FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド 22


 いつもより短い滞在日程ながら、シーズン末で劇場の予定もはし
ごをするほどでもなく、秋からのシーズンプログラムを入手するた
めの劇場回りのなかで、評価の分かれていた今季最後の演目をはず
してしまっていたテアトル・ド・ラ・コリーヌに向かったのは、パ
リ出発前日の6月25日水曜日の午後のことだった。

 その演目も終了していたエントランスには仮設資材などがおかれ
ていて、いずこも同じ公演時の賑わいを求めるべくもない。もっと
も劇場関係者を装おうまでもなく、このような劇場の日常的なたた
ずまいに失望してしまうわけではない。 同じ場所には前日の演劇
組合関係者の集会の立看板が残っていて、失業補償が問題となって
いることがうかがいしれたにせよ、公務員の年金制度見直しに対す
る春からの長期間の交通機関のストやら、教員ストがバカロレアの
スケジュールとの関係で話題になっていたとしても「ストのない人
生なんて、愛のない人生のようだ」というフランス人たちしか思い
つかなかったのは本当のところだ。

 翌日に予定されていたパリでのマニフェスタシオンにむかってい
たそのコリーヌから、その後プロヴァンスへ、そしてアヴィニヨン
に結びつくなどとは、短期的な限られたメディアのおぼろげな事情
しかつかんでいないエトランジェでなくとも、その時点でのほとん
どの劇場関係者も、まだ想像もしていなかったであろう。同じ夕刻、
別の所用で訪れた劇団事務局でも、当然のことながらフェスティヴァ
ル参加の準備にいそしんでいた。

 前々夜に食事に招待してくれた友人たちも、夏のヴァカンスの予
定をきめかねていたようだが、毎年アヴィニヨンへ通 っていると
いう話もでなかった。今年はアヴィニヨンへは行かない、というク
リエルが東京にまで届いたのは、その後一週間も経って月がかわっ
てからである。それでも同席していたプレス関係者を巻き込んだや
りとりからも、最終的な深刻事態は、誰もが予想していなかったで
あろう。夏のフェスティヴァル到来を告げると同時に、モンペリエ
・ダンスがキャンセルに陥っても、それでもアヴィニヨンだけは、
というのは、脳天気だったのだろうか。

 滞在中のパリの異常な猛暑のなかのアンテルミタンたちの熱気が、
すでに記録的との南仏の炎暑によって燃え上がってしまったのだろ
うか。ゆっくりと夕暮れるのもとで、心地よい乾燥した風を感じる
ことができなくなったのは誰にとっても悲しいことだ。 

 [松原道剛]
 
 

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闘うアンテルミタン−−フェスティヴァルの中止

山田ひろ美

 2003年 6月27日ナントの舞台芸術センター、リュ・ユニックでは、
エリック・ヴィニエ演出『ジャングルの獣』の一日のみの公演準備
が整っていた。25日のゲネプロのあと、前日の公演はアンテルミタ
ンの失業保険問題に対する全国的なストライキに賛同して中止され
た。しかし27日朝Medef(経営者団体)と CFDT(フランス民主主義
労働同盟)CFTC(フランスキリスト教労働同盟)CFE -CGC(フラン
ス管理職同盟)の一部の組合が、修正案に合意したというニュース
が流れる。

 午後全体会議が始まる。演出家、劇場の財務管理者は、公演を行
うことを望む。カンパニーのテクニカルたちは公演を行いたくない。
侃侃諤諤。結局劇場の演劇担当者が中心となって、アンテルミタン
たちを支持して公演中止を決定する。

 会議後、携帯電話で組合、他の劇場やフェスティバルの現場の仲
間たちへの連絡。スタッフは右往左往。当惑。母親が来ていた主演
のオーストリア出身の女優は淋しげに肩をすぼめてホテルへと帰っ
ていく。

 そして不思議な光景。シーズンの最終公演の内輪の打上げ会が始
まる。劇場のテクニカルたちはいない。舞台のばらしが始まってい
る。誰かが言う「アンテルミタンは怠け者と言われて非難されてい
る」。別の声は「公演中止の損害は保険が適用されるらしい」「中
止の説明はきちんとしなくてはいけない」。

