チョコレートケーキの作り方


<<トップへ戻る

0 目次   <<前話*     #次話>>

《七話》ライバル登場!?


 月曜日。朝一番でやっぱり苦手な数学。それでなくても月曜日の朝ってなんだか憂鬱なのに。勘弁してほしいわ。

 土曜日は水族館から帰ってきたら那津が夕食の準備をしてくれていた。デートを邪魔してきたことに対して文句を言おうと思ったけど、そんな殊勝なことをしてくれていたらなにも言えなくなった。……計算ずくなのが余計に腹ただしかったけど、圭季さんはかなりほっとした表情をしていたし、まあいいか。
 ふたりの邪魔にならないように行く前に準備していたアイスボックスクッキーを冷凍庫から取り出して切り、隙間をぬうようにしてオーブンに入れて焼き始めた。そうなると焼き終わるまで出番はない。手伝おうとしたら那津に邪魔された。

「千代子さまは座ってお待ちくださいませ」

 ふたりが働いているのにあたしひとりが座って待つなんて、無理!どうあっても手伝おうとするあたしと手伝わせてくれない那津。

「チョコ、那津は一度言い出したら聞かないから。部屋で宿題でもしてきたらどうだ?」

 圭季さんの言葉に渋々部屋に戻る。宿題ならもうすませたんだけどなぁ。昨日しようと思ってしていなかった英語の予習をするか。
 教科書と辞書を取り出し、ノートに英文を写し取る。英語の教科書に載っているお話って面白くないよねぇ。もう少し面白い物を載せてくれたらやる気も出るのに。推理物だとかさ。……無理か。
 分からない単語を辞書で調べて訳そうとしたところで那津がご飯だと呼びに来てくれた。
 父と四人でご飯を食べる。今日のデートはどうだったかと聞いてきたから話をする。那津がからかいのつっこみを入れてくるかと思っていたけど、静かだった。なんだか気持ちが悪い。
 ご飯を食べ終えて、やっぱり今日も那津は横に立って両手を差し出してかわいく首をかしげてきた。はいはい、今日はたくさんありますよ。父用にもと思い、四等分して紙ナプキンに包んでいた物をすべて持っていこうとしていたのであわてて止める。独り占めするなっ!
 父が笑ってどうぞ、と那津にあげていた。最初きょとんとして包みを見て、次の瞬間には本当にうれしそうににっこり笑っている顔を見て、ちょっとどきり、としたのは秘密にしておこう。屈託のない年相応の笑顔がかわいくて、不覚にもどきどきしてしまった。
 圭季さんがいながらなんて浮気者なのかしらっ!それもこれも間近にいい男がふたりもいるからいけないのよっ!
 ……贅沢な悩みか。
 自分のクッキーは明日食べようと思い、いつもの場所に置いておく。それが次の日の朝にけんかの原因になるとも思わず。

。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+

 日曜日。
 ついつい休みの日だと朝寝坊。起きて時計を見ると、すでに十時を過ぎていた。ぼさぼさ頭でパジャマのまま水分がほしくていつも通りにキッチンへ。棚から自分用のカップを取り出し、冷蔵庫を開けてお茶を注ぐ。そして昨日片づけたクッキーを食べようといつもの場所を開けると──。

「ない」

 お茶を一口飲んで冷静に考える。昨日の夜、間違いなくここに入れた。黒い頭のネズミがいるな……。

「おはようございます、千代」
「なーつー!」

 那津の言葉にかぶせるようにして振り返る。

「あたしのクッキー、食べたでしょうっ!?」
「なんのことでございますか?」

 しれっと言うけど、間違いなく犯人は那津だ。

「寝る前に食べたら太るから我慢して、朝起きてから食べようと思った乙女心を思い知れっ!」

 悔しくて那津にパンチを繰り出したけど、こんなへなちょこが当たるわけないのは分かっている。那津は当たり前のように涼しげな表情でひょい、と避ける。そればかりかあたしがパンチしようと出した手を優雅に手に取り、手の甲にキスをして、

「おはようございます。朝からそんなに怒るとしわが増えますよ?」

 だれのせいで怒っていると思っているんだっ!?
 毎度のことながら高見の見物をしているかのようなこの態度と那津にクッキーを食べられた恨みがふつふつと心の底からわき上がってきた。

「食べ物の恨みは恐ろしいのを思い知らせてやるっ!」

 カップに入れたお茶を一気に飲み干し、だんっと音を立ててテーブルに置く。

「お行儀が悪いですよ、千代子さま」

 あー、腹が立つっ!
 どすどすと足音をたてて部屋に戻る。
 朝ご飯を食べてないことに気が付いたけど、キッチンに戻るとまた那津と顔を合わせるかもしれないと思ったら戻りたくなくてもう一度ベッドに潜り込む。ふて寝してやるっ!
 ……結局夕方頃まで寝てしまい、日曜日はそうして無為に過ごしてしまった。シュークリームを作ろうと思っていたのに。

