FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド 16


■アヴィニヨンの歴史

 そこには熱い眩しい太陽と、涼しい湿気のない空気が待っていて
くれた。駅を降りると目の前に立派な城壁が現れる。歴史との対面。
ここでは50年以上前から演劇のフェスティバルが行われてきたのだ。
避暑地としても有名なアヴィニヨンは、教皇庁のあった町としても
しられている。また、ローヌ川とデュランス川の合流点という恵ま
れた位置にあり、ギリシャ時代、人々はここに河港を建設し交易を
盛んに行った。かのジュリアス・シーザーも紀元前49年にマルセイ
ユを攻囲した後アヴィニヨンも奪い取り、河港はローマ時代にも大
いに活用されていた。アヴィニヨンという名前は、カヴァリ族の人
々がケルト語あるいはリグリア語で「アウエニオン」と名付けたこ
とに由来し、その意味は「風の強い町」とも、「河川を治める者」
とも言われている。いずれにしても、この町のイメージをよく表し
ている。

 そして何世紀にも渡りさまざまな異民族がこの街を奪い取るため
に激しい戦いを繰り返した。 現在 "Rue Rouge" (赤い通り)と名
付けられた通りは、この時代の血なまぐさいエピソードから由来し
ている。戦いの間、道の上の方から人間の血があふれるように流れ
たのである。

 その後、数々の歴史的出来事を経て、1129年に自治都市となって、
1251年まで選挙で選ばれた行政官に治められた。14世紀になると、
キリスト教世界の中心となり7人の教皇が滞在し、約100年の間、繁
栄と洗練の時代を送った。現在も南フランスの重要な文化、芸術の
中心となっているアヴィニヨンである。という歴史深いアヴィニヨ
ンを非常に簡単に話してしまったが、果たしてフェスティヴァルの
期間に、この街に来ている人々はこの史実を知っているのだろうか?
 

■Festival d'AVIGNON  2001

 今年の参加劇団(一人芝居、パフォーマンス、ダンス、コンサー
トなどを含む)は、 750〜800くらいらしい。もちろんINとOFFを合
わせてである。そしてこの街に 100以上の劇場がある。劇場といっ
ても本当の劇場は数少なく、喫茶店を改装したもの、倉庫、元教会、
船、野外、「一体ここはなんだ ったのだろうか?」というところ、
そしてINのための教皇庁中庭。城壁で囲まれた街全体が劇場化して
いるというよりも、街という空間が劇場化しているといった方が正
解かもしれない。普通の劇場空間での芝居でも面白いものが当然あ
るし、また空間にこだわっている芝居もある。もちろんピンからキ
リまでである。

 ワクワクすることと裏腹に、一週間しか滞在できない僕は、当然、
大きな悩みにぶち当たる。「一体、何本観れるだろうか。」大きな
OFF のプログラムをめくる。しかし「何を観ればいいのか。どれが
面白いのか。」いや、まったくわからない。悩んでいても始まらな
い。午後1時からの芝居。午後3時もしくは4時からの芝居。午後6時
もしくは 7時からの芝居。時間帯を調べ、その劇場から劇場の距離
を調べた。食事にお金をかけずに芝居にお金を使った。自炊である。
朝、市場に行き買い物をする。これがまた楽しい。午前11時の食事
は、セロリ、にんじん、トマトを生のまま、ゆで卵、野菜スープ。
2回目の食事は、 2つ目の芝居が終わり、次の劇場に行く途中にバケ
ットをほうばり、3回目は夜10時過ぎに、ソーセージとチーズとワイ
ンと、街の中で買ったCDを聞いてすませた。

 おかげで一週間で24本の芝居を観ることができた。ときには一日
で4本観た日もあった。約800本の内の24本であるのだが、不思議と
面白い作品ばかり出会うことができた。作品が面白かったと同時に
、役者の貌がそこに観えたことが一番うれしい収穫だった。きっと
役者の貌が観えたからこそ、芝居が面白かったのではないかと思っ
ている。それは僕自身言葉がらなかったのが、よかったことだと思
うがそればかりではない。ここで芝居をする意味を考えさせられた
からだ。単なる何かで選ばれて(どこぞの国の代表だと思っていて
来ている人達が)、ここで芝居するのでは駄目であろう。ただフェ
スティバルに参加したいというのでも違うと思う。この気候、この
時間、この場所、この歴史がある所で芝居をすること、演劇をする
ことの重要性を考えてここにこなくてはならない。それは本来役者
が「なぜ演劇を選んだか」ということを、深く考えなくてはいけな
いことだと、自分自身に問い質せるチャンスとな った。

 一週間という短い時間の中で、このアヴィニヨンで生活すること、
ここの食べ物を食べ、ここの水を飲み、ここの気候を感じ、ここの
時間を過ごしたことが、演劇になることなのだと考えることができ
た。自分が、ここで芝居をすることになったらと思うと、とても恐
怖に駆られてしまう。演劇という大きな怪物に飲み込まれてしまう
ような錯覚に陥る。しかし、日本人であること、日本の役者として、
魅せる貌に挑まなければならないことを心に焼きつける。僕達はど
うあがいても日本人なのだから。

[宮崎恵治]
 
 

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