 19時半、そろそろ観客が到着し始める。入口にテーブルを並べ、
封筒を準備。その場で返金するための現金はない。チケット担当者
たちが、客が自分の名前を書いた封筒に発券したチケットを入れて
、後日引き替えに返金を約束する。その回りで劇場の制作担当者た
ちなど全スタッフが、一人一人の観客に説明を繰り返す。謝るわけ
ではない。理解を求める。

 開演時間の20時半にはほぼ終わった。またお疲れさまのビールや
ウィスキー。「怒って帰った人はいなかった」「多くの人が理解し
てくれた」。21時半、公演のない劇場はすでに空っぽ。客席は一方
の壁の中に片づけられ、大道具はすべてトラックに積み込まれてい
た。テクニカルたちの顔に笑みはない。疲れとフラストレーション。
今シーズンがこれで終わった。

 どうして2003年のアヴィニヨン演劇祭は中止されたのか。誰もが
最後の最後まで、アヴィニヨンを中止しないで済むように、有効な
対応があると信じたかった。信じてもいた。

 その問題となったアンテルミタンの失業補償制度は、職業形態か
ら断続的にフリーランスで働く、映像・舞台芸術のアーティストや
舞台技術者たちのものである。この制度は1936年に映画産業の技術
者と管理者のためにできた。戦後Unedic(フランス産業商業雇用同
盟:経営者と労働組合の同盟で、失業保険の利率などを決定する機
関)の58年の協約によって、失業保障について異職間相互扶助の分
野を拡大する。第5共和制においても2度に渡り、ヨーロッパでも類
するものがないこの制度に加入できる職種が広がった。64年には映
画・映像の技術者ならびに労働者、69年に舞台芸術のアーティスト
並びに技術者にまでこの制度が広がった。 

 この失業保険制度では、誕生日を基準にそれ以前の1年間で507時
間以上の有給の仕事をしているアーティストや技術者は、次の最大
12ヶ月間に日給平均の 31.3%の失業保険を受給できる。ひとつの舞
台から次の仕事までの期間はこの保険で生活する。雇用者側のカン
パニー・劇場やフェスティヴァルは、給与の約50%を社会保障とし
て納めている。

 90年代半ばの登録人数は、俳優が12000人、 ダンサー・振付家が
3000人、音楽家が19000人、舞台・映画・映像のテクニカルが25000
人、そして数千人のサーカス・大道芸・キャバレー・ミュージック
ホールの芸人たちもこの制度に含まれている。85年から91年にかけ
て人数は倍増し、失業保険受給者も91年の55000人から、 10年間に
倍増した。Medefの統計によると支給保険総額はこの10年間で4倍に
増え、現在年間8億2800万ユーロの赤字を生み出している。

 この失業保険制度問題では、これまで92年にもパリ・オデオン座
の占拠やアヴィニヨン演劇祭の一部中止があったが、根本的な問題
の解決策はなかった。

 今年 2月24日に全国規模でのストや集会が行われていたが、その
時はまだ誰もが楽観的だった。しかし 6月26日深夜に同意された修
正案は、この制度の問題点を解決することなく、弱者を排除するこ
とにつながる。

 修正案では 507時間の仕事を、俳優やダンサーは10ヶ月半で、テ
クニカルは10ヶ月で必要があり、失業保険受給期間は 8ヶ月に短縮
され、給付率も19,5%に縮小される。計算方法も異なり、8ヶ月(24
3日間) の失業保険受給が終了日から逆上った期間に受け取った日
給を元に失業保険を計算することとなる。この計算方法が実施され
ると、統計上で年間676時間以上の仕事時間が必要になり、 Unedic
の算出では10-20%、アンテルミタン側の計算では
35%の人が失業保険を受けることができなくなる。

 そうした点から政府がこの修正案を正式に認可しないようCGT(労
働総同盟)FO(労働者の力)など大きな組合と非組合員のアンテル
ミタンたちが、運動を拡大して、全国的随時ストに突入することに
なった。

 27日の動きを受けて、29日にモンペリエ・ダンス・フェスティバ
ル、続いて30日にマルセイユ・フェスティバル、レンヌでのフェス
ティバル等などの中止を決定する。

 7月1日アヴィニョン演劇祭開幕1週間前。6月29日からのストライ
キは、演劇祭の準備のため 7日まで中断を決める。アヤゴン文化大
臣が、舞台芸術の創造的な活動をしている若いカンパニーに、特別
の助成金を出すことを発表。ラ・ロッシェルの国際映画祭の会場で、
アンテルミタンの総集会。アヴィニョンではINの準備が進んでいる。
あるテクニカルが語る「演劇祭を中止にしたいわけでは全くない。
しかし修正案は最も弱い者を犠牲にする。文化を守るために、ここ
アヴィニョンが決着の場になるだろう。この美しいセレスタン修道
院の中庭に、大資本プロダクションのミュージカルが似合うだろう
か。大きな装置を入れるために、中庭の樹を切り倒すことになって
いいのだろうか。このままでは明日にはそうなってしまうかもしれ
ない」。