。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+

 そして今日、月曜日である。
 那津とはまだ仲直りしていない。仲直り、というよりあたしが一方的に怒っているだけ、とも言う。今度から自分用のお菓子は自分の部屋に持ち込んでおくことにしよう。ほんと、子どもみたいだよ。
 急に弟ができたような錯覚に陥る。
 那津ってあたしの執事、のはずだよね? 弟執事? なにそれ。
 これからの憂鬱な数学の授業も那津のことを怒っていたこともそのどうでもいい『弟執事』という言葉があまりにも馬鹿らしくてくすり、とひとりで笑ってしまった。……変なヤツじゃん、あたし。

「チョコ、おはよう。朝からなにひとりでにやにやしてるんだ?」

 背後からそう声をかけられ、すぐにだれか分かる。……朝から会いたくない人に会ってしまった。

「おはようございます、立花センセ」

 せっかく気分が良くなってきたのに、なんだかしゅんとしぼんでしまった。

「マドレーヌ、美味しかった。ありがとう」

 お礼を言われ、驚いて立花センセの顔を見上げる。ぼさぼさ頭に相変わらずの縁の太い黒メガネだったけど、意外な瞳の優しさに驚いた。

「べ、別にセンセのために焼いたわけではないですっ、ついでです!」

 本当は頼まれたから焼いたのに、なんだか恥ずかしくて嘘を付いてしまった。

「またついででいいから、お菓子を作って余ったら持ってきてくれな」

 見え透いた嘘なのに気を悪くしないでにこやかに去って行くのを見て、なんだか負けた気分になる。あんなにうれしそうに言われたら、また笑顔が見たいな、と思ってしまうじゃない。
 ぼんやりと歩いていたら、

「千代子さま、お荷物をお持ちします」

 後ろからすっとカバンを取られた。

「那津!」

 まだ怒っているんだから! というのをアピールしてみるけど、那津にはまったく効かないようだった。にたーと言う表現がぴったりな笑顔を向けられ、

「千代子さまがすねて怒っていても、これがわたくしのお仕事でございますから」

 分かっていてやっているから余計に腹が立つっ!
 教室に行くと、那津は当たり前のようにあたしの隣の席に座っていた。先ほど奪っていった荷物はすでに机にかけてある。ここはお礼を言うべきか怒っていることをアピールするべきか。
 悩んでいたら土曜日にお菓子博で出会った子たちの中のひとりが声をかけてきた。

「おはよう」

 今日はなんだか朝から嫌な展開だわ、と思いつつも顔に出したら負けだと思い、にこやかに対応する。

「土曜日に一緒にいた人、彼氏、だよね?」
「え……あ、まあそう」

 婚約者、というとなんだか大変なことになりそうな気がしたので肯定する。

「じゃあ、その隣にいる楓さまの存在はっ!?」

 か、楓さまぁ~? 驚いて那津の顔を見るけど、そう言われた本人は女の子の頬が思わず緩んでとろけるような表情を顔に乗せて、

「わたくしは千代子さまの執事、でございます」

 とまたややこしくなりそうなことを言っている。
 気がついたら那津はたくさんの女の子たちに囲まれている。どうやら話を聞きたかったみたいだけど那津の放つオーラ(?)に気圧されていたらしく、遠慮していたみたい。いろいろ聞かれているけど、那津は微笑んでいるだけで答えない。先ほどの「執事」発言でなんとなくあまりしゃべるのは得策ではない、と言うことには気がついたらしい。下手なことをしゃべられるのは困るから、その判断には感謝した。
 始業のベルが鳴り、みんなは席に戻る。ほっとして那津を見ると、にやり、と笑われた。

。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+

 今日の授業が終わり、帰ろうとしたら那津にカバンを奪われた。

「千代子さま、今日はこのまままっすぐお帰りでよろしいでしょうか」

 特に寄るところがなかったからうなずく。那津は一歩前を歩いて先導してくれている。靴箱へそのまま向かったけど、かなり目立っていたような気がする。変な噂が立たなければいいけど。

「チョコちゃん、ごめんね」

 帰宅途中、人がいなくなったところで那津はこちらを向いていきなり謝ってきた。捨てられた子犬のようにしゅんとした表情でそういうから、許すしかないじゃない。それに、怒っていることを言われるまで忘れていた。

