FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド 20


■黒テント、アヴィニヨン道中記

 6月25日9時57分、アヴィニヨンに到着。サブリエメンバーの出迎
える車で宿舎へ。夜は歓迎パーティー。劇中歌を披露し合ったり、
自己紹介し合ったり。プロスペールから集合がかかり、アヴィニヨ
ン版の演出意図、稽古日程、稽古場割振の説明。昨年の東京の『十
字軍』にサブリエの若き女優イザベルを迎え、随所にフランス語テ
クストを交えるという。

 翌朝、久保君と荷物が届いた。韓国のトランジットで小道具の拳
銃 4丁が危険物として引っ掛かってしまった。そのため20個ほどの
預け荷物がソウルで足止され、検査を受け、ソウル一泊。幸い誤解
は解け、一日遅れでパリのホテルの知人のトラックで無事アヴィニ
ヨン到着。緊張続きの長旅にぐったりした様子だった。河内君と二
人で到着した衣裳をコインランドリーで洗濯。 6畳ほどの部屋一杯
に干す。強い日差しのアヴィニヨン。ベランダに干すと次々と乾い
ていった。

 夜19時より稽古。もともと上演時間 2時間近い『十字軍』は、ま
だ予定の1時間30分に収まらない。

 27日からは情宣活動を開始。街のお店にポスターを貼ってもらう。
言葉の通じない、知らない街で、教わった言葉だけを頼りに一軒ず
つ廻る。答えは感じでわかったが、言葉が通じないのをいいことに、
しぶしぶ貼らせてもらったりもした。でも、多くの街の人は演劇祭
参加者に好意的だ。

 夜は通し稽古。単なる昨年の再演ではなく、少しづつ新しい要素
が加わった舞台になってきた。稽古期間中いちばん苦労したのは仕
込みとバラシの段取り。演劇祭中アヴィニヨンでは同じ劇場で 1日
何公演もあるのが当たり前。毎日仕込み45分、バラシ30分でやらな
くてはならない。紗幕を吊り、回転木馬風の仕掛けを垂らし、たく
さんの楽器のセットなど、手のかかる舞台設営だが、時間内に収め
て本番に臨むことができた。

 初日明けてからの生活は、情宣・観劇・上演が基本的なパターン。
22日の公演期間、ほぼ毎日それの連続。

 公演は夜遅い。集合時間は21時。昼間は2、3日毎に全員で情宣パ
レード。なかなか客足が伸びなかったので、公演直前にも近くでパ
レード。振返れば、明けても暮れてもどうやったらお客さんが来て
くれるか、そのことばかりを考えていた。人見知りする私はチラシ
配りが苦痛でたまらなくなることもあった。でも時々「『十字軍』
観たよ。とてもよかった」と言ってもらえると、そんな苦痛も一気
に吹き飛ぶ。最後の日、小道の石段に腰かけていた俳優から「『十
字軍』アリガトウ、サヨナラ」と日本語で声をかけられたことが今
でも忘れられない。

 情宣活動の一環のつもりが、とんだ慰問活動だったこともある。
7月12日アヴィニヨン駅近くでパレード大会があり、いくつかの団
体が参加するという情報を得て 9時半に駅集合。見物人もたくさん
集まり、上手くいけば良い宣伝になる。喜び勇んで目的地へと向か
ったが、なかなかそれらしい所に着かない。歩くこと 2、30分。目
的地はさらにまーっすぐ行った市場の中にあるという。たどり着い
た市場は香辛料の匂いが漂い、見かけない食物の売られている移民
街。人々の顔つきも違う。特に子供。あまり穏やかな顔つきではな
いのだ。出迎えてくれた民生委員のサラさんは「ここはベトナム戦
争以来の難民街で、文化に親しむ機会もない人たちばかり住んでい
ます。今日はよく来てくれました」と謝辞を述べている。参加団体
は私たちだけらしい。アヴィニヨンOFF の企画の一環で、近隣集落
にも文化を広めようという活動だったようだ。 3回ほど場所を変え
て市場でパフォーマンス。視察中の市長も観に来た。住民は結構冷
ややかな視線を向けていたが、気に入った出し物は熱心に観ていた。
子供たちは、慣れていないのか面白がっていたが、興奮してチラシ
を粉々にひきちぎったり、爆竹を投げつけてきたりした。城壁の中
だけでは見ることのできないアヴィニヨンの姿が見られてかなり面
白かった。

 演劇祭の終わった28日、オランジュのプロスペール宅で打ち上げ
パーティ。サブリエのメンバー、出演者の他、プロスペール夫妻の
友人、演劇学校の生徒や先生など、たくさんの人が来ていた。みん
な何らかの形で公演に協力してくれたらしい。滞在中借りていた、
大量のベットシーツや上掛け、鍋やコップや皿まで声を掛けて集め
たという。プロヴァンスの手料理、マチアスのアルゼンチン料理、
テントの役者の天ぷら、そしてワイン。音楽教師ギイさんがシンセ
サイザーを弾き、みんなで歌った。楽しい騒ぎの中、ふと、プロス
ペールはこれだけの人々に支えられてオランジュで芝居をしている
んだなあと実感した。「お互いにまた一緒にやりたい気持ちはある
だろうけど、そのために乗り越えなければならない政治的問題もあ
る」と最後のミーティングでプロスペールが言った。

 5 週間のフランス滞在、そのことがまだ私の中ではピンと来ない。
私はまた日本で公演を続けてゆくだろう。

[畑山佳美]

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