 7月2日セレスタン修道院に、IN関係者が集まって政府への要望を
まとめる。提出されている修正案の認可の差し止め、この制度に関
わる職種の代表者を含めて修正案の見直し、創造的活動の発展のた
めの財政的な問題を全体で話し合うこと。他の中止したフェスティ
バル代表者が、8日の全面ストライキを支援する。またフランス劇
作作曲協会(SACD)は、この文化の例外が、創造的活動を支えている
ことを確認する。しかしパトリス・シェロー、アリアーヌ・ムヌシ
ュキンとヤン・ファーヴルも、演劇祭を開幕を主張するが、非難の
的となる。

 オリヴィエ・ピイは、アンテルミタンたちの抵抗運動に全面的賛
同の旨を発表し、この修正案が目指しているものは、文化そのもの
を商業主義に売り渡すことであると激しく糾弾する。

 3 日アヤゴン文化大臣が組合代表者を迎えて話し合うが、全くの
進展はない。彼自身がアンテルミタンの制度をよく理解していない
ことが露呈する。

 4 日文化大臣がフェスティバルのディレクターやアーティストた
ち約20名ほどを官房に集める。ムヌシュキン、シェロー、ファーヴ
ル・ダルシエは穏健な立場を取り、フェスティバル中止が自殺行為
であると主張するのに対して、振付家レジーヌ・ショピノは
修正案の再検討を強行に主張。演出家スタニスラス・ノルディや振
付家フランソワ・ヴェレは、「公演があるとして、リハーサルは続
けている。しかし修正案を注意深く読めば読むほど、受入られるも
のではない」と公演の中止が視野に入っている。

 エクサンプロヴァンスのオペラフェスティバルは、予定していた
リハーサルを中止する。ディレクターのステェファン・リスネール
は、「アンテルミタンの中でも、意見が分裂している」と語った。

 5 日文化大臣とアンテルミタンの組合代表者との話し合いは続く。
アヴィニョンでは、INの関係者もOFF のカンパニーも教皇庁前広場
に集まり、話し合いが続く。誰もが、政府からフェスティバルを中
止しないで済むような提案がされる奇跡を願う。

 7 日文化大臣の記者会見が「辞任会見になるのではないか」とい
う噂が飛び交う。修正案認可の一時棚上げの発表さえあれば、アヴ
ィニヨンはいつもの夏を迎えることができる。12時45分に現れた大
臣は、 この修正案の適用を10月1日からでなく2004年1月1日に先延
ばし、初年度は11ヶ月で 507時間に達すればよいと緩和し、専門の
学習のための時間を55時間まで仕事時間に入れるという提案をした
のみだ。

 アヴィニョンの映画館ユートピアで総集会。「まったくもって会
計士のお返事だよ。2005年までに新しい職を身につけろってことか。
15年前自分もアンテルミタンの制度があったおかげで上達できたん
だ。今日抵抗しなければ、明日の舞台芸術は消えてしまう」とノル
ディが憤慨する。この交渉にアーティストたちは排除されており、
芸術創造全体を考えていないと怒る声が映画作家や演出家から上が
る。

 組合代表者たちも集結する。19時半には教皇庁広場でフェスティ
バル関係者(制作・テクニカル・招聘カンパニー)が翌日の開幕日
にストライキを行うかどうかを投票。635票の内412票がストライキ
を選択した。

 8 日ラ・ロッシェルの音楽フェスティバル・フランコフォリーの
会場は、テクニカルによって封鎖される。パリでは5000人から10000
人が、ドゥジャゼ劇場の前に集まる。エクサンプロヴァンスのオペ
ラフェスティバルでは、ブレーズがコンサートを強行するが、デモ
の叫び声で三部はほとんど音楽が聞こえない状態となる。フレデリ
ック・フィスバックは新作オペラのプレヴューを行うが、運動に賛
同して初日の幕を開けないと決定する。