「もういいわよ」

 精一杯むっとした表情で言ったけど、那津はその許しの言葉にぱっと顔を輝かせ、

「今日もデザート、よろしくねっ!」

 しっぽがあればぶんぶんと思い切り振っているのではないか、というほどのはしゃぎっぷり。なんだろう、このギャップ。
 学校ではものすごくクールなのに、あたしとふたりだとなついた子犬みたいなこの態度。……弟執事だわ、ほんと。苦笑するしかなかった。

。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+

 こんな感じで一週間が過ぎていった。
 水族館デートをして一週間。今日は土曜日。圭季さんは朝ご飯の後、どこかへ出かけようとしていた。

「どこに行くんですか?」
「買い物に行こうかと思って。……来る?」

 ついていってもいいかと聞こうと思ったところをそう言ってもらえたので、二つ返事で同意する。お菓子の材料を買いに行きたいと思っていたところだ。

「わたくしも同行させていただきます」

 那津もついてくることになった。三人で駅近くのスーパーまで。ここは駅前の上に二十四時間営業でとても重宝している。食品売り場は地下にあり、エスカレーターで降りる。朝早いこともあり、人がほとんどいなかった。
 圭季さんはかごを取り、野菜売り場に歩いていく。あたしはお菓子の材料を見たかったので一言そう告げ、置いてある場所へ行く。後ろから那津がついてきて、手に持っていたかごを奪われた。

「それくらい自分で持てるから」

 かごを取り返そうとしたらあのとろけるような表情を向けて、

「ご遠慮なさらずに」

 最近、なんとなく那津が分かってきた。
 このよそ行きの顔をするときは執事モードになっているらしい。
 そして、あたしと圭季さんといった身近な人間にしか見せない本来の那津、そのふたつの顔を使い分けているらしい。どうしてそんな必要があるのかまったくわからないけど、那津はそうしてあたしに接してきている。この執事モードのときはなにを言っても譲らないことを勉強したあたしは、仕方なくかごを持ってもらうことにした。
 お菓子の材料を見て、選んでいく。最近、那津が毎日お菓子をねだるから材料がどんどん減っていくのよね。ちなみに今日は先週作れなかったシュークリームを作るつもりでいる。
 それにしても那津は毎日すごい量のお菓子を食べていると思うんだけど、よく太らないよね。うらやましいわ。
 あとは小麦粉とバターと……。それぞれの棚に行き、かごにどんどん入れて行く。買い忘れがないかチェックして、レジに並ぶ。いつもはものすごい待たされるのに、土曜日の朝というせいか、すんなりと支払いを済ませることができた。かごの中の荷物を那津が袋に詰めてくれている。
 詰め終わったあたりで圭季さんが支払いを済ませた食材をかごにたっぷり入れてやってきた。

「そういえば圭季さん、食費はどうしてますか?」

 前から聞こうと思っていてずっと聞きそびれていたことを聞く。

「雅史さんから食費代はもらっているから大丈夫だよ」

 圭季さんは先週、払う払わないでもめたことを思い出して苦笑いしている。だって、重要なことじゃない?
 だけど高校三年生なのに所帯じみてる、とわれながら思う。
 那津は圭季さんが持ってきたかごから食材を出して袋に詰めている。その手際のよさに感心する。高校一年生とは思えないわよね、那津。
 荷物は那津と圭季さんのふたりが分担して持ってくれている。手ぶらのあたしはなんだか申し訳ない気分になる。
 そうしてマンションの前まで戻ってきて、エントランスに見知らぬ人が仁王立ちしているのに気がつき、あたしたちは立ち止まった。
 腰まで届くほどの美しい黒髪。身体のラインを強調するかのようなぴったりとしたスーツをびしりと着こなした女性。膝上二十センチのミニスカートから伸びる足は細くて美しい。その先に伸びる足にはVカットの八センチはあるヒールを履きこなし、カツカツと音を立ててこちらに近寄ってくる。

「圭季、あれ」

 那津は震える声でそうつぶやく。

「圭季、探したわよ」

 ボルドーレッドの口紅を刷いた唇の口角をあげ、獲物を狙う獣のような瞳で歩いてくる。どうやら那津と圭季さんは知っている人みたいだけど、こんな派手な人、どちらさまでございますか?
 女の人は圭季さんをまっすぐ見据えたまま、どんどん近寄ってくる。二メートルほどの距離を残し、女の人は止まった。

「さ、帰りましょ」

 女の人は圭季さんに向かって右手を差し出した。

「薫子(かおるこ)」

 圭季さんはようやく声を絞り出した、といった感じのかすれた声で女の人をそう呼び掛けた。妙な空気が漂う。

「あなたの家はここではないでしょう?」

 侮蔑するような視線であたしの住んでいるマンションを見る。そしてカツカツとヒールの音高く圭季さんに近寄って腕をつかむ。
 圭季さんを見ると、少し青ざめた顔色をしてはいるものの、つかまれた腕を振り払い、

「もう終わったことだ。帰れ」

 聞こえるか聞こえないかぐらいのささやくようなかすれた声でそれだけ言うとエントランスへ向かって歩き始めた。

「終わってないわ! 別れるだなんて、わたしは認めないっ!」

 わ、別れる!? もしかして、元カノ!?

