? そっ、それは……その……。
 あたしは尻込み、そして重要なことに気がついた。

「え……う、うん。でもその前に、お父さんと圭季に確認してからじゃないと」

 あたしの後ろ向きな言葉に朱里は少しだけ顔をしかめた。

「まあ……わたしたちはまだ養われている身だから保護者に相談しないといけないのは分かるけど。ここ、人気があるお店だから早くしないと決まっちゃうよ」

 なかなか決断できないあたしにいらだちを感じているらしい朱里はそうけしかけてきた。
 優柔不断なのは分かっている。だけどこういうことってあたし一人で決めちゃっていいのかなぁ。アルバイトなんて初めてで判断が出来ない。それに働いてみたいのは確かだけど、躊躇しているのも事実。
 踏ん切りがつかなくてぐずぐずしていたけど、朱里の明るい声に思い出した。

「うわぁ、美味しい!」

 朱里はザッハトルテを口にして歓声を上げている。

「ほら、チョコも食べてみなよ」

 朱里に促され、目の前のケーキを思い出した。
 美味しそうなケーキが目の前にあるのに落ち込むなんて、もったいない。
 フォークを手にしてフルーツタルトを切り分け、おもむろに口に運んだ。

「──美味しい!」

 タルトのさくっとした食感、その上に乗るカスタードクリームとフルーツの甘さと量のバランスの良さ。
 あたしは夢中になってフルーツタルトを食べた。

「チョコが食べているの見たら、なんだか幸せになってきちゃった」

 朱里はエスプレッソを口に運びながら、目を細めてあたしを見ていた。

「そっ、そんなこと言われたら、恥ずかしいじゃないのっ」

 耳まで真っ赤になっているのが自分でもよく分かる。

「やっぱり食べ物は美味しく食べたいじゃない?」

 いつも朱里には迷惑ばかりかけているから、うれしそうに笑っているのを見て安心した。

「朱里、いつもありがと」
「なっ、なにをいきなりっ」
「ううん。いつもお礼を言おうと思っても、なかなか言えなかったから。あたし、朱里にいつも助けられてる」

 朱里は少し傲慢な笑みを浮かべた。

「なにを言ってるのよ。わたし、これでもチョコをいじって遊んでるんだよ? お礼を言われるなんてびっくりした」

 それが朱里の照れ隠しだってのは分かった。
 昔からの付き合いだから、あたしは朱里の性格は分かっているつもり。朱里はちょっと変わっているけど、きちんと人のことを考えられる人。その言葉はあたしに気を遣わせないようにしているというのが分かった。それなのに朱里になにもお返しが出来ていない。

「今度、栄養学部にいい人を見つけたら紹介してねっ」

 白馬に乗った王子さまを待ち続けているだけではなくて、自らも積極的に探しにいっている朱里。いつもの言葉にあたしは笑った。

「いい人がいたらね」
「うん。お願いね」

 あたしたちはそんな他愛ない会話をして、お店を出た。

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 家に帰って夕飯の支度をして食べていると、珍しく父が早く帰ってきた。

「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま」

 かなり疲れた表情をしている父を見て心配になる。

「お仕事、忙しいの?」
「うん、少しだけね」

 テーブルに座ってお茶を飲んでいる父に夕食を用意する。
 家でだれかと食事をするのはなんだか久しぶりだ。

「あのね、お父さん」

 学校帰りに朱里とケーキを食べにいったことを話した。そこでアルバイトを募集していたからやってみたいと思い切って言ったら、細い目をさらに細めて笑みを浮かべた。

「うん、チョコがやってみたいっていうのなら、チャレンジしてみればいいよ」

 父は拍子抜けするくらいあっさり許可してくれた。

「ボクはチョコが臆病で慎重な性格だってことを知ってる。そのチョコがやってみたいと言ったということは、本当にやってみたいことだと思うんだ」

 父の言葉にあたしは照れくさくなった。

「慎重というのはとてもいいことだと思うんだ。だけどね、チョコ」

 父は真剣な表情であたしを見る。

「たまには思い切ることも大切なんだ。それはとても怖いことだと思うけど、勇気を出して踏み出してみないことには分からないこともあるだろう?」

 父のその言葉は守られているばかりの情けないあたしのことを非難しているように聞こえた。
 あたしはいつも、怖くておびえて震えていた。そんな臆病なあたしを見て、父はずっとやきもきしていたような気がする。