 アヴィニョン演劇祭開幕日のはずである。舞台の準備は整い、教
皇庁の壁や街のいたるところはいつものようにポスターでいっぱい
だ。しかしカフェのテラスに座っていても誰もチラシを配っていな
いし、OFFの劇団のパレードもない。いやINもOFFも一緒になりデモ
が始まる。 12時にはOFFの俳優たちが中心街レピュブリック通りの
真ん中に寝ころぶ。 100人を越えるアンテルミタンたちが、彼らの
「死」を演じる。ユートピア映画館には「黒いスクリーン」の看板
が。映画作家たちの呼びかけで、多くの映画館が上映中止。19時総
集会場外では「無期限全面ストライキ」の囁き声。

 9 日ラ・ロッシェルのフランコフォリーが中止を決定する。エク
サンプロヴァンスではアンテルミタンたちがフェスティバルの続行
を投票で決定し『トラヴィアータ』の幕は開いたけれど、警察によ
る厳しい警備の元であった。「精神の死」のスローガンが上げられ
たアヴィニョンは、全面的ストライキと示威行動が続く。INの中止
が囁かれる中、市長はOFFの続行を願う声明を提出。

 各地のフェスティバルの中止が続き、またアヴィニョンが中止の
淵にありながら、政府は修正案の認可を進める行動にでる。

 10日Fin de partie勝負の終わり。朝8時の報道番組に生出演した
エクスアンプロヴァンスのディレクター、リスネールは、その場で
中止を発表。「観客が出入口で侮辱され、警察に警備されるような
条件の元で、フェスティバルを続行することは無理だ」

 ファーヴル・ダルシエは言い間違えて「第50回の演劇祭は開幕し
ない」と発表。今年57回目を迎えるフェスティバルは、その歴史上
初めての中止することとなる。ディレクターを務める最後の年にこ
の決断を下した理由として、失業保険制度修正案を取り下げる可能
性がないこと、随時的ストの決定が三度にわたる投票で選択された
こと、一部だけでフェスティバルを開催することは問題外であるこ
と、外部からの圧力が強いCGT が戦略を変えようとはしないことな
どをあげた。「ひとつの時代の終わりかもしれない。しかしフェス
ティバルは終わらない」

 14日ジャック・シラク大統領は、この問題に関して、来年 1月ま
でに文化創造に対する支援システムを整え、この保険制度を利用し
て利益を上げている映像制作会社や劇団を厳しく取り締まると発言
した。

 アンテルミタンの失業保険制度が大赤字を作り出している大きな
原因として、制度の濫用が上げられる。濫用の常習として上げられ
ているのは、大手のテレビ番組などの制作会社である。常勤と同様
に仕事をしている技術者をアンテルミタンとして雇い、15日分の給
与のみを支払い、後の日数はAssedic (失業保険の支払い、監督機
関)から手当を受け取って仕事を続けている。また技術者に留まら
ず、事務職までをアンテルミタンとして雇用している会社も存在す
る。制作会社側は、テレビ局が視聴率によって番組をすぐに替える
し、常にオーダーがあるわけでないから、常勤として人を雇用する
ことが不可能だと反論する。しかし、制作会社の仕事を請け負って
いるアンテルミタンは「最初はアルバイトのような全く保障のない
状態で仕事を初めて、その後常勤になったけれど、ある時会社が勝
手にアンテルミタンにしてしまった。でも仕事の内容は、常勤の時
と全く替わらない」。彼らはアヴィニョンへ行ってデモに加わるこ
とはできない。職を失うことになるからだ。この失業保険制度は、
安く人を雇用する手段として、長年に渡って利用されて来ている。
 強硬な手段が有効であるかどうか誰にもわからない。これまで濫
用をして来た資本のある会社は、計算方法を手直し、書類上の問題
がなければ、そのままAssedicは通してしまうだろう。 27才の俳
優が言う。「失業保険の利率を下がるだけならば納得できる。生活
は苦しくなるだろうけれど、なんとか俳優をやっていける。でも、
修正案の計算方法では、失業手当そのものを受けられなくなる」。

 こうしたことから、この制度の修正が、前述の濫用を防ぐ手だて
とはならず、かつ保険制度の最大の問題である赤字の解決にもなら
ず、単にアンテルミタンの資格を得るハードルを高くするに留まる。
このハードルを飛べなくなるのは、基盤のしっかりしない若者が主
になるであろう。これまで失業手当を受けることで、舞台の仕事の
ない時に、アルバイトで生活を支える必要もなく、街や学校や病院
などで演劇を行ってきた。そうした、フランスの演劇の一面である
社会との関係が、消えていくのだろうか。