「圭季! これはあなたのためでもあるし、会社のためでもあるのよ!」

 女の人──薫子さん?──は再度、圭季さんの腕をつかむ。

「おれは会社のために結婚したいとは思わない。薫子、おまえもそんなくだらない理由でおれとつきあうな」

 圭季さんの背中しか見えないけど、今まで聞いたことのない冷たい声に泣きそうになる。

「会社なんてほしければくれてやる」

 け、圭季さーん、父が路頭に迷うのでそういう発言は控えてくださいっ!

「圭季、どうすればわたしに戻ってきてくれるの?」

 追いすがる、という言葉が適切な状態で薫子さんは圭季さんの後を追う。

「戻るもなにも、終わった関係を戻すつもりはない」

 圭季さんと薫子さんのふたりの世界ができていて、あたしはなんだか完全にお邪魔虫状態。だけど今さら動くことも出来ず、空気状態になるしかないあたし。ちらりと那津を見ると、大きなため息をついてそっぽを向いている。
 あたしたちふたりにお構いなしな状態で会話は進む。

「一年以上前に終わった関係なのに、なんで今になって話を蒸し返す?」

 かなり気分を害した様子の圭季さんの声。
 一年前……? あたしが十六になった時に父が圭季さんのお父さま・和明さんに話を持っていったと言ってたわよね。圭季さん、そんな前からあたしとのことを真面目に考えてくれていたんだ。

「新しい彼もできたんだろう?」

 薫子さんは突如、般若のように恐ろしい表情で圭季さんを睨みつける。

「あんな男、彼氏でもなんでもないわっ! あなた以外にいるわけないじゃない!」

 なんだかとてももめている。とりあえず、撤退するか。ゆっくりと後ずさりをして、そーっと回れ右をしたところで気がつかれてしまったようだ。

「なにあのチョコレート」

 あたしは食べ物かっ!

「人のフィアンセに向かって『チョコレート』とは相変わらず失礼だな」

 けけけけ、けーきさまっ!
 どんな表情をすればいいのか分からなくて、回れ右をしようとした状態で固まる。ふぃ、フィアンセ、とはっきりくっきりおっしゃいましたよね、今っ!? 彼女を通り越してフィアンセ、ですか。
 婚約者、という意味ではフィアンセだけど……。
 なんだか頭の中がパニックになってぼんっ、という音が響いたような気がした。聞き慣れない刺激的な言葉に、端的に言えばショートした。

「フィアンセ……? どう見ても高校生くらいにしか見えないけど?」

 よ、よかったー! 中学生、と言われなくて。別に童顔というわけではないけど、今日の恰好は近所に買い物だからものすごいラフな服装なのよね。高校生らしい服か、と聞かれると……自信がない。中学の頃からずっと着ているものだから、そう見られても仕方がない。薫子さんの気合が入りまくった服装を前にするとお子ちゃまね、と鼻で笑われるようなもの。

「ふーん……。そうなの」

 薫子さんは意味深にすがめ、あたしを馬鹿にしたような表情で見る。

「まあ、相手がだれであれ、いいわ。圭季はわたしのものですからっ!」

 えっと、それって。ライバル宣言、と受け取ってよろしいのでしょうか、薫子さん?

「あなたみたいなお子ちゃまに負けるとも思わないし。今日は挨拶ということで」

 薫子さんはつややかな黒髪をかきあげ、大人の色香を振りまいて帰っていった。
 ……結局、あの人はなにをしに来たの? 救いを求めるように圭季さんを見たけど、その表情は背中を向けられていてうかがい知ることができなかった。
 その背中に、なんだか心がざわりと騒ぐ。圭季さん、どうしてこっちを見てくれないの?

「帰ろうか」

 聞いたことのない沈んだ声でそう言われるとなにも言えなくなってしまった。那津は無言で圭季さんの後に続く。
 ようやくうまくいき始めたかな、と思った矢先のこのライバル登場に、あたしと圭季さんの関係が微妙にぎくしゃくし始めてしまった。
 圭季さんの本心は?
 あたしの気持ちは──?
 先の見えないトンネルに突入したような不安な気持ちのまま、ふたりの後を追って家に戻った。

【つづく】


<<トップへ戻る

0 目次   <<前話*     #次話>>      

Twitterでつぶやく。 webclap 拍手返信