FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド extra


2003年 アヴィニヨン演劇祭の中止 

松原 道剛
 

 1947年以来毎年続いてきた、南仏アヴィニヨンでの第57回目のフ
ェスティヴァルが、今夏、失業保険問題に端を発した労働組合のス
トライキによって中止になってしまったことは、この地の一般紙に
も報道されたので、ご存知のかたも多いだろう。毎夏7月の約3週間
にわたって開催されるこのフェスティヴァルは、およそ40ほどの演
目が、有名なアヴィニヨン教皇庁の広い中庭に設えられた1900席の
仮設の客席とテニスコートよりも広い舞台を中心会場として、その
他、市立劇場や修道院の中庭や教会、それに高校の体育館など約20
の会場で繰り広げられる。

 その一方、同じアヴィニヨンの、これらとは会場も別に、およそ
20年前から、このフェティヴァル期間中に海外やフランス国内から
集まった劇団やグループによって、直径 2・ほどの中世の城壁に囲
まれた旧市街ばかりでなく、周辺も含めたさまざまな劇場で、自主
的な公演が行われる。その数は毎年、増加の一方で、昨年(2002年)
の数字では、およそ劇団数500、公演演目数600、劇場数100をこえ、
キャパシティ総数60万席になる。そして、それらの劇団は、基本的
には、このフェスティヴァル期間中の 3週間、毎日公演を行うので
ある。ということは、平均50席の客席をもった劇場ごとに、それぞ
れ 6つの公演が行こなわれるという単純計算になるが、いくつかの
常設をはじめ教会や学校の体育館・教室・校庭、それに屋外の中庭
や庭先の倉庫・車庫に仮設の雛壇席を急拵えしたようなほとんどの
劇場では、劇団が入れ替りながら、朝の10時から深夜0時開演まで、
7、 8公演が行われている。

 これらの両方を、普通フェスチヴァル・ダヴィニヨンとよび、便
宜上、観客たちは、主催者によるプロダクションや招聘公演である
前者をIN、 劇団の自主公演である後者をOFFと区別している。それ
らをまとめる事務局は異なり、表面上の対抗意識も強い。自分たち
だけがフェスティヴァルだと考えているIN はともかく、OFFの事務
局は、そこに登録された全公演案内一覧とさまざまなテーマ別のイ
ンデクスを掲載した大判のプログラムを作成し、一般に無料で配付、
割引のある会員カードを販売する一方、劇団に対しては割引料金の
設定と数枚のカード購入を求めている。

 そもそも、フランス人たちはフェスティヴァルが大好きだ。夏の
ヴァカンスの 1ヶ月近い長期休暇中の人々を目当てに、フランス各
地で音楽や演劇・ダンス・サーカスなどの舞台芸術、映画などの映
像芸術、それに美術の展覧会など、さまざまなジャンルのフェステ
ィヴァルが開催されている。この地では、さまざまな夏祭があるよ
うに、かの地ではフェスティヴァルがあるということになる。もち
ろん、イヴェント性の高い夏祭とアート志向の強いフェスティヴァ
ルは明確に峻別されるべきである。しかし、それでも、この地にお
いて参加する側の人々の夏祭というイヴェントへの熱気を、もっと
フェスティヴァルといったアートへと注いでもらう方策を考える必
要があるのだろう。

◇◇◇◇◇
 そして今年(2003年)、 6月からの記録的猛暑にともない、夏のフ
ェスティヴァル期間を狙い定めるかのように--どちら側の?、ある
いは偶然に?--年のはじめから、しばらく燻り続けていた失業保険
問題が再燃焼したのである。このアセデックともいう制度は、連続
して公演を行えない俳優や音楽家あるいは舞台技術者などの「断続
的」という意味をもつアンテルミタンとよばれるフリーランスの舞
台関係者のための失業保険で、大雑把にいえば、これらの人たちは
年間3ヶ月ほどの舞台を行って、残りの1年間を、最低限は「食べて
いけた」。

 いくつかの例外を除けば、かの地の劇団という組織には、制作者
と演出家くらいしか所属していない、俳優や技術者はそれぞれのプ
ロダクションごとに、ワークショップやオーディションによって選
ばれる、いわばプロデュース公演が一般的である。このことによっ
てプロジェクトにとって最適の配役や人材を得ることができるのだ
ろう。また給料を支払うために公演を打つという本末転倒から逃れ
ることができるし、企画・準備、それに稽古期間を十分に設定する
ことができる。

◇◇◇◇◇
 一方、俳優たちにしてみれば、舞台を離れても、アルチストにと
って不可欠な日常的トレーニングに励むことができるし、またアル
チストとしての社会的・地域的な活動や、とくに子供向けのプロジ
ェクトも可能になる。時間がかかるとしても、それらが、いかに将
来の観客動員につながるかは想像するまでもない。 ところが、こ
の制度が長年にわたり財政的な赤字をかかえていたことから、それ
を補填してきた政府・文化通信省も国家財政再建の一環として、今
年になって改革に乗り出してきたのである。保険受給者と支給額の
急増による赤字の急激な膨張は、テレビや大資本によるエンターテ
イメントなどの関係者の新たな参入が原因とされている。このよう
な断続的ではない仕事には、本来、この制度は不要のはずであり、
実際、常勤で働く被雇用者や舞台以外の職種が含まれていることも
指摘されている。ひどい場合には雇用側が、常勤に対しても保険額
を含めた報酬しか支払っていないケースもあるようだ。いわば贋ア
ンテルミタンが存在するということである。