 ベテランたちにも生活の危機が訪れる。40才のダンサーが、「ダ
ンサーはレッスンを欠かせない上に、つねにテクニックを学んでい
かなくてはいけない。・・・」と悲観する。

 アヴィニョン演劇祭が中止されても政府側が修正案を認可する動
きは留まることなく、押し止めようとするアンテルミタンたちとの
混乱は続く。

 7月17日夜、 第14回目のパリ・カルティエ・デデ(パリ・夏のフ
ェスティバル)が中止を決定する。総集会において、このフェステ
ィバルに働くアンテルミタンたちは、先立つ15日、16日に全面スト
ライキ、17日には部分的ストを行い、フェスティバルは開催しても、
パレ・ロワイヤルでの公演はすべて中止するという提案をする。パ
レ・ロワイヤルには文化省があり、この運動のシンボル的な場所で
あり、フェスティバルにとっては、最も重要な作品を公演する場所
であった。Uシアター(台湾)、ステファン・ペトロニオ(アメリ
カ)、ロビン・オルリン(南アフリカ)、マチルド・モニエ(フラ
ンス)、ク・ナウカシアターカンパニー(日本)の公演が予定され
ていたけれど、これらの公演が不可能であれば、フェスティバルと
しての一貫性のあるものとならないことから、ディレクターのパト
リス・マルティネが中止を決定した。この決定以前に、ラ・ヴィレ
ットで予定されていたフィリップ・ドゥクフレのソロ公演は、技術
的問題と、アンテルミタンの運動に賛同するために、カンパニーか
ら中止の要請があった。パレ・ロワイヤルが重要な舞台であること
から、万一敢行した場合は、エクサンプロヴァンスのフェスティバ
ルと同様に、示威行動を抑制する警察の警備なしでの公演は不可能
であったとも予想される。

 前日の午後、パレ・ロワイヤルの舞台の上では、初日が過ぎても
公演のできないUシアターのメンバーたちが、困惑げに、だがしっ
かりと太極拳の訓練を繰り返していた。アヴィニョンでは、フェス
ティバルを中止して何が残ったのだろうか。アンテルミタンの運動
は、アヴィニョン演劇祭inを中止すると脅すことで、政府側に修正
案の撤回を求めた。しかし、アヴィニョン市がフェスティバルによ
って経済的に成り立っている街であり、このフェスティバルがフラ
ンスの舞台芸術のシンボルであっても、政府と経営者団体は修正案
の認可へ向けて進んだ。そのことによって、本来は公演を行いたい
はずの多くのアンテルミタンたちが上げたこぶしを下ろす暇もなく、
フェスティバル側からの中止決定が下された。その影に見えてくる
のは、「破壊者たち」。フェスティバル側が、中止を決定した場合、
契約書を交わして働いているアンテルミタンには、契約書に沿って
給与が支払われる。それ故に、一部の者たちには、得るものはあっ
ても失うものがない。フェスティバルの中止だけを目的とした者た
ちの影。モンペリエ・ダンス・フェスティバルは公演を行う代わり
に、この問題をめぐる話し合いの場所を作った。しかし、フェステ
ィバルの中止と共に、話し合いの場所も消えていく。マルセイユで
も、ラ・ロッシェルでも、中止されたフェスティバルは、すぐに忘
れ去れて、誰もアンテルミタンの問題を話そうともしなくなる。In
が中止となったため、通常はアヴィニョンで開催されている海外の
フランス文化機関の年次総会も、パリのロン・ポワン劇場に場所を
替えた。

 だが、アヴィニョンのoffは続く。Offに出演する劇団の多くは、
自費でやってくるが故に、中止は彼らに取って赤字しか残さない。
それでも、ストを続ける劇団もあったが、予定されていた 600公演
の内、 400の公演は続行された。多くの劇団が、戦うために公演を
続けることを選んだと明言する。レ・アール劇場でのイオネスコ作
「椅子」の公演は、終わった後に俳優とテクニカル・スタッフが中
庭で観客たちと輪を作り直接話をする。戯画的な歌のあるグループ
は、アンコールでテレビが送る均一的な『文化』への皮肉を歌う。

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