「がむしゃらに突っ込めばいいってものじゃないし、その慎重さはチョコのいいところだよ。だからそれを情けないだとか捨ててしまいたいなんて思わないこと。そのことを理解して、たまには思い切ったことをやってみないとね」

 父はあたしの考えはお見通しなのか、フォローするようなことを言ってくれた。

「今までは一歩ずつでもよかったかもしれないけど、これから大学を卒業して、チョコも大人の一員になったとき、それでは解決しない出来事にたくさん出遭うと思う。だから今はそれの練習期間だと思って失敗してもいいから色々やってみればいい。失敗を知らないと成功の喜びが分からないことだってあるんだ」

 そして父はあたしにも分かりやすい例えで教えてくれた。

「ケーキを作るとき、材料をレシピ通りの分量をきちんと量って作れば、確かに上手にできる。だけどそれはいつまで経ってもそこから抜け出せない。もっと美味しくしようと思ったら、配合を変えたり、材料を違う物にしたりしてチャレンジしてみないことには分からないよね」
「うん」
「それと一緒。同じことの繰り返しも大切だけど、チョコはまだ若いんだから、色々試してみないともったいないと思う」

 父が普段から思っていることと仕事でなにかそういうことがあったんだなってのが垣間見えて、自然と背筋が伸びる。

「失敗しても、それは失敗だけに終わらせなければいいんだ。『失敗は成功の元』って言葉がある通り、成功のヒントが詰まっているんだよ」

 そういって父はにっこりと笑った。
 笑うと目がどこにあるか分からない父の笑顔を見ていると、あたしも自然と笑みが浮かんでくる。

「ようやく笑ったね」

 父の言葉にあたしはずっとしかめっ面をしていたことを知った。

「……ごめんなさい」

 心配をかけてしまったなと思ったら、落ち込んでしまった。

「そんな顔をしていたら、圭季くんに久しぶりに会えても笑えないよ」

 からかうような口調に、自分の顔が赤くなって来たのが分かった。

「おっ、お父さんっ」
「圭季くんも仕事で大変そうだから、チョコが癒してあげてね」

 困ったような表情をしている父に詰め寄って思わず聞いていた。

「おとーさん、圭季が大変ってっ」
「ああ、うん。チョコ、ちょっと落ち着こうか」

 椅子から立ち上がって思わず父に迫っていたあたしは、その一言に自分が思っている以上に変な焦りを感じていることが分かった。
 圭季の仕事が始まって以来、顔を見ていない。少しでも圭季の情報が欲しくて父をせかした。

「圭季くんが橘製菓の次期社長ってのは昔から決まっていたんだ。だけどそれに対して反対している人間がいるのも確かで……」

 圭季のお父さんとお母さんを見ているとそういう俗世のこととは無縁のように感じていたけど、当たり前のようにそういうことはあるようだ。

「チョコには辛い話かもしれないけど、去年一年間、学校の教師として入社を延期したのも一部の人に反感を買っていて、ちょっと風当たりが強いみたいなんだよね。ボクもできることは協力したいとは思ってはいるけど、一介の社員でしかないボクができることなんて本当に微々たる物で、こればかりは圭季くんに乗り越えてもらわないといけないなと。こんなことになるのなら、もうちょっとがんばって出世しておけばよかったなぁ」

 なんて言っているけど、圭季が大変な目に遭っている原因の一因をあたしが作ってしまったと知り、申し訳なくなってきた。

「あたし……」
「言おうかどうか悩んだんだけど、後から知ったときのショックを考えたら伝えておいた方がいいかなと思って。チョコも大学生活が始まったばかりで大変だろうけど、圭季くんを支えてあげてほしいんだ」
「あたし、圭季を支えることできるのかな」
「出来るよ。これはチョコにしか出来ないことだよ」

 そう言われても具体的にどうすればいいのか分からない。

「圭季くんはチョコがいてくれるから、がんばっていられると思うんだ。チョコに出来ることは、いつだって圭季くんを信じて待っていてあげること」

 信じて、待つ……?

「それって思っている以上に大変で難しいことだと思うけど、ボクはチョコなら出来るって思っている」

 父はずいぶんとあたしのことを買いかぶっていると思う。なんだかすごく難しいことをたくさん言われたような気がする。それに父がこんなことを言うなんて初めてかもしれない。それだけ圭季のことを思っていてくれるのかも。
 父がそこまで気にかけている人を好きになることが出来て良かったと思った。

【つづく】






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