 今年の夏、フランス各地のフェスティヴァルが中止に追い込まれ
るというほどに、この問題に関する情勢が逼迫してしまったのは、
このような制度そのものの欠陥にもかかわらず、それに対する改革
案がそのような問題点には触れずに、受給率を引き下げるという些
末な保険組合側の提案を一部の労働組合が受入れ、政府が承認しよ
うとしてしまったことにある。それに抗議して、アンテルミタンた
ちは、各地のフェスティヴァルでストを行い、またアヴィニヨンで
も、数度にわたる投票によってスト継続を採択したのである。

◇◇◇◇◇
 フランスには19世紀末からの民衆演劇の系譜があり、演劇をはじ
めとするさまざまな文化・芸術をあらゆる階層の人々に届けようと
いう理念のもとに、さまざまな模索が続けられてきている。その長
い系譜の中で、劇場(とそこでの活動)が学校や病院と同じように
人々の生活に不可欠のものであるとの認識がひろく社会のなかに浸
透していき、それにともなって政府の文化政策も形成されてきた。

 1959年、ド・ゴル政権における文化省創設と初代文化相アンドレ
・マルロがかかげた理念と政策。それにもとづく、その後の各地の
文化の家や演劇センターを中心とした、文化を地方にまで届けよう
とする地方分散化政策。また80年代ミッテラン社会党政権下の文化
相ジャック・ラングが実現した文化予算の国家予算に対する神話的
数値1%とさらなる文化政策の推進。このようななかで「文化国家」
とよばれるフランスの現在があり、このアンテルミタンたちのため
の制度も、そのひとつとして存在するのであろう。

 そのような文脈のなかでの今回のこの制度に対する後退のような
見直し、あるいは政府側の不適切な対応などに対して、「文化国家
の終焉」というマスコミの論調がみられたのは事実であり、誰しも
が危機感を抱くこともけっして大袈裟なことではない。舞台上演と
いうきわめて芸術性の高い活動のためには、このような制度は不可
欠であり、また芸術から商業主義を排除するためにも有効な方策で
あることは一般にも理解されるであろう。

 アルチストたちは、成功し有名になることを目的として活動すべ
きではないし、それによって必要以上の報酬を得ることはない。マ
スメディアとも注意深く距離を置くことも重要だろう。それらのこ
とをクリアしてはじめて、レベルの高い舞台を実現できるのだろう
し、また劇場が社会へと開くことになるのだろう。

◇◇◇◇◇
 このような情況において、現在、パリには6つの国立劇場と9つの
市立劇場のほかに、150以上もの劇場が存在し、さまざまな活動を
行っている。公立劇場以外でも、公的助成を受けている劇場も多い。
また、国立劇場では木曜日ごとに、換算すると数百円という格安の
料金設定をして、公的助成を直接観客に還元するという方策もとら
れている。一方、パリ都市部の郊外への膨張とともに、それらの周
辺都市の公立劇場も個性あるディレクトゥールのもとで注目すべき
活動を行っているところが少なくない。

 これらのそれぞれが特徴あるプロダクションを創出しているさま
ざまな劇場では、上演される作品もモリエールやラシーヌなどの古
典から現存作家による新作まで、ブールヴァールとよばれる娯楽性
の強いものから現代社会に対する問題性を読み込んだ前衛的な演出
まで、ヴァラエティにとんだプログラムによって、秋の9 月から翌
年 6月までのシーズンにわたって多くの観客を集めている。

 たとえば、かつてジャン=ルイ・バロが活躍していたシャンゼリ
ゼのロン・ポワン劇場が、昨シーズンから「劇作家の劇場」として
つぎつぎと新作を上演するという活動を開始、若い観客を中心に予
想以上の盛況をおさめている。一方国立劇場もつぎつぎとさまざま
な新機軸を提出し、海外からの作家や演出家、それに劇団を招聘す
るなど、これはもう改革といっていいほどの制度の刷新をつねには
かっている。

◇◇◇◇◇
 そして、 6月のシーズン終了とともに、人々はヴァカンスをとっ
て、アヴィニヨンをはじめとするフェスティヴァルに移動する。そ
のアヴィニヨンINのディレクトゥールを16年間という長年にわたっ
てつとめ、来年からは30代の若い二人にバトンタッチするというべ
ルナール・フェーヴル=ダルシエにとって、例年になく充実したプ
ログラムを組んでいた最後のフェスティヴァルの中止を、開幕予定
日の 2日後になって、事務局のある美しいサン=ルイ修道院の中庭
の木陰に設けられた会見場で、淡々と宣言していた内心には、アン
テルミタンたちへの理解とともに、忸怩たる思いもあったであろう。

 それでも、経済効果から中止に反対していたアヴィニヨンの女性
市長の思惑とは関係のないところで、危ぶまれていた大半の OFFの
公演は続けられ、アヴィニヨンに足を運んだ、それに「デモのない
人生なんて、愛のない人生のようだ」と考えているふしもあって、
ストやデモには慣れっこのはずの人々は、ある種のもの足りなさを
感じたとしても、劇場をはしごしたり、カフェやレストランで知ら
ない者同士でも公演の出来不出来の情報を交換するという OFFの醍
醐味を味わいながら、夜遅くまで暗くならない南仏の乾いた空気を
存分に感じることができたのだろう。

 それでも、68年にもこんなことにはならなかった、フェスティヴ
ァルの中止は、舞台創造の場を失い、この制度の重要性と問題点を
議論する場を失ってしまうことになったアンテルミタンたちにとっ
ても、また夏のヴァカンスのために 1年間の残りを働いているらし
いフランス人観客にとっても、そして誰にもとっても、やはり、
「悲しい」出来事だったに違いない。

[演劇学論集 日本演劇学会紀要41所収]

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